動物園という場所が嫌いだった。臭いとか、動物が苦手だとか、そんな理由じゃない。檻の中から私を見つめてくる動物の、目。その目が、何よりも恐ろしかったのだ。
道端で見かける野生の猫やカラスは平気だった。けれど、動物園の動物は無理。飼い犬も見ることができない。親が好意で買ってきてくれたハムスターは、ほとんど親が世話をしていた。
つまりは、飼われている動物が恐ろしいのである。テレビの動物番組などは吐き気を催して以来、見ることはなくなった。
どうしてだろう。その答えは長らく私の中で出てこないまま燻り続けた。ようやくその疑問に答えを見出せたのは、渥美先生の、『ミッドナイト・ホモサピエンス』という作品を読んだことがきっかけである。
主人公は動物園のサルの飼育係をしている。妻との仲は冷め切っており、幼い息子がひとり。世話をしているサルをとても大切にしている。
彼もまた、「飼育」という行為に疑問を覚えている。檻の中に入れられたチンパンジー。彼らの行動を笑いながら見ている人間たち。サルの世話をしている自分。
人間と、動物。私たち人間はまるで、自分たちこそが彼らに対する支配者であるかのように振舞う。自分たちもまた、一種の動物であることも忘れて。
自然を破壊して文明をつくり、そのせいで絶滅しかけた動物を見つけると慌てて「保護」という名目で管理する。動物を意図的に変質させ、自分たちに都合がいいようにつくり変える。
命に価値の違いはない、と言う。その同じ口で、存在の上下をつけたがる。神の下に人がいて、その下に動物がいる。進化論が常識を塗り替えても、人間と動物の価値は上下がつけられたままだ。
人間だけが特別なことがあろうか。人間がかつてはただのサルだったように、私たちは自然の一部として生きていたはずなのだ。それなのに、私たちはおこがましくも、自然を「管理」しようとしている。
作中の飼育員、根岸は、自分の妻や変わってしまったかつての恋人は、「哺乳類として大切なものが欠落している」と考えている。
一方で、その大切なものを持っている人間もいる。鳥が大好きなあまりに動物園を退職した新人の飼育員、迷惑をかけないように生きることを決めた浮浪者、海老の妄想にとりつかれた老人。
自分自身が飼育員であるがゆえに痛感せざるを得ない、人間のエゴ。檻の外に広がる現代社会の歪み。人間という存在の見るに堪えない醜さ。
長い時間をかけて、知能を持った人間は道具を作り、社会を作り、文明を築き上げた。牙も爪もない弱弱しい存在でありながらにして、世界の君臨者になり果てた。
しかし今、私たちは自分たちの生み出した文明という強固な檻に閉じ込められている。私たちはすでに自然の中で生きることができなくなり、文明の中でしか生きられなくなってしまった。
私たちが失ってしまった大切なもの。世界を相手に戦うことを恐れるあまり、文明の檻の中で世界に飼われることを選んだ。
動物と人間、檻の中に入っているのは、果たして、どちらなのだろうか。私たちはきっと、檻を大きくしすぎたのだ。
檻の中から私を見つめ返す動物の、目。紐につながれている犬。ケージの中から私を見返してきたハムスター。彼らの目に、私は何を見たのか。
ああ、そうだ、あれはそう、哀れみ。自分に向けられた哀れみの視線に、私は恐怖し、動物園が嫌いになった。
世界を支配していると誤解し、自分たちを顧みず檻の中で笑っているニンゲン。その滑稽な芸を、彼らは嘲笑っているのだ。
飼育
私は三年前の春、ある女と結婚をした。今青白く光るテレビの受像機の前で背を向けたまま口をきこうともしない女とである。
これが私の第一番目の失敗だった。信じられないかもしれないが妻は私にとって二人目の女だった。三十三年間の人生の中でたった二人しか私は女性経験がなかった。
最初の女とは五年間続いた。彼女は当時二十八歳で完全に結婚を否定した女だった。彼女は私と初めて関係した夜、子どもが生まれることが、広い意味での人類にとって何の役にも立たないという事を説明し、今それを実践しているのだと言った。
若かった私にはそのような彼女が周りの女と違ってひどく際立って見えた。別れた原因はひとつだった。彼女が子どもを欲しがったからだ。
そして私の第二番目にして最も重大な失敗は、今妻の前で微かな寝息をたて安らかに寝入っている小さな肉の塊だ。
名前は潤一、生後四ヶ月――。腹が減った時だけ泣き声で自己主張をする、私のことをまだ誰とも見分けがつかない単なる肉の塊だ。
そのようなわけで私の張り詰めていた緊張は四年前の夏の夜、当時動物園の入り口で切符のもぎりをしていた二十一歳の女の肉体の前でもろくも崩れ去った。友人の送別会ではしごした後の安ホテルの一室だった。私は三十歳だった。
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暴力団を相手にする警察、通称マル暴。しかしある時、対立している組員のひとりが何者かによって殺害される。高まっていく緊張感の中、浮かび上がってきたのは、ひとりの警察官の名前だった。
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