私は途方に暮れて立ち尽くしていた。私の手の中にある羅針盤の針は、くるくると回るだけで、どこも指示してはくれない。
ただ無心で歩き続けて、二十年が過ぎた。歩いてきた道に何があったのか、今では思い出すことすらできない。
思えば、幼い頃から私は、およそ「目的」というものを持ったことがない。言われた通りにする。私には、「自分」がなかった。
ただ人から言われた通りにするだけの道は、なんとも楽だった。私は無心のままで、考えることもなく、ただ従ってさえいればよかった。
坂道や、谷底や、崖は、徹底して避けるようにした。汗を流すことが嫌だったからだ。言うことさえ聞いていれば、最小限の、小さな山まで案内してくれる。
山なし谷なしのおもしろみのない歩みだったけれど、私は存外気に入っていた。私自身、変化が嫌いで、努力が嫌いで、挫折が嫌いだったからだ。
私の道はただただフラットだった。いいね、平坦。退屈だけど、疲れはしない。それこそが私の道なのだと、私は頑なに信じていた。
目的がなくとも、ただ過ぎていくだけの何もない道が、私にとっての幸せだった。それでも、私自身が変わらなくても、道はその姿を変える。
私は足を止めた。それまで一本道だったのが、突然、大きく開けた場所に出てきたからだ。はるか遠くまで続く地平線が広がっている。
ここで冒頭に戻るわけなんだけれど。私は足を踏み進めることができなかった。
なにせ、いつも手を引いてくれていた「誰か」が、いつの間にかいなくなっていたからだ。
歩いたが最後、先に何が待ち受けているかわからなかった。どこかに深い崖があるかもしれないし、辛い坂道があるかもしれない。
それは、いやだなあ。しかし、だからとって、ずっとここに留まっているわけにもいかなかった。時間は刻一刻と進んでいる。
私は何かないものかと、辺りをきょろきょろと見回してみた。特に何もない。本棚にでんと置かれている一冊の本以外は。
手に取ってみると、そこには『魔法のコンパス』と書かれている。西野亮廣という先生が書いたらしいけれど。
興味がそそられた私は、ページを開いて読んでみることにした。そこには、作者の道が地平線の彼方にまで続いている。
未来に待ち受けるのは
お金、人生論、考え方、いじめ、戦争、その本には作者のいろんな思いが書かれている。
それは頷けるものもあったし、「それは違うかな」と思うのもあった。常識を突き破るような過激なのも、そこらかしこにあった。
それは一見、別々の話をしているように見える。けれど、私の羅針盤のように、針がグルグルしているわけでもない。
なんでだろう、と首を傾げていたけれど、その答えに気が付いたのは、それから随分と後のことだった。
彼の語る内容は、バラバラのようにも見えるけれど、実はあるひとつの方向に向かっている。
それは先生も作中で言っている、「面白い」というところだ。この本に書かれているのも、いや、いっそこの本すらも、先生の「面白い」ことのひとつだった。
先生のコンパスは回ってなんかいないのだ。ただ一点を指している。「面白い」という未来を。
そこに辿り着くためには、彼は坂道も谷も気にしない。いや、むしろ、悪路を歩くのを楽しんですらいる。
それは疲れた姿を見せないように斜に構えて平坦な道を歩くよりも、よほど眩しい生き方に思えた。
私は息を吐いて、まっすぐに前を見た。そこから先に道はない。何があるかわからない。以前の私なら、決して足を踏み入れないだろう。
でも、どうしてだろう。今は高揚感すらあった。よく目を凝らすと、遠くに面白そうなものが見えた。何かはわからないけれど、行ってみようか。
ふと、手元を見る。私のコンパスは、しっかりと私の進む道を指していた。先に何があるかわからない。でも、人生なんてそんなものだろう。私はまず一歩、新たな道なき道に足を踏み出した。
面白いことをしたい!
「出たらええやん。引くに引かれへんくなってるんちゃう? 『ひな壇に出えへん』とか言うてもうたから」
これは『オールナイトニッポン』の中で、番組リスナーから届いたメールに対してのナインティナイン岡村さんのご意見。
実は、岡村さんが僕の活動に言及したのは、これが初めてではなくて、発言の根っこには「芸人は皆やってるんやから、お前もやれよ」という主張があったんだよね。
この主張には賛同できなくて、「なんで、芸人なのに、皆と同じことをやらなきゃいけないんだろう?」と僕は思っていた。
岡村さんは「芸人だから、やれ」と言い、僕は「芸人だから、ヤダ」と言う。要するに、岡村さんと僕とでは、「芸人」の定義がそもそも違ったわけだ。
岡村さんは、漫才をして、コントをして、グルメロケをして、クイズ番組をして、ひな壇で頑張って、という、そういった仕事をする人を”芸人”と呼んでいる。
つまり、ここで言う「芸人」は”職業名”だ。世間の皆様が考える「芸人」もこっちだと思う。
しかし僕の考えは、世間の流れに逆らうような、そういう人たちが、その瞬間にとっている”姿勢”および”そういった姿勢をとる人”のことを「芸人」と呼んでいる。
つまり、生き様や姿勢。まあ、そんな感じ。僕は漫才もするし、コントもするし、絵本も描くし、学校も作るけど、ひな壇には出ないし、グルメ番組にも出ない。
それら全ては自分の中にある「芸人」のルールで、それに忠実に従って生きている。なんなら、「自分は誰よりも芸人」とすら思っちゃっている。
存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。僕は芸人で、とにかく面白いことをしたい。それだけ。
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