メタ・フィクションの金字塔『朝のガスパール』筒井康隆


メタ・フィクションという小説の一ジャンルのことを知っているだろうか。いわゆる、現実と虚構がつながっていることを作者、あるいは登場人物が把握している作品のことである。

 

例えば、自分が小説の登場人物であることを把握しているキャラクター、作中に登場する同じタイトルの小説、突然物語世界に現れる作者などが、これにあたる。

 

昔は珍しかったものだが、作品が多様になった昨今においては、そう珍しい手法なわけでもない。そもそも、メタ・フィクションが登場したのも相当に古いのである。

 

あの手この手で読者を翻弄してくる『トリストラム・シャンディ』、第二部の中で第一部の批評をしている『ドン・キホーテ』など、思わぬ作品もメタ・フィクションの手法を扱っている。

 

現代の有名な作品と言えば、『デッドプール』だろうか。次のページに言及したり、読者に語りかけたりと、とにかくやりたい放題するキャラクターがコミカルな特徴のひとつとなっている。

 

しかし、近代のメタ・フィクションを語る上で欠かしてはならないのが、『時をかける少女』や『パプリカ』などの作品で知られる筒井康隆先生であろう。

 

数々の実験的な作風を実践しており、先生の書いた短編の中にもいくつかメタ・フィクション小説があるのだが、代表的なものといえば『朝のガスパール』である。

 

新聞連載されたこの作品は、新聞連載という特色を生かし、文書やパソコン通信で読者から展開を募集し、その声に従って物語を進めていくという趣旨のもとに執筆された。

 

会社の経営陣の間で流行しているゲーム『まぼろしの遊撃隊』に熱中している貴野原の妻、聡子は株の投資に失敗し、巨額の負債を背負うことになってしまう。

 

借金の取り立てに迫られ、窮地に陥った聡子を救うべく現れたのは、貴野原がプレイしているゲームのキャラクターたちだった。穏やかな住宅街で、激しい銃撃戦が始まろうとしていた。

 

作中では度々、物語の隙間に挟まって、櫟沢とその妻、澱口の場面が挟まってくる。彼らはいわゆる作者の分身のようなものであり、物語をどう進めていくか、読者の意見を吟味しつつ話し合っている。作品は櫟沢が書いているという設定であるらしい。

 

最初こそ面食らったものの、慣れてしまえばむしろ楽しみになってきた。何せ、意見を投稿してきた読者を名指しで列挙し、読者からの非難には反論までするのだ。これを楽しまなければ損であろう。

 

ゲームの中のキャラクターが現実に現れるという物語が、さらにそれを書いている櫟沢たちの世界とも入り交じっていく。さらにその果てには、作者である筒井康隆先生自身や、意見を投稿した読者たちすらも、虚構の世界へと引きずり込んでいくのだ。

 

その多層的な構造に、私は圧倒された。書籍化された本を読んでいる自分が悔やまれる。当時、この作品がまさに新聞連載されていた頃に読者のひとりとして参加していれば、よほどの感動になっただろうに。

 

考えさせられたのは、読者としての姿勢である。私たちはただ作者が書いた作品を享受するだけである。そして、自分は何ひとつとしてしていないにもかかわらず、好き勝手に作品を批評し、上から目線で評価を下す。

 

中には、なんとも傲岸不遜なことに、作者に対して「○○を書いて」などという面の皮が厚い者までいる始末。金を払っているのだから、という理由だけで、自分にはその権利があると信じ切っている連中だ。

 

だが、それでいいのだろうか。私たちは読者として、ただ作品を享受し、批評する、それだけでいいのだろうか。読者とは、それしかできない存在なのだろうか。

 

本というコンテンツは、私たちが読むことによってようやく完成される。私たち読者もまた、そのコンテンツを構成しているひとりなのだ。私たちは、「読者」という自覚を、改めなければならないのかもしれない。

 

 

折り重なる虚構

 

ご注意願いたいのは、この文章がすでに小説の一部であるということだ。つまり、虚構「朝のガスパール」はすでに始まっているのである。

 

十八世紀のイギリスの小説家サミュエル・リチャードソンは長編「クラリッサ・ハーロウ」を書くにあたり、読者の意見を参考にし、少しずつ分冊にして発刊しながら、その意見に従って物語を展開させていったという。

 

もうおわかりだろうが、今度の新聞連載でそれをやろうというわけである。毎日、ほんの少しずつ虚構が展開していき、それを毎日読者が読む新聞連載という特殊性を生かして、その新聞読者の意見を小説に投影させ、それに沿って展開をおしすすめたいと思う。

 

読者には誤読の自由があると言われている。むしろそれあるがために面白く読めるのだともいう。そこにおいてこそ作者は、胸を張って言おうではないか。読者に誤読の自由があるのなら、作者にだって「誤作」の自由があると。

 

読者はこの虚構に参加していただきたい。いや。展開に関わった以上、その読者はこの虚構の作者であると同時に登場人物になることさえあり得る。

 

作者は、この古くて新しい試みによって、現在の小説のスタイルに飽き足りず、なんとなく離れていこうとしている多くの読者を、新たな虚構世界へ呼び戻すことができるはずと信じている。

 

 

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