ホルモーにまつわる6つの物語『ホルモー六景』万城目学


「ホルモーおもしろいよねぇ」

 

 

 うん? その言葉を聞いた途端、私は思わず声の方を振り向いた。

 

 

 ホルモー? なんだろう、ホルモンのことだろうか。聞き間違い? でも、だとしてもおもしろいという感想はどういうことだろう。

 

 

 どう答えるのだろうか、と視線を送ると、話しかけられた方も「ああ、わかる。いいよねー」と当たり前のように返すものだから私はびっくりしてしまった。

 

 

 二人はホルモーという謎の言葉の話題で盛り上がっている。ホルモーを知らない私だけが置いていかれていた。戸惑っているのは、私だけのようだった。

 

 

「笑えるよねー」

 

 

「うんうん、思わずね」

 

 

「誰か好きな人とか、いたりする?」

 

 

「チョンマゲかな」

 

 

「えー、マジで? あ、でも、たしかにわかるわー。優しい感じがするよね」

 

 

 チョ、チョンマゲ? 好きな人がチョンマゲ? どういうことなの。この時代に誰かチョンマゲの人がいるの? どこかに。絶対目立つじゃん。

 

 

「あたしは楠木かな。かわいいよね」

 

 

「ギャップがいいよね」

 

 

「ねー」

 

 

 ギャップ。なんだろう。かわいいけど、実は積極的な肉食系で、みたいな? で、どうしてホルモーとやらの話が恋バナになっているのだろう。

 

 

「意外。絶対、芦屋って言うと思ってた」

 

 

「えー、やだよ。むしろ嫌いだし。絶対プライド高いもん」

 

 

「元カレにそっくりじゃん」

 

 

「あ、なるほど、だから嫌いなんだわ」

 

 

 めっちゃ嫌われてるじゃん、芦屋って人。でも、そんな男子いたっけなぁ。楽しげに笑い合う二人を、私はただ愛想笑いを浮かべてわかってもいないのに頷きながら眺めることしかできなかった。

 

 

「ね、あんたもホルモー好きだよね?」

 

 

 不意に、彼女の視線が私に向けられた。びくっと肩が跳ねる。二人の視線が、何かを期待するように私を見ていた。

 

 

「う、うん、好きだよ。お、おいしいよねー……なんて」

 

 

 答えて二人の顔を見た瞬間、私は自分の回答が間違えたことを誘った。一種運だけ、二人の表情が何もない能面のように固まって、それからはまた二人で話し始める。心なしか私を見ないようにしながら。

 

 

 私はその場から消えたくなるような恥ずかしい気分で赤くなった顔を隠すように俯いた。

 

 

「なぁ、お前ホルモー知ってる?」

 

 

「知ってる知ってる。俺もしてみたい」

 

 

 思わず顔を上げた。話していたのは離れたところにいる二人の男子だ。彼らもホルモーの話をしていた。

 

 

 いや、彼らや彼女たちだけじゃない。教室で話している誰もが、ホルモーの話をしていた。私はまるで奇妙な世界に迷い込んだかのような悪寒を感じた。

 

 

 みんな知っている。私だけが知らなかった。ホルモー。ホルモーって何。何なの。

 

 

 逃げるように教室から出る。廊下ですれ違う人たちもホルモーの話をしていた。耳を塞ぎたくなる。私はできるだけ聞かないように俯いて歩いた。

 

 

 辿り着いたのは図書室だった。現実から逃れるように、ふらふらと並べられた本の背表紙を眺める。

 

 

 ふと、一冊の本が目に入った。『ホルモー』という単語を見たような気がしたのだ。私はその本をじっと見つめる。

 

 

 『ホルモー六景』。そう書いてあった。これだ。みんなが話していたホルモーは、これだったんだ。やっと見つけた。

 

 

 私はその本を引っ張り出す。これでわかる。ようやく知れるんだ。ホルモーの意味が。

 

 

鴨川ホルモーのその後

 

 湯気に煽られ、かつお節が躍るきしめんと、ライス小。いつものメニューをトレーに乗せ、窓際の席に腰を下ろすと、目の前に豪勢極まりないメニューが並んでいた。

 

 

「ずいぶんリッチですな、高村くん」

 

 

 正面の席に座る色白で小作りな顔をした男は、「祭りですから」とよくわからぬ受け答えとともに、大学イモをくれた。

 

 

「昨日、実家の母親から電話がかかってきた。ねえ――安倍は大学でどんなサークル活動をしているのか訊ねられた時、どう答えてる?」

 

 

「何だよ、藪から棒に」

 

 

「昨日の電話の用件がそれだったんだ。やけにしつこく、僕が大学で何のサークルに入っているか訊いてくるんだよね」

 

 

「なるほど。で、どう答えたんだ?」

 

 

「教えなかった。誰が京大青竜会というところで、ホルモーやってます、なんて言える?」

 

 

 僕は親にウソをつきたくないんだよね。いかにも殊勝な顔つきで、高村は首を振った。

 

 

「何とか、うまく説明することはできないかな?」

 

 

「説明? どうやって? やめておけ、話したところで、余計不安を煽るだけだぞ。もしもお前がホルモーとは無縁の人間であったとしろ。俺がいきなりホルモーの説明を始めたところで、信じるか?」

 

 

 高村は所在なげに箸を遊ばせていたが、「信じない」と力なく首を振った。

 

 

「京都でホルモーをやっているみんなも、こんなことを考えたりするのかな?」

 

 

「どうだろう……まあ、やってることは同じホルモーだ。携わる人の数だけ、いろいろあるだろう。それにしても、お前がチョンマゲをやめてしまったのが惜しいな」

 

 

 というのも実は高村、京大青竜会に代々伝わる藍染めの浴衣を纏っていたからだ。かくいう俺も、同じ藍色の浴衣姿である。

 

 

 なぜ、俺が「チョンマゲ」などという単語を口走ったかというと、向かいの男が、ほんの三ヶ月前まで、チョンマゲだったからだ。

 

 

「そろそろ行くか」

 

 

 俺は時間を確かめて、トレーを手に立ち上がった。

 

 

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