言葉狩りに向けられた悲鳴『図書館危機』有川浩


「『無人警察』って知ってる?」

 

 

 彼の問いに、私は首を傾げた。何らかの作品名だろうか。ともあれ、聞いたことがない言葉である。

 

 

「筒井康隆先生の小説だよ」

 

 

「ああ、なるほど」

 

 

 彼は筒井康隆氏の作品を読んで以来、彼の作品に傾倒しているようであった。私もいくつかおすすめされたものを読んでみて、面白いと感じたのをいくつかあるが、彼ほど入れ込んではいない。

 

 

「『無人警察』問題ってのがあってな、一時期話題になったんだ」

 

 

 筒井康隆先生は執筆活動を断筆していた間があるんだけれど、その問題がきっかけなんだよ。彼はそう説明してくれる。

 

 

 仔細を聞いてみるに、事の発端は筒井康隆氏が出した『無人警察』の、差別表現について日本てんかん協会が抗議した、というものらしい。

 

 

「世間は大荒れ。ほとんどが筒井康隆先生に対する批判でね。家族にまで被害が及ぶところまでいったから、先生は断筆を宣言したってわけだ」

 

 

 でもそれって解決してるんだよね。私が聞くと、彼は頷いた。

 

 

 曰く、日本てんかん協会との合意にこぎつけて事態は収束した、とのことだ。さらには、部落解放西日本夏季講座に出席して「差別者の筒井です」と言ってのけ、拍手を受けたらしい。

 

 

 なるほど、ブラックユーモアに富んだ作家先生らしい言い回しである。受けていた批判を逆手にとって先制をかます辺り、とんだ食わせ者だ。

 

 

「それで、君はもう終わった問題のことを改めて持ち出してきて、何を言いたいのかな」

 

 

 私が聞くと、彼はいささか不服そうに眉をひそめた。

 

 

「いやな、有川浩先生の『図書館戦争』を読んでも思ったけどさ、そういう差別表現に対する規制ってどうなのかなって」

 

 

 いや、差別を助長するわけじゃないんだが。彼はどことなく言葉を選ぶように頭を掻いた。

 

 

「差別っていうことに、あまりにも過敏すぎると思うんだよ。もちろん、差別はよくないことだが、あらゆる発言に目くじらを立てて突っつくのも違うと思うんだ」

 

 

 もちろん、悪意がある差別発言なんてのは性質の悪いものだけどな。たとえば、筒井康隆先生にしたって、被差別者を貶めようとしたわけじゃないだろう。

 

 

 ほら、事故に遭った被害者が過剰な請求を事故を起こした側にする、とかよく聞くよな。

 

 

「それと似たようなものだと思うんだ。もちろん、事故を起こした側が悪いんだけど『被害者』っていうレッテルを武器にしてるっていう感じ」

 

 

 彼の言葉に私は頷いた。たしかに思うところもあるからだ。しかし、私はそれ以上に感じることがあった。

 

 

「本人が言うならばまだしも、だ。周りの人間が便乗して加害者を叩くのは、我慢ならないと思うことはあるな」

 

 

 女の子を泣かせた男を、複数人の女子が責め立てる構図を思わせる。その場面との違いは、彼らの間には何の関係性がないことだろうか。

 

 

 彼らの間には子どもじみた幼稚な正義感しかない。彼らはただ、正義という武器を手に誰かを叩きたいがために集まっているだけなのだ。

 

 

 その正しさが、どれほど残酷なことか、なんて考えることもせずに。

 

 

規制という名の差別

 

 あれはいつの頃だったか、メディアの規制が一気に厳しくなった時期があった。

 

 

 差別、という言葉に世の中は敏感で、差別的表現がなされたとあらば嬉々としてそれを批判しに行く。

 

 

 しかし、そういう身勝手な正義感は得てして、被害者本人の声をひとことも聞かないことが多い。

 

 

