女として生まれた哀しみ『かか』宇佐見りん


「生まれ変わるなら女になりたい」呑気な面してそう言った彼。微笑みを浮かべて聞きながら、机の下で真っ赤になるほど拳を握り締めた。気楽に言うな、何もわかっていないくせに。

 

男になりたい、とは思わない。でも、どうして自分は女として生まれてしまったのかと、ふとした時に天に唾を吐きかけたくなる。

 

痴漢されたと騒いでいる女子高生を、ストーカー被害に遭った女性を、性的な暴行を受けた少女を、男の子に悪戯をされている女の子を見るたびに、思う。女とは何か、男とは何か、と。

 

単純な力において、女は男に敵わない。彼らに組み敷かれ、欲望のままに襲われた女たちは、もはや男の目には人間とすら映っていないのだ。ただの道具、あるいはそれ以下の。

 

もしも、道端ですれ違ったサラリーマンが、授業の時に隣に座っているクラスメイトが、家でお笑い番組を見て笑っている父が、突然豹変して襲ってきたら。そんな可能性がまったくないとは、どんな時だって言えやしない。

 

生理も、出産も、経験するのは女だけ。そのことがたまらなく理不尽に思えた。どうして女ばかりが、そんな役割を担わないといけないのか。

 

生物としてのシステム。そこに感情が入る余地はない。人間が築いてきた長い歴史の中で、女はいつだって蹂躙され続けた。私がどう思ったところで、何も変わらない。だから、これはただの八つ当たり。それでも、思わないわけにはいかなかった。

 

『かか』という本を読んだ。著者は宇佐見りん。『推し、燃ゆ』を書いた人。その本の言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。

 

方言ともつかない奇妙な語り口で「うーちゃん」が語る母親、「かか」に対する愛憎は、読んでいる私の胸を突き刺すかのようだった。飾らない幼稚な言葉だからこそ、よりいっそう鋭く。

 

父親、「とと」に捨てられたかかは、夜ごと暴れるようになった。親からの愛を、夫からの愛を求め続けて、とうとう得ることができなかったかかは、次第に壊れていく。それを、「うーちゃん」は眺めていた。

 

淡々とした口調の下には、激しい感情が燻ぶっている。ある時、「うーちゃん」は思い至って旅に出た。失ってしまった母親への信仰。好きだけど憎い、かかのために。かかをもう一度、産みなおしてあげるために。

 

まるで読むだけで、胸を引き裂かれるような物語だった。苦しくて、苦しくて、でもページをめくるのが止められなかった。

 

「うーちゃんのかみさまは、かみさまだったはずのかかは、うーちゃんを産んでかみさまじゃなくなった」

 

男と女が出会い、子どもが生まれる。人間はそうして殖えてきた。でも、それは決して、私たちを幸せにするものじゃない。

 

男も、世間も、何ら無神経に「子どもはまだか」「子どもが欲しい」という。でも、それを胎の内に抱えるのは女だけ。胎の中の新たな命は、母親の血を、身体を、命を奪い取って、すくすく育っていく。

 

どうして彼らは、自分がその役割を担うわけでもないのに、そんな勝手なことを言えるのか。あるいは、自分のことじゃないからこそ、勝手なことを言えるのか。

 

どうして女ばかりが、こんな役割を負わされるのだろう。でも、心のどこかで、それを誇りに思う自分がいるのも、また確かなことだった。

 

私たちは、この世のものとは思えないほどの痛みと、赤い血潮で染まった、ひとつの命を産み落とす。その瞬間、私たちは「かか」になるのだ。口うるさくて、憎たらしくて、けれど心のどこかでは愛している、「自分はこうはなりたくない」と願った「かか」に。

 

 

おまいにはわからんのよ

 

そいはするんとうーちゃんの白いゆびのあいだを抜けてゆきました。やっとすくったと思った先から逃げ出して、手の中にはもう何も残らん、その繰り返し。

 

幼少の時分、うーちゃんは湯船に一匹の金魚を飼っていたことがあるんです。まあ果たして飼っていたと言えるんか否かも、今となっては甚だ怪しいところではあるんです、なんせほんの一瞬のことでしたから。

 

そいはただ湯船にぽっかし浮かんでいました。深い赤のからだは窓から差す午後の光に透けて、お湯に浸かったうーちゃんの太腿に影を落としています。

 

幼いうーちゃんはむきになってそいを追っかけました。なかなか捕まらんかったけんど、お椀型にした両の手のひらを天に向け真下からそうっとすくいあげると、幾度目かの試みで成功したんです。

 

うーちゃんは精いっぱい足を上げてどうにかこうにか湯船から出ると、はだかのまんま明子のもとへ走りました。当時一緒に住み出したばかりのこの従姉の、驚く顔が見てみたかったかんです。

 

そいは突然のことでした。頭を力いっぱいぶたれたのです。あんまし突然のことに、うーちゃんは声をうしなってしまって、泣くこともできずにぽかんと明子のことを見上げるばかしだったんですが、思わぬことに明子の方が泣き出してしまいました。

 

あんとき明子が怒ったわけを、うーちゃんは後年、自分に初潮が来るときになって漸く知りました。ぬるこい湯にとけうつくしい金魚として幼いうーちゃんの前に姿を現したんです。

 

かかもきっと、あの金魚を見たことがあるんでしょう。どう思ったんか知りたいのに聞けんのがなんだか悔しくて、あのうつくしい金魚がにくらしくてたまんないような気いしました。

 

 

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