彼女は幼馴染だった。幼稚園の頃から同じクラスで、小学校、中学校といっしょだった。
家が近くで、登校は同じ班だった。彼女は起きるのが苦手で、いつも僕が登校する途中で彼女の家のチャイムを鳴らして呼びに行っていた。
しかし、だからといってマンガみたいな甘酸っぱい関係かと言われれば、ちっともそんなことはない。あんなのはフィクションでしかないのだ。
彼女と仲が悪かったわけではないが、特別な関係だったわけでもない。登校がいっしょなだけで、それ以上の関係はなかった。
学校についてからはそれぞれがそれぞれの友だちと話す。そんな関係でしかなかった。
その関係は中学校の頃に終わりを告げた。父親の仕事の都合で引っ越すことになり、僕は地元を離れ、別の中学に転校することになったのだ。
みんなからもらった寄せ書きは今でもアルバムと一緒に置いてある。捨てがたい思い出のひとつだった。
そこに書かれたそっけないひとことが彼女との最後だった。
「久し振りだね」
だから、彼女からそう言われたとき、一瞬誰だかわからなかった。なにせ、彼女と会うのは中学校の頃以来だったからだ、十年ぶりにもなる。
彼女と僕は同じ会社の新入社員だった。にもかかわらず、彼女から声を掛けられるまで僕はちっともわからなかった。
彼女はきれいな大人の女性に成長していた。飾り気のないスーツがむしろスタイルの良さを際立たせていて、眼鏡が知的な印象を与えている。
おお久しぶりと返した僕の声は少し上擦っていた。彼女と旧知のように親しく話し始めた僕に、他の新入社員からの若干の嫉妬の視線が突き刺さっていた。
中学生の頃から彼女は見た目がかわいかったなという事実に、僕は今更ながら気がついた。
しかし、中学生はあくまでも子どもという意識が抜けておらず、異性として意識したことはなかったのだ。
それがしっかりとした大人の女性として姿を現したものだから、僕は初めて彼女を異性として強く意識することになったのである。
僕と彼女はクラスメイトだった頃よりも多く話すようになった。
知らない人ばかりの会社の中で知っている人がいるというのは安心できるものだったのだ。他者の目から見ても、僕たちはいっしょにいることが多かったろうと思う。
新入社員としての不安や仕事での苦労を相談しているうちに、僕と彼女の仲は深まっていった。
中学生の頃の僕がそういうふうになることを知ったら、きっと驚くだろう。
再会、そして
僕と彼女は自分たちの薬指にはまっている指輪を見て、互いに笑い合った。どこかこそばゆく、しかし、幸福感が胸に満ちていた。
僕と彼女はついさっき婚姻届けを出したばかりだ。彼女は、もう彼女ではなく、僕の妻になった。
「こうなるなんて思わなかったなあ」
僕が思わず呟くと、彼女がどうしたのと首を傾げてくる。
「いや、僕と彼女って子どもの頃はあまり話さなかったじゃん。朝、いっしょに登校する、それくらいで。だから、まさか夫婦になるなんて思わなかったよ」
僕がそう言うと、そうだねと彼女はどこか照れたように微笑んだ。
「幼馴染と結婚するなんて、まるで『陽だまりの彼女』みたいだね」
彼女の言葉に、僕はそうだなと返した。
彼女は越谷オサムという作家の大ファンだった。特に、『陽だまりの彼女』という作品がお気に入りらしい。
僕も読んでみたけれど、読後感がちょっと切なくて、けれど温かさを感じる作品だった。
急展開から急展開が続いて、読んでいた僕は驚きの連続だった。
それでもジェットコースターみたいな慌ただしさのない穏やかな作品になっているのは、浩介と真緒の二人が仲良くて魅力的だからだろう。
「浩介と真緒みたいな二人になりたいな」
「なろうよ。互いに想い合う二人に」
僕と彼女の未来に暖かな陽だまりが続いているように感じた。
幼馴染との再会から始まる恋愛
何度確かめても、受け取った名刺には「渡来真緒」とある。僕は名刺に印刷された名前とテーブルの向こうの人物の顔を繰り返し見比べてしまった。
そつなく答える姿は、「学年有数のバカ」と謳われた十年前の真緒とは結びつけにくい。
真緒が僕のクラスに転校してきたのは十二年前、中学一年の二学期の始業日のことだった。
小柄で愛らしい顔立ちの真緒は、性格の素直さもあって初めのうちは皆の人気者だった。
しかし、すこぶるつきのバカであることが判明した次は、気まぐれな性格が不興を買った。そうしてメッキが剥がれていき、いじめが始まった。
クラスでの真緒への対応は二つに分かれた。いじめるか、そそのかすか、だ。そういう日々の中、とうとう僕は我慢できなくなった。
真緒の髪に嫌がらせでマーガリンを塗っていた女生徒の髪に、僕はマーガリンを塗りたくった。
その事件で悪いのは僕ということになり、僕はみんなから遠巻きにされるようになった。
こうして僕の不遇な中学生活は始まった。僕に話しかけてくれるのは真緒だけで、出来の悪い彼女に勉強を教えることになったのだった。
真緒の勤める「ララ・オロール」のポスターが駅構内に掲出される頃には、真緒とやりとりするメールから他人行儀のくどい言い回しは消えていた。
仕事で掛ける電話からは仕事以外の話の割合が増え、携帯電話が鳴る時間帯は日中から夜に変わった。
待ち合わせ場所である大型レコード店の五階に、真緒は先に来ていた。僕の姿に気付く様子もなく、試聴用のヘッドホンでオペラか何かを聞いている。
中学生ということを差し引いても小柄で子供っぽかったのに、すっかり美しくなってしまった。
僕はずるいのかもしれない。偶然再会したのをいいことに食事に誘い、僕は彼女との距離を縮めたがっている。仕事上の付き合い以上の関係を持ちたいと望んでいる。
十年も凍結されていた思いが、僕の中でゆっくりと溶け始めていた。
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