今日、母が亡くなった。すでに物言わないその姿を見て、私は自分が泣いていないことを不思議に思った。
「死」とはいったい何なのだろうか。高校生の頃から私はずっと、「死」について延々と答えのない問いを投げかけ続けていた。
ある種、憧れてさえいたのだろう。実行に移すことはなかったけれど、私は「死」を恐れるどころか、どこか待ち望んでいたように思う。
「死」を知るには、どうすればいいのか。自分が体験することはできない。かといって、人の体験談を聞くこともできない。
そんな私が見出したのは、本だった。多くの人が、誰も体験したことがないであろう「死」をテーマにした作品を描いている。
そんな中、ひとつだけ、私の心に深く残っている作品がある。木皿泉先生の『さざなみのよる』という本だ。
物語はナスミという女性が病気でこの世を去るところから始まる。視点は彼女から姉の鷹子にはじまり、夫や、彼女の職場の後輩、友人、未来の夫の妻、と、移り変わっていく。
彼らはみな、ナスミの言葉や行動に思いを馳せ、彼女のことを哀しみ、懐かしむのだ。
その作品には、私が思う「死」とはまったく異なった姿が描かれていた。今でもその作品を覚えているのは、それほど印象が強かったのだろう。
命が尽きたその瞬間、その人間はいなくなる。あまりにも、当然のことだ。誰の身にも必ず起こる瞬間だ。
「死ぬのが怖い」だとかいう人はよくいるけれど、どうしてそこまで「死」を特別なこととして捉えるのか、私にはわからなかった。
命が尽きて、いなくなる。たった、それだけのこと。「死」をやたらと美しくしたり、大袈裟にしたりするのは、私は好きではなかった。
亡くなった後の自分の身体や、世界がどうなろうと、私には関係ない。そもそも、その頃なら、私の意識はすでにないのだし。
それまで動いていた「私」が、ただの肉の塊になる。「死」はたったそれだけのことだろう、と、私は思っていたのだ。
「死」はひとりのイキモノの終わり。私は頑なにそう信じていた。『さざなみのよる』を読むまでは。
物語の冒頭で、ナスミは亡くなってしまう。彼女の人生はそこで幕を閉じた。けれど、物語は終わらない。むしろ、それから始まるのだ。
残された彼女たちの思い出の中で、ナスミは生きている姿で、繰り返されていた。
とっくに亡くなっているのに、ナスミのことを知らないはずの彼女の元夫の娘の物語の中ですら、ナスミは強い存在感を醸して物語の中に登場するのだ。
家族団欒のシーンにも。それはまるで、ナスミがそこにいるかのように。それほどまでに、その場にいないはずのナスミの存在は馴染んでいた。
その場を思い描いていると、どうしても思ってしまうのだ。ナスミは亡くなってなんていないのだ、と。
心臓が止まる。呼吸が止まり、目を開けなくなる。言葉も話さないし、もう二度と、動き出すことはない。それこそが「死」だ。
でも、それが「終わり」というのは、違うのではないか。だって、彼女たちの思い出や、会話の中で、ナスミは生き生きとしていたのだから。
母だって同じ。今、目の前にいる母は動いていない。そして、二度と動くことはないだろう。
でも、母は亡くなっていないのだ。私の中に今も、生き続けている。母は決して、「終わって」なんていない。母の物語は、今も続いているのだ。
ナスミが亡くなっても、物語は終わっていなかった。登場人物たちの人生は、その後も続いていた。
母が亡くなっても、私が亡くなっても、世界は昨日と同じように回る。「死」と同時に世界がなくなるんじゃない。私の意識が旅立っても、世界の多くの人は今も生きているのだ。
ああ、そうか。私の心の中に母は生きているけれど、もう私は、母には二度と会えない。そのことを、私はその瞬間、強く自覚した。
何か、こそばゆい感覚を覚えて、ふと、自分の膝の上の手を見る。少しだけ、濡れていた。雨漏りだろうか。今日の天気予報は快晴だったのに。
頬に手を当てる。垂れていた雫を、指先に乗せた。宝石のように輝く透明なそれをぼんやりと眺めて、私は自分が泣いていることに気が付いた。
残された人たちの人生は続く
「死ぬって言われてもなぁ」とナスミは思う。今は亡き母の姉が、わざわざ遠方からやってきた。姉の鷹子が、この伯母に自分の病状を知らせたということは、いよいよ危ないということだろう。
嫌いなヤツは嫌いなヤツのまま、自分の中では変わることなく死んでゆくのだと思っていた。それなのに不思議な話なのだが、そんな人たちにも今はありがとうというコトバしか浮かばない。
日に三回、病室にやってくる夫の日出男。いまさら話すこともないのに、決まった時間にやってきて一緒にゴハンを食べる。
毎日の同じしぐさにこれほど心が慰められるとは、思いもしなかった。日出男が弁当箱をたたむ。それだけのことに、ありがとうと思う。
店は、日出男が続けてくれるはずだ。いつからか、日出男と二人で店で働いている自分を想像することができなくなっていた。
みんな、泣きたいぐらい優しかった。意地悪が懐かしく、仕方がないので自分が意地悪になってもみたが、それでもみんなは優しく笑うだけで、自分はもうこの世界から降りてしまったのだと気付いたのだった。
混乱は、みんなを苦しめるだけだということを、病気になってから知らされたのだから。窓の外の景色と同じように調和のとれた世界の中で、消えてゆきたいと思うだけだ。
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