自分の信じるものを誰かに決めさせるな『サラバ!』西加奈子


私たちのクラスは、かなり仲が良かった。ただひとり、彼女を除いては。いつもひとりでいる彼女を、私は内心で哀れに思い、見下していた。

 

例えば、何らかの質問に対して、クラスの意見が「右」となったとしよう。すると、彼女だけが「左」という。要するに、周りに合わせるということをしない子だった。

 

そのせいか、私たちのクラスの中で、彼女だけが浮いていた。だから、誰もが彼女との接し方がわからなかったのだろう。彼女に話しかけようとする子は、誰もいなかった。

 

ある時、私の友だちの足にひっかかって、彼女が転んだことがあった。友だちは彼女に「ごめん」と謝っていたけれど、その口元は笑っていた。正義感が強い友だちは、彼女がクラスの結束を乱していることが許せなかったのだ。

 

それ以来、彼女に対して嫌がらせが起こるようになった。ノートに暴言を書いたり、教科書をゴミ箱に捨てたり。クラス全員がやっていた。しないと、自分も彼女と同じようになるから。

 

けれど、私はどうしても気が進まなかった。これは間違っている、と、漠然と感じていたのだ。でも、やらないわけにはいかない。クラスのみんなから、私がいじめに加担していないことを不満に思っているような空気を感じていた。

 

今、私の手には、一冊の本が握られている。彼女がいつも読んでいる本だった。休み時間、彼女がトイレに行っている間に、机の中から盗んできたのだ。捨てようかとも思ったけれど、できなかった。タイトルには、『サラバ!』と書かれている。上巻らしい。

 

トイレから戻ってきた彼女は、本がないことに気が付くと慌てた様子で探していた。その次の休み時間も、昼休みも、ずっと。今までどんなことをしても堪えた感じがしなかったのに、泣きそうな表情になっている彼女を見て、胸がちくりと痛んだ。

 

結局、持って帰ってしまったその本を、せっかくだから、と、読んでみることにした。ストーリーは、どうやらひとつの家族を中心に描かれているらしい。

 

周りにずっと合わせて生きてきた「いい子」の「歩」と、ずっと「問題児」として嫌われて孤独であり続けていた「姉」。クラスメイトと良好な仲を築いていく歩の傍ら、姉はクラスでいじめられて不登校になり、怪しげな宗教にのめりこんでいく。

 

読んでいて、「歩」はまるで私のようだと思った。周りと合わせている「いい子」。友だちも多く、恋人もいる彼は、いわゆる勝ち組というやつ。

 

でも、私が好きになったのは、「姉」の方だった。突飛な行動をして、いつも周りに迷惑ばかりかけてきた姉。そのせいで嫌われて、家族仲も険悪な姉。

 

けれど、彼女の行動から聞こえてくる「私を見て!」という痛烈な叫びが、私の心を捕えたのだ。上手くいかず、嫌われていく彼女の不器用が、ただただ愛おしい。

 

歩はしばしば、「自分がない」と言われている。その言葉を目にして、私は思わずページをめくる手を止めた。自分がない。常に周りと合わせてばかりで、自分自身が、ない。

 

私は、クラスで孤立している彼女のことを思った。彼女から見たら、私も、歩のように見えているのだろう。自分がない。中身がない、ただの人形。クラスの決定通りに動く、操り人形。

 

嫌だな、と、思った。そして、そう思った自分に驚いた。今までの自分は、そうした自分がないことを誇りに思うはずだった。周りに上手く合わせられるということだから。

 

でも、彼女がきっと、私を「歩」のように見るのだと思うと、それは嫌だった。私は、私だ。学校で感じた胸の痛みが、今もまだ、ちくちくと自分の存在を訴えている。それは、私そのものだった。

 

上巻を読み終えて、続きが読みたいと思った。きっと、彼女が続きを持っているのだろう。彼女とこの本について話がしてみたかった。

 

けれど、許してくれるだろうか。彼女の大事な本を盗んで、勝手に読んだ私を。明日、彼女と会うのが怖かった。彼女に軽蔑されたらどうしよう。いや、きっとされるに違いない。

 

ふと、私は、自分が彼女に謝りに行く気持ちでいることに驚いた。怖い。私もいじめられるかもしれないし、彼女に軽蔑されるかもしれない。でも、それでも謝りたい気持ちは変わらなかった。そのことが、自分で少し誇らしかった。

 

 

僕と姉

 

僕はこの世界に、左足から登場した。母の体外にそっと、本当にそっと左足を突き出して、ついでおずおずと、右足を出したそうだ。とても僕らしい、登場の仕方だと思う。

 

まるきり知らない世界に、嬉々として飛び込んでゆく朗らかさは、僕にはない。あるのは、まず恐怖だ。恐怖はしばらく、僕の体を停止させる。そして、その停止をやっと解き、背中を押してくれるのは、諦めである。

 

僕の後の人生を暗示したかのようなその出産は、日本から遠く離れた国、イランで起こった。首都、テヘランの郊外にある、イラン・メヘール・ホスピタルという病院で、僕は産声を上げたのだ。

 

僕の名前である「歩」を決めたのも、母だった。テヘランで妊娠がわかった瞬間、母は生まれてくる子どもが男の子だと決めていた。そして名前は「歩」だと。僕は生まれる前から「圷歩」だったのだ。

 

イラン・メヘール・ホスピタルの前で、僕を抱いた母と、その肩を抱いた父の写真は、当時4歳だった僕の姉によって撮影されたので、大きく歪み、ボケている。だが、後の僕たちを赤面させてしまうほどの幸福感に、満ちている。1977年、5月のことだ。

 

その当時、4歳の姉と、0歳の僕は、未来を、まだ知るよしもなかった。姉はすでに、変わり者の片鱗が大いに見られていたが、その時はまだ、母のことを「ママ」と呼ぶ可愛らしさがあったし、母の選んだ服を着る健気さもあった。

 

母も母なりに、精一杯姉を愛していたし、父に関していうと、姉と、そして新しく生まれた僕を、ほとんど舐めまわすように愛していた。日本から遠く離れたイランで、僕たち4人は、とても幸福な家族だったのだ。

 

 

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