その少年の顔を見て、私はぞっと背筋を震わせた。その無機的なガラスの瞳は、虚ろなまま、ただ私を見つめている。
私は人形が嫌いだった。大人になった今でも、人形を見ると、身体が恐怖で動かなくなるような錯覚を覚える。
たとえば、怪談でも大人気の日本人形。昔、祖母の家にある日本人形が怖くて仕方がなかった。
布団の敷かれた客間の、枕側の先に、その人形はいた。暗闇の中でそれを見ると、今にも動き出しそうで、そんな夢を見たこともある。
あとは、フランス人形。長い巻き毛の金髪に、青い瞳の女の子。幼い頃は大好きで、いつも抱えていたけれど、ある時を境に嫌いになった。日本人形よりも怖いくらい。
私が人形を怖がっているのは、それが人にそっくりだからだ。それこそが人形なのだろうけれど。
ただ、着せ替えやおままごとをしている時、ふと気づくのだ。それが人ではないことに。その瞬間、まるで冷や水をかけられたかのような悪寒を感じる。
透き通るほど白くて硬質な肌。青いガラス玉の瞳。虚ろなその表情に命はない。それを今まで人間として扱っていた自分の行為に、思わず生理的な嫌悪を覚えた。
だけど、私が一番嫌いなのは、腹話術用の人形だ。いっこく堂が持っているような、あの人形。
目や、口が動く仕掛けがついていて、口の端には開閉のための黒い筋が刻まれている。
私にはそれが、人間になろうとして、けれどもなれないような、そんな不完全な不気味さを感じるのだ。
今にも彼らは人間になろうとするために、私たちの魂を奪おうと襲ってくるのではないか。そんなことすら思う。
幼い頃は好きだった人形を、私がどうしてこんなにも怖がるようになったか。それは一冊の本を読んでからだった。
人形が物語る忌まわしい事件
今からもうずいぶん前の話になる。その家には、年老いた男と内気な少年と、それからちょっと風変わりな人形がいた。
人形の名前はリリカといった。家の主人である年老いた男の、亡くなった孫娘と同じ名前だった。
少年の名前はトシオといった。亡くなったリリカとは三つ年の離れた弟で、ぼくとトシオは友だちだった。
その頃、ぼくは小学六年生。トシオはぼくと同い年なのに、学年はひとつ下だった。それでもトシオは、当時のぼくの同級生の誰よりも頭のいい子だった。
トシオが住むその家は、兵庫県の、山の手に古くからあるお屋敷町のはずれに建っていた。
広い庭と高い塀をそなえた邸宅が建ちならぶ界隈にあって、その家はとりわけ雰囲気たっぷりの、見ようによってはいかにもいわくありげな洋館だった。
だからそのころ、ぼくたちはその家のことをこんなふうに呼んでいた。「お屋敷町のびっくり館」――と。
もう何年もの間心の隅にしまい込んであった「びっくり館」の思い出が、今頃になって大きく首をもたげてきたのには、あるきっかけがある。
六月五日、日曜日の昼下がり、とある古書店でたまたま手に取った一冊の本がそれだった。
『迷路館の殺人』。鹿谷門実。タイトルから察するに、その本はいわゆる推理小説のようだった。
ぼくはその本をそっと棚から抜き出し、手に取ってみたのだった。そして、表紙を一瞥してから、ひっくり返して裏表紙を見た。そこで思わず、ぼくは「えっ」と声を漏らした。
カバー裏のこの本を書いた作家の写真を目にした途端、軽い驚きを感じたのだ。
この人は? ――ああ、もしかしたら。遠い思い出のどこかに、鈍く疼く部分があった。もしかしたらぼくは、この人に昔あったことがある?
