世界最高の処世術『菜根譚』守屋洋


ひとりの男が机に向かい、筆を走らせている。俺が入ってきたことにも気づいていないようだ。これほど集中するとは、この男にしては珍しい。

 

「おい、来たぞ」

 

俺が声をかけると、彼は振り向いて照れたような笑みを浮かべた。相変わらず愛嬌がある。言おうと思っていた文句も吹き飛んでしまった。

 

「ああ、すまなかった。気付かなかったよ。まあ座っててくれ」

 

言われた通り俺は腰掛ける。しかし、さっきまで彼が向かっていた机に視線が移るのはどうしようもなかった。気になるのだ、何せ。

 

「何か書き物でもしていたのかね?」

 

「ああ、どれ本を一冊、書いてみようと思ってね」

 

「ほう」

 

どういう風の吹き回しだろうか。俗世間から距離を置いて一人での生活を悠々と楽しんでいるこの男が、よりにもよって本を出す、などと。

 

彼は仏教や道教の研究者である。仏教と道教に魅せられて悠々とひとり研究に勤しんでいる。変人であることは疑いようのない。

 

「何の本を出すんだ?」

 

「処世術の本を出そうと思っている」

 

「処世術だと? あんたが?」

 

ただでさえ世間との関わりの薄い男である。俺はてっきり、よくある厭世主義の人間とすら思っていた。それほどなのに、いったいどうして。

 

「世間から離れているあんたに説ける処世術などあるのか」

 

「いやいや、これでも昔は官僚をしていたんだからね。それなりに知っているよ」

 

「あんた、官僚だったのか」

 

「昔の話だよ」

 

官僚だった、ということは、科挙にも合格したということだ。まあ、頭のいい男ではあるから、それはまあ、わからないでもない。

 

だが、今の彼の生活から見るに、つまりは、出世コースだった官僚を退いて道教や仏教の道に進んだということになる。

 

「なんでやめたんだ?」

 

「まあ、いろいろあったんだよ。いろいろね」

 

その言葉を聞いて、彼が話したくないことだけはわかった。まあ、いいだろう。俺も彼の過去にそう興味があるわけではないのだし。

 

「しかし、処世の本なんぞはすでに何冊も書かれているだろう。今更書いて何になるというのだ」

 

「いや、私が書く本はたぶん、今までに類を見ない新しいものになるはずだよ」

 

「へえ、すごい自信だな。どんなのか聞いてもいいかい?」

 

「うん、実は、儒教と仏教と道教、この三つの教えを融合させてみようと思っている」

 

「三教合一か!」

 

なるほど、それはたしかに新しい。儒教は孔子を始祖とした、礼儀や孝行を重んじる宗教だ。人の中で生きるための教えだと言えるだろう。

 

対して、道教や仏教は違う。仏教は来世や死後を見据えて徳を積むことを教え、道教は山奥にこもり自然とともに生きることで長寿を志す。どちらも世俗から距離を置く教えである。

 

俺は気付いた。一見、人と交わる儒教と、人と交わらない道教や仏教は相反するものだ。しかし、まさに俺の目の前に、その体現者がいるではないか。

 

かつては権謀術数にまみれた官界に身を置き、今は道教や仏教に魅せられ、俗世から離れた人物。そう、たしかにこの男ならば、いや、この男にしか書けないだろう。

 

それはどの時代の、どの人間にも通じる。俺は予感した。その本はやがて広く世に知られることとなり、遥か未来ですらも読まれているやもしれない。

 

「であるならば、表題はどうするんだ?」

 

「そうだね。それを迷っているんだ。ひとつ、思いついたものがあるんだけど」

 

「ほう、言ってみろ」

 

「宋の信民の言葉を知っているかな? 曰く、『人能く菜根を咬みえば、則ち百事なるべし』硬い菜根を咬み砕くほどに物事を噛み締めれば、真の味わいを味わい尽くす人間になる、という」

 

「ふむ」

 

「だから、この書物の表題は、その格言から取って、『菜根譚』とするのどうだろう?」

 

 

いつまで経っても変わらない処世術の根本

 

現代は人間関係の難しい時代だと言われています。今までこの社会を支えてきた規範が揺らぎ、さればと言って、それに代わる規範も根付いていません。

 

変化の只中にあって、世代間の断層も深まり、人間関係の築き方も難しくなっています。どうすればこの悩みを少なくすることができるのでしょうか。

 

何事にも原理原則というものがあります。人間関係においても然りです。中国古典は多かれ少なかれ、みなこの問題を取り上げてきました。

 

この際、そういう人間関係の基本に立ち返って、自分はどうなのか、なぜうまくいかないのか、本書では、そのためのヒントを『菜根譚』に求めてみました。

 

『菜根譚』という古典は、今から四百年ほど前にできた本です。この本を書いたのは、洪応明という人物です。

 

『菜根譚』は、儒教、道教、仏教の三つの教えを融合して、人生の知恵や処世の極意を説いているのです。そこにこの本の最大の魅力があると言ってよいでしょう。

 

『菜根譚』が説いている内容は人間関係だけにとどまらず、人間の営みに関する万般の知恵に及んでいます。本書を通して、人間関係の原則を確認するとともに、それぞれの人生を充実したものにする一助にしてもらえればと願っています。

 

 

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