三人のおっさんが悪を懲らしめる『三匹のおっさん』有川浩


 幼い頃、父といっしょに『水戸黄門』をよく見ていた。優しい人たちを苦しめる悪人を黄門様一行が成敗するのを見て、憧れを抱いたものだ。

 

 

 けれど、大きくなっていくにつれて、いろいろなことを知った。幼い頃の淡い憧れは、気が付けば忘れてしまっていた。

 

 

 世の中に「悪」はたくさんいる。けれど、『水戸黄門』はいないのだ。好き勝手し続けている「悪」を成敗する人たちなんて、どこにもいない。

 

 

 私は大人になってから、そのことを知った。幼い頃に憧れていた「大人」の世界は悪党ばかりがのさばっている。

 

 

 黄門様のいない『水戸黄門』の世界は、きっとこんなふうになるのかもしれない。「悪」が当たり前のこととして受け入れられ、裁かれることなく平然としている。

 

 

 でも、どうすることもできないのだ。現実はフィクションじゃない。助けなんてあるわけもなく、苦しんでいる人たちは身悶えながら終わりを夢見て歯を食いしばる。

 

 

 どれだけ美辞麗句で飾っても、どれだけきれいごとで塗り固めても、ここはそんな世の中だ。

 

 

 ああ、幼い頃の私はなんと純真だったろう。「正義」が「悪」を倒すのが当然のことだと信じ切っていたのだから。

 

 

 気が付けば、そんな私も年を取った。髪は白くなり、顔には深い皴が刻まれた。鏡を見れば、腰が曲がった立派な老人が私を見返してくる。

 

 

 世の中にきれいなところなんてないことを知った。汚い大人がたくさんいることを知った。そして、自分もまた、そんな汚い大人のひとりだと知った。

 

 

 長い年月の中で自ずと学んだ「悪」が、私の皴には刻まれている。人は誰もがこうして、幼い頃に信じた「正義」を忘れていくのだろう。

 

 

年を取っても

 

 本を読むようになったのは最近のことだ。定年を迎えて長年勤めていた仕事を辞めてから、何もしない暇な時間が有り余るようになってしまった。

 

 

 読書はその時間を紛らわせるためのものだった。若い頃は思わなかったが、今になって読んでみるとなかなかにおもしろいものである。

 

 

 『三匹のおっさん』はその中のひとつだ。三人のおっさんたちが暇な時間を活用して自警団のようなボランティアを始めて、悪人たちを懲らしめていく、というものだった。

 

 

 私はそれを読んだ時、自分の中に、枯れ果てたと思っていた活力がふつふつと湧いてくるのを感じた。

 

 

 記憶がよみがえる。幼い頃に『水戸黄門』を見て、拳を握っていた頃の記憶だ。無邪気に「悪」を憎み、「正義」を信じた心。

 

 

 彼らは定年を迎え、子どももいる、ひとりの老人だ。私と同じ。しかし、『三匹』として活動している彼らは、少年のように若々しく、かっこよく、華があった。

 

 

 その姿に憧れる。彼らのように年を取りたかったと思った。私もまた、「悪」を打ち倒すような「かっこいい老人」になりたかった。

 

 

 しかし。私は自分の手を見る。痩せ細った、骨と皮のような手だ。私には彼らのような武術の心得もないし、技術力もない。力の弱い、老人に過ぎない。彼らと同じようにはなれない。

 

 

 あんなに都合のいい「正義」は物語の中にしかいないのだ。現実には、よぼよぼの身体を抱えた老人がいるだけ。

 

 

 だが。私は拳を握り締める。別の方法でなら、私でも「正義」になれるのではないのか。

 

 

 私に力はない。だが、長年の経験で培われた人脈と知識には自信があった。彼らのような手段でしかできないこともあれば、そうではないこともある。

 

 

 私は『水戸黄門』にはなれないし、『三匹』にもなれない。だが、「正義」にはなれるはずだ。時間もあるし、方法もある。あとは勇気だけ。

 

 

 枯れ果てたと思っていた私の心に、ひとつの光が灯っていた。老人になったから、ではない。老人になったからこそ、だ。

 

 

おっさんたちが悪を打ち倒す

 

「ま、第一段階でお疲れさまでした」

 

 

 第一段階のお疲れさま。第二段階としては月末に控えている定年退職がある。清一の会社では六十歳の誕生日が定年で、清一は三月生まれだった。

 

 

 清一の勤める会社では、社員が定年を迎えた場合、年金が下りるまでの足しにと系列会社や何かに嘱託扱いで再就職を世話してくれる。清一は系列のゲームセンターの売り上げ管理を打診されていた。

 

 

 最後の出勤日には帰りに部署の女性社員から大きな花束を手渡され、一応挨拶の口上を述べた。しかし、帰宅してからのお祝いの席は息子夫婦に台無しにされて、無言で家を出る。

 

 

 こういうときの逃げ場はいくつか持っていた。清一は『酔いどれ鯨』という看板を上げている近所の赤提灯に向かった。

 

 

「ああ、キヨさん。いらっしゃい、奥空いてますよ」

 

 

 やがて店の二階に繋がっている階段をどかどか下りてくる足音がし、清一の世代としてはガタイのいいおっさんが現れた。

 

 

 立花重雄、清一とは子どもの頃からの腐れ縁で、この店の前店主でもある。これにもう一人足して、子どもの頃は町内中の大人に悪名を馳せていた。――「三匹の悪ガキ」と。

 

 

「ノリも呼ぶか」

 

 

 重雄が呼び出した有村則夫は背の低いひょろっとした体格だ。頭の出来がよく、「三匹の悪ガキ」の中ではこれが参謀役だった。

 

 

 翌朝、清一は数十年来の日課通り道場へ向かい素振りから稽古を始めていた。すると、重雄が道場を訪れた。

 

 

「相談なんだけどよ」

 

 

 重雄のその切り出し方と表情には遠い昔に覚えがある。子どもの頃、何かろくでもないイタズラを思いついて「三匹の悪ガキ」内で披露するときだ。重雄はニヤリと笑った。

 

 

「『三匹の悪ガキ』のなれの果ての『三匹のおっさん』どもでよ、私設ボランティアでもやってみねぇか」

 

 

 清一は唇の片端を上げた。子どもの頃はろくでもないイタズラでこんなふうに笑い合った。今の感覚も基本的にはその頃と変わりはない。

 

 

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