物語を読み進めるうちに出てきたある人物の名前に、ぼくの心は強く反応した。中村青司。それがその名前だった。
――そしておじいさまたちは、家の設計をある建築家に頼んだのね。思い出の中で、そんな声が響いた。あの風変わりな、「リリカ」の顔。その口が、声に合わせてカクカクと動いた。
――その建築家の名はナカムラセイジといって。そうして建てられたのがこのお屋敷……びっくり館だったの。ね? この声は――このセリフは、あの時あの部屋で繰り広げられた、あの異様な腹話術劇の中の。
気になり始めるともう、じっとしていられなくなってきた。調べてみると、どうやら、中村青司が設計した「館」には「事件」がつきものらしい。
その中に「びっくり館」の名があった。画面に表示された文章を読んで、今度はびっくりではなく、おろおろしてしまった。
ぼくは。ぼくはもちろん、この事件を知っている。いや、知っているどころの話ではない。というのも、この事件の第一発見者のひとりが、他の誰でもない、このぼく自身だったのだから。
長い間心の隅にしまい込んできた記憶ではあるけれど、もちろん忘れてはいない。忘れられるはずがない。あれは、そう……。
背筋の凍るおぞましい真実
『びっくり館の殺人』を読んだ時、私はまだ小学生だった。図書館で見つけて、「びっくりなんておもしろい」と思って借りたのだ。
綾辻行人先生といえば本格ミステリで有名な作家だけれど、その作品はいちおう少年少女向けと銘打ってあった。
まず、イラストにぞくっとした。生々しい、西洋画のようなタッチのイラストが、随所に挟まっていた。
表紙に描かれている少女の人形。薄暗い部屋に佇むそれは、どこか不気味で、寂しかった。
そして、表紙をめくったところにある少年のイラスト。その瞳は何の感情もないかのように無機質で、生きている人間を描いたものとは思えない。
少女の人形を抱えて腹話術をしている老人なんて、怪談でも語っていそうなほどに恐ろしい。
そのくせ、主人公やその友だちは感情も露わに描かれていて、それがいっそう対比を感じさせる。
物語は主人公が過去の事件を思い出す形で進む。回想であるがゆえに淡々としていて、ミステリではなくホラー小説を読んでいるかのようだった。
気味が悪い。それなのに、読みやすくて、すらすらと流れるように次のページをめくっていたことを覚えている。
けれど、読み終わった時には、私は抑えようのない気持ち悪さと、真相の驚きと恐怖で身体が震えるほどだった。
私が人形を嫌うようになったのはそれからだ。人形を見るたびに、私はその物語を思い出すのだ。
それは、人形が人にそっくりであるがゆえに、人形の虚ろな瞳に人間のおぞましさというものを、見てしまうからかもしれない。
人形が物語る忌まわしい事件
今からもうずいぶん前の話になる。その家には、年老いた男と内気な少年と、それからちょっと風変わりな人形がいた。
人形の名前はリリカといった。家の主人である年老いた男の、亡くなった孫娘と同じ名前だった。
少年の名前はトシオといった。亡くなったリリカとは三つ年の離れた弟で、ぼくとトシオは友だちだった。
その頃、ぼくは小学六年生。トシオはぼくと同い年なのに、学年はひとつ下だった。それでもトシオは、当時のぼくの同級生の誰よりも頭のいい子だった。
トシオが住むその家は、兵庫県の、山の手に古くからあるお屋敷町のはずれに建っていた。
広い庭と高い塀をそなえた邸宅が建ちならぶ界隈にあって、その家はとりわけ雰囲気たっぷりの、見ようによってはいかにもいわくありげな洋館だった。
だからそのころ、ぼくたちはその家のことをこんなふうに呼んでいた。「お屋敷町のびっくり館」――と。
もう何年もの間心の隅にしまい込んであった「びっくり館」の思い出が、今頃になって大きく首をもたげてきたのには、あるきっかけがある。
六月五日、日曜日の昼下がり、とある古書店でたまたま手に取った一冊の本がそれだった。
『迷路館の殺人』。鹿谷門実。タイトルから察するに、その本はいわゆる推理小説のようだった。
ぼくはその本をそっと棚から抜き出し、手に取ってみたのだった。そして、表紙を一瞥してから、ひっくり返して裏表紙を見た。そこで思わず、ぼくは「えっ」と声を漏らした。
カバー裏のこの本を書いた作家の写真を目にした途端、軽い驚きを感じたのだ。
この人は? ――ああ、もしかしたら。遠い思い出のどこかに、鈍く疼く部分があった。もしかしたらぼくは、この人に昔あったことがある?
物語を読み進めるうちに出てきたある人物の名前に、ぼくの心は強く反応した。中村青司。それがその名前だった。
――そしておじいさまたちは、家の設計をある建築家に頼んだのね。思い出の中で、そんな声が響いた。あの風変わりな、「リリカ」の顔。その口が、声に合わせてカクカクと動いた。
――その建築家の名はナカムラセイジといって。そうして建てられたのがこのお屋敷……びっくり館だったの。ね? この声は――このセリフは、あの時あの部屋で繰り広げられた、あの異様な腹話術劇の中の。
気になり始めるともう、じっとしていられなくなってきた。調べてみると、どうやら、中村青司が設計した「館」には「事件」がつきものらしい。
その中に「びっくり館」の名があった。画面に表示された文章を読んで、今度はびっくりではなく、おろおろしてしまった。
ぼくは。ぼくはもちろん、この事件を知っている。いや、知っているどころの話ではない。というのも、この事件の第一発見者のひとりが、他の誰でもない、このぼく自身だったのだから。
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