手紙で紡がれるシンデレラストーリー『あしながおじさん』ウェブスター


 彼の描いた絵を見て、私は驚いた。闇を覗いたように暗く、しかし繊細な色遣いは、到底目の前の少年が為したものとは思えなかった。

 

 

「上手いな、なんて褒められたのは初めてです」

 

 

 寮長が手洗いに席を外している間に、少年は嬉しそうにそう囁いて微笑んだ。天使のような無垢な笑みだった。

 

 

 寮長にはいつも「絵ばっかり描いてないで働け」と怒鳴られるらしい。私は思わず閉口した。私の仕事は画家である。絵を描くことがまぎれのない仕事であるわけだが。

 

 

 彼の絵の才能がこのまま埋もれていくのはもったいないことだと感じた。私が彼の支援をしようと決意をしたのはその時だ。

 

 

 思い出したのは、ウェブスター先生の『あしながおじさん』である。本棚の片隅にひっそりと居座っていて、幼い私が興味のままに引っ張り出したのが始まりだった。

 

 

 両親のいないジュディは、ある時、院長に呼び出された。理由は、なんと、評議員のひとりが、彼女の文才を見込んで、大学に通わせてくれるというのだ。

 

 

 その代わり、ジュディにはある条件が課せられた。それは、「毎月、彼に手紙を書くこと」。

 

 

 奇妙な条件に彼女は首を傾げるが、院から出れるという誘惑に抗えず、ジュディは頷いた。

 

 

 学校に入学した彼女は、クラスメートの友だちと楽しい日々を過ごし、約束通り、手紙を彼に送った。

 

 

 決して姿を見せない彼にもどかしく思いつつも、ジュディは約束通り、手紙を書き続けた。

 

 

 院から連れ出してくれた彼に、ジュディは計り知れない恩を感じていた。しかし、彼女はとうとう、彼が病気なのだということを知る。

 

 

 とうとうジュディの前に姿を現した『あしながおじさん」。その正体は、いったい誰なのだろう。

 

 

 『あしなが育成会』など、親を亡くした子どもを世話する機関。親のいない子どもに投資する「あしながおじさん」は瞬く間に世界中で有名になった。

 

 

 ああ、私にもいつか、「あしながおじさん」で来ないだろうか。それはひとつの憧れでもあった。

 

 

 けれど、今ならば、それも必然かと思う。目の前の少年を見ると、そう思ってしまうのあった。

 

 

 ようやく気付いた。私は「あしながおじさん」に会いたかったのではない。私はずっと、「あしながおじさん」になりたかったのだ。

 

 

憂鬱な水曜日

 

 毎月の第一水曜日は、本当に恐ろしい日であった。びくびくしながら待っていなければならない、勇気を出して堪えなければならない、そして、大急ぎで忘れてしまわなければならない日であった。

 

 

 隅から隅まで清潔にして、塵ひとつないようにしておかなければならない。小さな九十七人の子どもたちに向かって、評議員さんたちにぞんざいな口を利かないようにいちいち言って聞かせなければならない。

 

 

 まったく厄介な日であった。それに、ジルーシャ・アボットは子どもたちのうちでも、一番年嵩だったので、自分でその日の辛い役目を何もかも、みんな引き受けなければならなかった。

 

 

 みんなの言いつけることをしたり、気の立っている院長に叱られたり、急き立てられたりして、朝の五時から彼女は立ち通しに立っていた。

 

 

 その日は済んだ。ジルーシャの知る限りでは、まったく都合よく済んだ。評議員は、この先一か月の間は厄介な小さい子どもたちのことなど忘れてしまおうと、今や銘々、楽しい炉端へ帰りを急いでいるのである。

 

 

 事が終わった後、ジルーシャは院長のぺネットに呼び出された。ジルーシャが下りていったとき、終いまで残っていた評議員のひとりが、ちょうど今、帰ろうとして、開け放した戸口に立っていた。

 

 

 ジルーシャは、その人の姿を、ほんのちらりと見ただけだった。しかも、背の高い人だと見ただけだった。

 

 

 自動車のヘッド・ライトが、家の中の壁にその人の影をくっきりと投げた。その影法師は、ひょろ長く伸びた手や足を気味悪く描き出した。それはまるで、足の長い、メクラグモであった。

 

 

 ジルーシャが事務所に入ると、意外なことには、リペットさんは、にこにこしているとは、はっきり言えないまでも、目につくほど愛想がよかった。

 

 

「今のお方はね、評議員さんのうちでも、一番お金持ちの方なんですよ。私は、お名前を教えてあげるわけにはいかないがね。これからも、名前は出したくないって、くれぐれもお断りがあったのでね」

 

 

 今日、例会の席で、あんたの将来について問題が出ましてね。こういって、彼女は間を置いた。

 

 

「視察委員のプリチャードさんがあんたを褒めた演説をなさいました。そうして、あんたの書いた『憂鬱な水曜日』という題の作文を、大きな声でお読みになったんです」

 

 

 こうなると、ジルーシャの、身に覚えのありそうな顔つきは、もはや見せかけではなくなった。

 

 

「さっきお帰りになったお方がさ、あんたを大学へ入れてやろうとおっしゃるのよ。あんたに創作の才があると思い込んで、文学者になるように、あんたを教育したいという、ご希望なのよ」

 

 

あしながおじさん (角川つばさ文庫) [ ジーン・ウェブスター ]

価格:682円
(2020/9/30 22:58時点)
感想(1件)

 

関連

 

大人だからこそ楽しめる不朽の名作『モモ』ミヒャエル・エンデ

 

 廃墟に住むモモは、たくさんの友だちに囲まれて、楽しい日々を過ごしていた。しかし、ある時、彼らが来なくなってしまう。時間が盗まれたのだ。時間泥棒たちに。

 

 

 時間の節約に必死な貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

モモ (岩波少年文庫) [ ミヒャエル・エンデ ]

価格:880円
(2020/9/30 23:00時点)
感想(140件)

 

環境が子どもを育てていく『秘密の花園』バーネット

 

 メアリは無愛想で不器量な娘だった。ある時、病気で親を失った彼女は、叔父の家に身を寄せることになる。彼女はその庭に、秘密の花園へと続く扉を見つけた。

 

 

 子どもを育てている貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

秘密の花園 (新潮文庫) [ フランシス・ホジソン・バーネット ]

価格:781円
(2020/9/30 23:02時点)
感想(4件)