 彼らは被害者の代わりに報復してあげているという義心かもしれないが、被害者たち本人は報復してくれとはひとことも言っていないのだ。

 

 

 もちろん、被害者の中には、言外に報復を望む者もいるだろう。考え方は人それぞれである。

 

 

 しかし、私はむしろ、もしも自分が被害者であったなら、騒ぎ立ててほしくはないだろうなと思うのだ。

 

 

 だって、自分に向けられた差別用語に対する批判というこの騒ぎ自体が、自分が差別されている存在だということを強く認識させるのだから。

 

 

 彼らは差別された自分を棒にして、差別した人たちを批判している。本来、その棒は被害者自身だけが持つべきもののはずなのに。

 

 

 代わりにやってあげているという考えの、どれほど傲慢なことであろう。その考え方の方がむしろ差別的ではなかろうか。

 

 

 メディアの放送禁止用語に指定されている言葉の中にも、首を傾げるようなものがいくつかある。

 

 

 『図書館危機』を読んで、『床屋』が放送禁止用語に入っていることを知った時は驚いたものだ。

 

 

 その職業に就いて、そして自分の仕事に誇りを持っている人たちからすれば、どれほどショックであろうか。

 

 

 言葉の言い換えという形だけでは言い表せないニュアンスが、そこに含まれているように思えてならないのだ。

 

 

 規制が必要ではないとは思わない。しかし、水清ければ魚住まずとも言うが、過度な規制はむしろ該当する彼らを傷つける結果となってはいないだろうか。

 

 

 差別は根深い。きっと、なくなることはないだろう。それは、他人を見下す人間の醜い一面が差別という行動に走らせているからだ。

 

 

 差別の理由は重要ではない。彼らにとっては、他人を見下すことさえできれば理由なんてどうでもいいのだから。

 

 

 それがたとえ障害であったとしても、生まれ持ったそれは、他人の持っていない才能のひとつだと私は思うのだ。

 

 

 正すべきなのは差別ではない。障害をその人の欠点としてあげつらわなければ自分に自信すら持つことのできないような、醜い人間の心そのものである。

 

 

図書隊を揺るがす良化委員会の魔の手

 

 茨城県では芸術祭と称して毎年十一月に美術県展を開催している。そのイベントに備えて、茨城県立図書館へ図書特殊部隊が応援出動することが命じられた。

 

 

 その原因は一枚の絵画にあった。今年の最優秀作品として選ばれた一枚を見て、全員が全員言葉もない。

 

 

 コンクリートを打ちっぱなしにしたような壁に貼られているのは、良化特務機関の制服である。その前の身頃が大きく切り裂かれ、穴から覗くのは青空の写真だ。タイトルは『自由』。

 

 

 良化法賛同団体からの抗議のデモはすさまじく、良化特務機関も検閲・没収をかけてくるだろう。しかも、茨城県司令部水戸本部は指揮系統が巧く作れないらしい。

 

 

 図書特殊部隊から応援が派遣されるようになったのはそういう経緯によるものだった。

 

 

 しかし、県立図書館に到着した一行を迎えたのは、武器の放棄を要求する『無抵抗者の会』という団体だった。

 

 

 これはどういうことか、と準司令を問い詰めると、明かされたのは茨城県の県立図書館の凄惨な現状である。

 

 

 きっかけは数年前、須賀原特監が館長として着任したことだった。須賀原は『無抵抗者の会』の特別顧問としても籍を置いている。

 

 

 結果として、図書館内の武器の携行が館長の許可なしにできず、業務部と防衛員のヒエラルキーの発生にまでつながっているという。

 

 

 そのため、検閲に対しても無抵抗で、書庫に封鎖されている図書以外は好き勝手に蹂躙されている。それが茨城県立図書館の現状だった。

 

 

 その状況を憂いている横田準司令は近代美術館の後押しを得て、苦肉の策として図書特殊部隊への応援を要請したのだった。

 

 

「全力は尽くさせてもらう」

 

 

 敵の姿は見えた。

 

 

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