現実と記憶が交錯する『貝に続く場所にて』石沢麻依


今でも思い出せる。テレビの画面越しに見た、茶色の濁流が家を吞み込んでいく光景。何もかもがぐちゃぐちゃになって流れていくその光景は、まるで出来の悪い作り物のようで。

 

東日本大震災から、十年以上の月日が流れた。あの瞬間、私は学校にいて、部活動をしている最中だった。

 

普段は禁止されている携帯電話を使う許可が下りて、事態をよく理解しないまま電話に出ると、父親の慌てたような声が耳元に響いた。

 

当時、私も、私の家族も、誰も震災とは遠く離れた場所にいた。だから、後にテレビで何度も繰り返された光景は、アメリカの映画のような、現実感のないものだった。

 

私は幼い頃から、小さな島で育った。海は親しみのあるものだった。いつもは穏やかな海の、あれほどの顔は見たことがなかった。

 

だからこそ、もしもを考えてしまう。もしあの時、自分があの場にいたとしたら。あるいは、自分の家族、友人が、あの場にいたら。それは決してありえないことではなかった。

 

今になって、震災のことを思い出したのは、石沢麻依先生の『貝に続く場所にて』を読んだことがきっかけだった。

 

東日本大震災以来、行方不明になっていた野宮から、連絡が届いた。ドイツのゲッティンゲンに住んでいる「私」は、彼と再会する。

 

彼はかつての友人たちとも連絡を取っているし、足がなくなったり体が透けたりしているわけでもない。でも、震災の時に間違いなく、彼は波に飲まれたまま還ってこなかった。

 

次第に、町全体に奇妙なことが起こり始める。ゲッティンゲンの象徴でもある惑星のオブジェが移動したり、古い建物が混じっていたり。

 

現実と記憶が入り乱れていく中で、「私」は、野宮と向き合うことができないでいた。多くの人の記憶にある大切な人や、しがらみ、それらが形を持って現れる。

 

今までそれなりの数の本を読んできたけれど、その中でもひときわ不思議な作品だった。まるでずっと幻を見ているかのような、透明で曖昧な雰囲気。

 

夢でも見ていたのかしら。読み終わった後に思わずそう思ってしまいそうなほどの、現実離れした美しさと静けさがあった。

 

夏目漱石先生の『夢十夜』。作中でもしばしばそのタイトルは登場しているのだけれど、それと同じような雰囲気がある。もしかしたら、この『貝に続く場所にて』という作品そのものが、夢なのかもしれない。

 

多くの死者を出した東日本大震災。それはすでに、ただの歴史になりつつある。それほどまでの時を経て、再びその記憶が形を持って現れたのには、やはり意味があるのだろう。

 

でも、きっと。それは次第に忘れていく私たちを責めるようなものでもなくて。探し物をしていて、ふらっと顔を見せるような、そんな感じなのかもしれない。

 

今、日本を大きく騒がせているコロナウイルスも、いずれは過去の歴史として埋もれていくことになるのだろう。ああ、そういえば、そんなこともあった、と。

 

収まって、また増えて、また減ったかと思えば、再びぐんと増える。そんなことの繰り返しで、コロナが騒がれてからすでに三年も経とうとしている。

 

多くの人が亡くなったけれど、今も生きている私たちは、ずっと前を向いて進んでいかないといけない。でもたまには、少しだけ振り返ってみるのも、いいのかもね。

 

 

九年ぶりの幽霊

 

人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。記憶を浚って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに水のように崩れてゆく。

 

ゲッティンゲンの駅前の白く灼けた石畳の広場の隣には、自転車が絡み合う森を作り上げている。置き場の隙間を縫うように自転車が複雑に押し込まれ、車体の金属は陽射しにも溶けることのない光を放っていた。

 

時間を確認して、駅舎の正面入り口から中を覗き込む。列車が到着したのか、ほぼ無人だったホールにいつの間にか人の姿があふれて、白い空間に色彩が豊かに満ちる。

 

人が途切れ、声も途切れ、列車の到着を告げるアナウンスも口を閉ざし、わずかな間ホールが空白に満たされる。音の消えた白の中から踏み出し、通路をもう少し進んだ。

 

遠近感の狂った通路に、野宮が緑を背にして立っていた。こちらに気づいたのか、旅行トランクの単調な車輪の音が近づいてくる。

 

しかし、記憶はそこでうまく働かなくなった。言葉をかけるのにふさわしい距離に立った野宮の口元は、白いマスクで覆われているために、鼻から下の印象はその布の色にぼやけてしまった。

 

軽いが丁寧な会釈を見て、用意していた言葉は失われた。こんな風に挨拶する人だった。私の寄せ集めて壊れた記憶は声を上げる。顔や姿よりも、そのしぐさに九年間が繋がろうとする。

 

同時に、陽に透けないほどの透明感を抱えている姿に安堵したのだった。死者であろうとも影は足元に留まる。

 

犬は少し距離を置いて、野宮の様子をうかがっていた。彼は野宮が幽霊であることなど気づいていないのだろう。

 

 

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