ふるさとを離れて暮らす方に『島はぼくらと』辻村深月


 船で通学していた、と言うと、よく驚かれる。私自身、自分が学生だった頃、船での通学が決して好きではなかった。

 

 

 私の出身は離島である。小さな島の中には中学校までしかなく、高校は近隣に浮かぶ島にあった。その通学手段は、船しかなかったのである。

 

 

 船通学の不便なところは、時間が縛られているというところだった。なにせ、便がそこまで頻繁に出ているわけでもないのだ。

 

 

 朝のホームルームに間に合うには、二便では間に合わない。間に合ったとしても飛び込みになる。余裕を持って通学するには始発に乗るしかなかった。

 

 

 しかし、ホームルームが八時なのに対して、始発は六時五十分頃。当然、間に合うように朝は慌ただしく準備しなければならない。

 

 

 かといって、学校に着いても早すぎて誰もいない。ぽつぽつと人が来るのは四十五分を過ぎたくらい。それまでは、どうにか退屈を紛らわさなくてはならない。

 

 

 行きだけではなく帰りも、不便そのものだった。学校は普段、部活も合わせて六時くらいに終わる。しかし、始業式の日などの行事ごとだけの日には昼前に終わることもあった。

 

 

 そんな時、船の時間は十一時。しかし、それを過ぎれば、十二時便は存在しなかったため、十三時まで待たなければならなくなる。

 

 

 港には何もない。売店もなければ退屈を凌げるテレビもない。あるのは、種類の少ない自動販売機くらいだ。

 

 

 台風が来れば船はすぐに止まる。そうなれば、離島の子たちは学校自体が公休の扱いになった。得したことといえば、その程度しかない。

 

 

 「島の子」と呼ばれることが苦痛だった。そんなレッテルでひとまとめにしてほしくはなかった。学生時代の私はずっと、離島という牢獄から逃れようともがいていたのだ。

 

 

 それが変わったのは、ある一冊の本を読んだことだった。それは、辻村深月先生の『島はぼくらと』という作品である。

 

 

 瀬戸内海に浮かぶ冴島という離島で暮らす四人の高校生を描いた青春小説だ。読み始めた私はすぐに、自分の心境と重なってしまった。

 

 

 しかし、彼らの境遇は、私よりもよほど不便だ。同じ離島の生徒は四人だけ。部活に力を入れることができず、入部してもすぐに帰ることになるからいつまでも客人扱いだ。

 

 

 私が驚いたのは、彼らがそんな自分たちの境遇を呪うことなく受け入れていることだ。いや、それどころか、彼らの言葉には自分たちの故郷に対する確かな愛着があった。

 

 

 どうしてそんなに、不便な生活を受け入れられるのだろう。私には疑問だった。自分たちよりも不便なはずの彼らが、島を愛していることが。

 

 

 私と彼らの違いは何なのか。それは、島の魅力に目を向けるか、あるいは目を背けるか。そこにあるのではないだろうか。私はようやくそのことに思い至った。

 

 

 私はずっと、島の外に魅力を見出してきた。ずっと島から出たかった。しかし、私の暮らす島にも魅力はあるのかもしれない。私は初めて、自分の島に目を向けた。

 

 

 柑橘が美味しい。近所付き合いが活発だ。子どもたちはいつも元気な挨拶をしてくれる。海がきれい。自然が豊富。

 

 

 私は数えきれないくらいに見つかる島の魅力に愕然とした。どうして今まで気づかなかったのだろう。それほどまでに、私が島を見る視点は変わったのだ。

 

 

 島はぼくらと。その言葉は作中に出てくる標語である。まさに、島は私たちとともにあるのだ。

 

 

 そして、今。学生の頃にはずっと出ていきたかった島で、私は今も暮らしている。

 

 

離島で暮らす彼ら

 

 本土のフェリー乗り場はいつも、目が痛いほどの銀色だ。夏はなおさら。午後四時になっても陰りを見せない太陽がコンクリートを灼き、無数の銀色の粒がきらきらと輝いて見える。

 

 

 銀色のコンクリートが途切れた先に、海が広がる。瀬戸内の海は、遠目に見ると、エメラルドグリーンとしか言いようのない色が濃淡をつけながらひたすら続く。

 

 

 池上朱里の住む冴島は、本土にフェリーの高速船で片道四百五十円、ニ十分ほどの距離。

 

 

「おっそいね、新たち」

 

 

 朱里の横で、ともにコンクリートに座り込んだ榧野衣花が言う。折りたためる麦わら帽子は、つばが広くて、まるで女優のバカンス用だ。

 

 

「おおーい、待ってー」

 

 

 声が遠くで聞こえ、朱里と衣花は顔を上げる。乗り場に横付けされたフェリーが吐き出すエンジン音が、一段と大きくうなり始めた。そろそろ出発という合図だ。

 

 

 券売機のあるフェリー事務室から、矢野新が顔を出した。バランスを崩し、肩にかけたスポーツバッグから中身がコンクリートの上にぶちまけられた。

 

 

 おたおたとバッグを元通りに直す新の背後から、涼しい顔をした青柳源樹が現れたのはその時だった。

 

 

 人口三千人弱の島に高校はない。朱里たち島の子どもは、フェリーで本土の高校に通うことになるわけだが、そのせいで、島の子どもたちは部活に入れない。

 

 

 夏休み直前、七月半ばの船内は混み合っていた。夏は観光シーズンで一番のかき入れ時だし、Iターンの人たちも帰省の関係で島との行き来が活発になる。

 

 

「ね、ね、あの人の着てるTシャツの柄、アシークのアルバムジャケットじゃない?」

 

 

 新がデッキの前方を指差した。見ると、のそっとしたシルエットの若い男性がひとり、前方のベンチに座っていた。知らない人だ。

 

 

 男がこちらに気付いた。立ち上がり、こっちに向けて手を挙げる。穏やかな声で「ねえ、君たち」と近づいてきた。

 

 

「君たち、冴島の子?」

 

 

「そうですよ」と答えたのは、衣花だった。

 

 

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