探求の道はさながら迷路のように『和菓子迷宮をぐるぐると』太田忠司


その夏、私は初めて挫折を経験した。何もかも諦めて、終わりにしようと思った。そんな最悪の気分で出会ったのが、太田忠司先生の本だった。

 

『和菓子迷宮をぐるぐると』。主人公は、ちょっぴり、いや、かなり変わった理系男子の涼太。慣れるまでは、そのヘンテコな性格に翻弄されっぱなしだった。

 

とにかく理屈っぽい。でも、それが嫌味なわけじゃない。それはきっと、彼がどこまでも目の前のことに向き合っていて、前だけを向いているからだろう。そんな彼のことが、いつの間にか好きになってしまっていた。

 

母親を失って以来、和菓子が嫌いになっていた彼は、ある和菓子職人のつくったお菓子に感動を覚え、弟子になろうとするものの断られてしまう。

 

けれど諦めきれない涼太は、今まで進路として定めていた大学院に行くことをキッパリやめて、製菓の専門学校に入学する。

 

さまざまな悩みを抱えている同じ実習グループの女の子たちとともに、涼太は自分の和菓子の道を探求していく。

 

前もって言っておくと、私はどうにも小説というものが苦手だ。というのは、リアリティがないからである。

 

主人公たちが挫折して、努力して、成功する。どれもそんなサクセスストーリーばかり。現実はそんな甘いものじゃないのに。ただ、この作品はどこか違った。

 

涼太は和菓子職人に弟子入りを志願するも手厳しいことを言われて断られる。製菓学校では、自分で餡子をつくってみて、先生に批評してもらうのだけれど、ここでも褒められない。

 

この物語の中には、多くの迷いと挫折がある。涼太も、彼の友人たちも、挫折し、悩んで、たくさんの失敗をする。そして、それが成功するとも限らない。

 

でも、涼太のすごいところは、失敗しても決して諦めないことだ。チャレンジし続ける。どんなことでも欠点ではなく美点を見出して、前向きな姿勢で取り組む。

 

そのポジティブさは、読んでいて励まされた。彼の友人たちもまた、そんな彼に感化されて迷いながらも前に進んでいく。

 

そして、改めて気付いた。私が今まで挫折を経験しなかったのは、難しいことには何ひとつチャレンジをしてこなかったからだ。

 

言い訳を繰り返して、とにかく簡単なことばかりをする。挫折しなかったのも当然だろう。だからこそ、今回の挫折が大きいものになった。経験してこなかったから。挑戦をしなかったから。

 

子どもの頃から、失敗したくないと思っていた。失敗は恥ずかしいことだし、よくないことだ、と。でも、そうじゃない。失敗してもいいんだ、と、その時初めて思えた。

 

涼太は自分自身の味を生み出すため、和菓子の迷宮を探求していく。何度も試行錯誤しながら、自分の味を見つけようとしている。その道にゴールがあるかもわからないし、多くの失敗も重ねていた。

 

きっとそれは、和菓子のことだけじゃない。世の中のこと全てに言えることだと思う。私たちはいつだって、迷宮の中を迷い続けたまま、フラフラとさまよっているのだ。

 

そこに答えはないのかもしれない。でも、そんなことじゃないんだ、大切なのは。完璧にたどり着けなくても、その場所を目指すこと。目指すことを諦めてしまったら、私たちの望みは決して叶わない。

 

失敗を恐れず、チャレンジし続ける。涼太は私に大切なことを教えてくれた。そうだ、挫折しても、立ち上がればいい。簡単なことじゃないか。

 

 

和菓子の迷宮

 

涼太は三月二日という日付を忘れない。その日、六歳の彼は母を失った。

 

涼太の母は美しいひとだった。母の作る玉子焼きが、ハンバーグが、エビグラタンが涼太は好きだった。とりわけ好きだったのが、ぼたもちだった。

 

「何が食べたい?」

 

あの日、そう訊かれたときも、「ぼたもち!」と答えた。母がぼたもちを作りはじめると、涼太は何度もキッチンを覗き込んでは「まだ? まだ?」と母に尋ねた。

 

炊飯器で炊いた糯米を軽く搗いて半分つぶすと丸くまとめて、粒餡でくるむ。母の手の中で白い餅が餡をまとい、形よく整えられていく。その様子を見ているのが涼太はとても浮きだった。

 

「はい、どうぞ」

 

手を合わせ「いただきます」と言ってから箸でぼたもちをつまむ。幼い彼の手には余る重さと大きさ。落としそうになる前に口に運ぶ。

 

餡の柔らかな舌触りと小豆皮の感触。餅の弾力。小豆のほのかな香り。そして広がる甘さ。涼太の表情は緩む。

 

そして母は、いなくなった。

 

「涼太、これ好きだったよね」

 

いつまでも泣き続ける涼太に千春が差し出したのは、ぼたもちだった。

 

「ママの?」

 

「いいえ、買ってきたの。何も食べてないでしょ。さあ」

 

透明なフードパックに入れられたものを、箸でつまむ。口に入れて、噛む。咀嚼して飲み込む。とたんに吐きそうになった。

 

「どうしたの?」

 

「……まずい……」

 

舌に残るいやな感じを水を飲んで消そうとする。でもどんなに飲んでも、感触が消えない。食べかけのぼたもちをパックに戻した。

 

「ぼたもち、好きじゃなかったっけ? ごめんね」

 

千春はそう言って涼太の頭を撫でた。彼は、また泣いた。

 

以来、涼太は小豆を食べなくなった。小豆餡だけでなく、和菓子全般を口にしなかった。涼太が再び餡を口にするのは、それから七年後のことだった。

 

 

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