「ひとつの物事も別の視点から見たら、まったく変わってくることだってあるよな」
テレビのニュースを見ながら、彼が呟く。いったい何の話だろう、と思ったけれど、彼が唐突にそんな話をすることは珍しくもないから、黙って耳を傾けた。
「たとえばさ、この事件、お前はどう思う?」
彼がそう言って指差したのは、ちょうどニュースで話題になっている事件だった。近頃、何日にもわたって報道されている。
それは一件の強盗事件だ。閑静な高級住宅街で起きた凶悪な事件は、警察の出動の遅さなど、不可解な点が多いことから多くの注目を集めていた。
「どう思うって、怖いなって思いますね。戸締りはちゃんとしないと」
「違う、そうじゃない。そんな単純な見方をして、裏を考えないことが、事件の真実を覆い隠すんだ」
「へえ、真実、ですか。それはどんなもので」
私の答えはどうやら、彼のお気に召さなかったらしい。残念だ。彼はコホンと咳払いをして、彼から見た事件を語り始めた。
映像では、犯人がひとりの男性を人質に取っているようだ。首に手を回して何かを叫んでいる。それはどこかドラマを見ているかのようで、どうにも現実味がない。
「この犯人と人質は、俺の見る限りグルだな」
「つまり事件そのものが狂言だと」
彼は頷く。真剣な目でニュースを眺めている彼の頭の中では、リポーターの声なんてちっとも聞こえていないのかもしれない。
「でも、どうせ囲まれているなら、どちらかが被害者を装うにしても逃げられないじゃないですか」
「だからもうひとり仲間がいるのさ。輪の外にな」
彼がそう言って指差したのは警察だ。ちょうどカメラに映ったのは、警察の指揮を取っている精悍な警官だった。
「こいつが犯人と人質役の仲間だな」
「警察ですけれど」
「お前、警察が悪事を冒さないと思っているのか。警察だって人間だ。悪事に手を染めることだってあるさ」
彼は警察嫌いである。昔、スピード違反で罰金を取られたのが気に入らないらしい。未だにあれは冤罪だと言い続けている。が、私から見ても、あれは違反していた。
「犯人は被害者に通報された。だから、犯人のうちのひとりは被害者を装って逃げることにしたんだ」
「警察の協力者はどこから出てきたんですか」
「元からいたのさ。出動を遅らせるために事前に手を組んでいた。だが、予定外に通報が早かったから、二人を逃げさせる方向に動かすことにしたんだ」
彼は自信に満ちた態度で堂々と言いきっている。いったいどこからそんな自信が出てくるのだろうか。私にはつくづく疑問である。
「小説家にでもなったらどうですか」
私がそう言うと、彼はまんざらでもなさそうに笑った。皮肉だったのだけれど、通じたのかはわからない。
現実を疑え
「事件、解決したらしいですね」
私がニュースを見ながら言うと、彼は、ほう、どれどれと隣に座った。テレビでは事件の結末をコメンテーターが話している。
結局、彼の言う事件の真実なんてものはなく、彼が仲間だと指摘した警官の指揮によって犯人を逮捕し、被害者を救出したらしい。
彼の語った事件の真実はとうとうただの創作でしかなくなってしまったわけだ。私がそうからかうと、彼は憮然として唇を尖らせる。
「ふん、メディアが正しいと信じ込めるなんて、お前はどこまでもめでたいものだな」
そう言った彼はどこまでもひねくれている。といっても、その理由はわかっていた。彼は最近、伊坂幸太郎先生の作品にはまっているのだ。
他ならぬ私が勧めたものだ。まさかここまで没頭するとは。伊坂先生の作品にはメディアや常識に疑義を呈すものが多く、彼はその影響を受けている。
今まさに読んでいるのは『ホワイトラビット』らしい。白兎事件と呼ばれている立てこもり事件を題材にしている作品だ。
「相変わらず伊坂先生の作品は素晴らしいな。最初から最後まで伏線だらけだ。読み終わった後にもう一度読みたくなるな」
彼はそんな感想を興奮気味に語っていた。彼はおかげでもっとひねくれた意見を持つようになったが、喜んでくれるのは素直に嬉しい。
なんて、思い出していると、ニュースのリポーターがまた別の事件を報じていた。
警官が事件を起こしたらしい。それは、あの強盗事件で彼が疑っていた警官だった。
「警官でも事件を起こすらしいな」
先入観に囚われない。私はどうやら、伊坂先生の作品が教えてくれたことを忘れていたらしい。
オリオン座が紡ぐ真実
白兎事件の一ヶ月ほど前、兎田孝則は東京都内で車を停め、空を眺めていた。冬の空に目をやり、新妻、綿子ちゃんのことを考えていた。
その時は、たまたま見上げた夜空にオリオン座があり、そこから綿子ちゃんが教えてくれた神話を思い出していた。
このオリオン座が、白兎事件全般に大きく絡んでくることは、物語の下地に織り込まれていることは、先にお伝えしておいた方がいいかもしれない。
彼らのグループは、若い起業家によるベンチャー企業のようなものだった。人を誘拐するのだから、まともな会社とは呼べなかったが、業務分担がなされている。
兎田孝則たちは言うなれば、仕入れ担当だ。指定された人間を連れ去ってくる役割なのだ。
後ろで物音がした。ペアの猪田勝が少し振り返る。女を車に押し込んだのは三十分ほど前のことだ。
「そういえば、あの話、聞いてるかい? 経理の話」
「逃げてるんだろ。どうせ、捕まるのにな」
グループの資金管理をしている女が行方を晦ましたのだ。みんながオリオオリオと呼ぶコンサルタントに言いくるめられたのだそうだ。
経理は捕まったのだが、彼女が持ち出した会社の金がどこかの口座に移された。そのため、会社の上役はオリオオリオを必死に探しているらしい。
そんな話をしながら、マンションに到着後、仕入れてきた人質を別の担当者に引渡し、そこで彼らの仕事は終わり、解散となる。
その日、綿子ちゃんは深夜になっても帰宅してこなかった。結婚後はもちろん、交際中を含めても、初めてのことだ。
その夜、零時直前に彼のスマートフォンに着信があった。通話ボタンを押した時には、すでに何が起きているのか、彼も察した。
「お前の妻を誘拐している」
真っ暗のテレビ画面に映る自分の顔を見ながら、兎田は呆然とするほかなかった。
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