自由奔放な女性の光と影『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ


小さな窓から空が見える。嵌められた木の格子が、まるで檻のようにも見えた。いや、事実、この家は、私を閉じ込める檻なのだ。自由になりたい。そう願う私の胸には、今も一人の女性が憧れとして残っている。

 

『ティファニーで朝食を』を読んだのは、ちょうど私が高校生の頃だった。厳格な教育者だった祖父、女は夫に従順な女性であるべしという信念を持つ母に、私は心底疲れ切っていた。

 

当時の私は、よく図書室に訪れていた。本の匂いや静かな空気が好きだったのだ。私はよく机を借りて、勉強をしていた。

 

けれど、その日は、勉強する気力も湧かず、ただぼんやりとしていたと思う。そんな私を心配してか、図書室の先生が話しかけてきたのだ。

 

何を話したかは、覚えていない。けれど、先生は一冊の本を私に勧めてくれた。それが、『ティファニーで朝食を』だった。

 

「先生、でも私、読めません」読んでみたいという気持ちを抑えて、私は言った。

 

「読めない? どうして?」

 

「家族に言われているんです。小説なんて読むなって」祖父は小説のような娯楽が嫌いだった。そして、母は、女は賢くない方がいいと考えていた。読んだことが知られたら怒られるに違いなかった。

 

「じゃあバレないように読んだらいいじゃない、ね? きっと好きだと思うわよ」

 

結局、私は先生に勧められて、その本を読んだ。思えば、初めて家族の言葉に反したことだったと思う。背徳感と楽しさで、胸がどきどきした。

 

『ティファニーで朝食を』は有名な作品ではあるけれど、どちらかというと映画の方が有名で、オードリー・ヘプバーンの印象的な演技と音楽こそが、この作品を名作に引き上げたのだとされている。

 

ストーリーは、正直に言ってあまり面白いとは感じなかった。けれど、あの作品は、初めて読んでから何年も経った今でも、私の中に強烈な印象として残っている。

 

ヒロインのホリー・ゴライトリー。彼女の生き様に、私は強く惹きつけられたのだ。どこまでも自分勝手で、どこまでも自由な彼女に。

 

映画では、オードリーが演じる彼女と、語り手である作家の恋愛物語に改変されてしまっているけれど、私は、原作のホリーこそが、彼女らしいと思っている。

 

ホリーが何かをして働いている様子はない。彼女は、多くのお金持ちの男性と交友を持ち、彼らからの贈り物や、「刑務所の男に天気予報を伝える」ということをして生計を立てている。

 

彼女は、どこまでも自由奔放だった。他人からの評価なんて気にせず、常識から外れたことでも躊躇わない。周りの人たちが離れていっても、彼女は自分自身を最後まで貫くのだ。

 

その姿に、私は尊敬を抱いた。女が自由に生きるのは難しい。社会で生きるには、さまざまなしがらみが女の身体を縛っている。

 

けれど、彼女は結局、社会にも、男にも、何者にも囚われなかった。首輪をつけられない猫のように、どこまでも、自由だった。

 

彼女のようになりたいと思った。その願いは、今も変わらない。その願いを胸に抱えたまま、けれども結局、私は家族や社会から逃げられず、自由を縛る鎖はますます強固になっていくばかりだ。

 

良い家柄の生まれである夫は、一般的な目で見れば、素晴らしい結婚相手なのだろう。たとえ、家の中では横暴で、まるで王様のように振舞っていたとしても。

 

私の結婚が決まった時、祖父も母も、大層喜んだ。私は彼らがつくったお人形。最後まで、ただの道具でしかなかった。

 

いっそ、あの窓から、逃げ出してしまおうか。そんなことすら、思う。かつて憧れた、ホリーのように、自由の身になりたい、と。私はじっと、窓に映る空を眺め続けていた。

 

 

自由な女性、ホリー

 

以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。

 

たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド七十二丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。

 

その当時は、ホリー・ゴライトリーについて何かを書こうなんて考えもしなかった。そしてもしジョー・ベルと会って話をしなかったら、今だって思いつかなかったはずだ。でも彼と語り合ったおかげで、彼女の思い出が僕の中に今ひとたび鮮やかによみがえってきたのだ。

 

ホリー・ゴライトリーはその古いブラウンストーンの建物の、僕のちょうど真下の部屋を借りていた。ジョー・ベルはレキシントン・アヴェニューの角でバーを経営していた。今でもまだ経営している。

 

先週ジョー・ベルに会ったのは、かれこれ五、六年ぶりのことだった。これまでもときどきは連絡をとりあっていたし、近所を通りかかった時には彼の店に顔を出しもした。

 

しかしそれぞれホリー・ゴライトリーの友達だったということを別にすれば、我々はさして親しい間柄にはなかった。

 

だから先週の火曜日の夕方近くに電話のベルが鳴り、「ジョー・ベルだが」という声を耳にした時、これはホリーの話に違いないと思った。

 

 

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