「湿地の少女」は本当に犯人なのか『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ


小鳥のさえずり。蛙の鳴き声。木の葉の擦れる音。私の足が落葉を踏みしめる。私の息遣いが、自然と交わって、ひとつになる。自然は、こんなにも命の音に溢れているのだと、私は今まで知らなかった。

 

ディーリア・オーエンズ先生の『ザリガニの鳴くところ』を読んだのは、そもそも大したきっかけではなかった。新刊コーナーに並んでいたから。それだけのこと。海外で高い人気を誇っている話題作だと知ったのは、読後感に酔いしれた後のことである。

 

物語は沼地から始まる。ひとりの男が倒れている。彼の名はチェイス・アンドルーズ。すでに命は失われて、自然の中の光景のひとつになっていた。そのままなら、彼は自然によって痕跡を消されていただろう。二人の少年に見つからなければ。

 

町でも有名だったチェイスが亡くなったことで、すぐに警察が動き出した。彼らの調査の末、浮上してきたのは、「湿地の少女」と呼ばれている、沼地にたったひとりで暮らすひとりの女性であった。

 

カイアというその少女は、六歳の頃にひとりぼっちになり、以来、ひとりで生き抜いてきた。学校にも通わず、町の人々からの差別を受けながらも、少年から教わった文字の読み書きと、優れた自然の知識を記した本を出版し、一躍時の人となった人物である。

 

果たして、彼女は本当に事件の犯人なのか。気になって、気になって、読んでいる途中から止まらなくなった。辿り着いた、と思ったら、まさかのどんでん返し。燃え尽きた。

 

灰となった私の胸中に湧き上がってきたのは、自然に対する強い憧憬であった。「ザリガニの鳴くところ」に、行ってみたいと思ったのだ。

 

でも、調べてみて思い知らされたのは、人の手が入っていない自然なんて、保護区に指定されているくらいには、よほど珍しいのだということ。

 

人間が利便さを追求して生み出した科学は、ここまで自然を呑み込んでしまっているのだと気付かされる。思わず、罪悪感のようなものがこみ上げてきた。

 

思い出したのは、何年も前に話題になった、オオカミに育てられた少女の話。彼女たちは、四つ足で歩き、嗅覚が優れていたという。

 

彼女たちを保護したシング夫妻は、彼女たちを人間社会に融和させようと試みたけれど、二人ともそう長く生きられなかったという。

 

真実かどうかはわからないけれど、私はその話を聞くたびに、いつもやりきれなくなる。どうして彼女たちを自然のままにしてあげられなかったのだろう、と。

 

現代社会はずっと便利になった。そして、これからも便利になっていくだろう。けれど、私たちはその代償として、自然のままでいることの尊さを、忘れてしまったように思う。

 

かつて、同化政策というものがあった。日本や欧州は、植民地にした国の文化を捨てさせて、自分たちの文化を学ばせた。彼らはそれが最善なのだと信じていた。遅れた文化を棄却し、自分たちの浸った優れた文化を教えてやるのだ、と。

 

それが忌むべきものであったことは、誰もが知っている。けれど、科学が自然に対して行っていることも、同じなのではないだろうか。

 

その土地には、その土地の自然がある。それを無理やりに歪めると、どうなるか。美しい自然の調和は崩れ去り、後に残るのは、理路整然とつくられた気色の悪いジオラマだけ。

 

自然を支配するのではなく、自然とともに寄り添う。カイアのように。自然の中で生きる彼女自身もまた、自然のひとつだった。

 

私が一番好きなのは、裁判の場面だ。被告席のカイアの後ろに、彼女の味方がひとり、またひとりと増えていく。けれど、彼らは言葉を出すわけじゃない。ただ、彼女を見守るだけ。

 

私たちはいつから、見守ることができなくなったのだろうか。子どもがこけた時、慌てて駆け寄って手を引っ張って立たせるようになったのだろうか。その子どもはきっと、またこけた時に立ち上がることもできなくなるのに。

 

 

湿地の少女

 

湿地は、沼地とは違う。湿地には光が溢れ、水が草を育み、水蒸気が空に立ち昇っていく。ゆるやかに流れる川は曲がりくねって進み、その水面に陽光の輝きを乗せて海へと至る。

 

いっせいに鳴きだした無数のハクガンの声に驚いて、脚の長い鳥たちが――まるで飛ぶことは苦手だとでもいうように――ゆったりとした優雅な動きで舞い上がる。

 

そして、その湿地のあちこちに、本当に沼地と呼べるものがある。じめじめした木立に覆い隠され、低地に流れ込んだ水が泥沼を作っている。

 

泥だらけの口が日差しを丸呑みにするせいで、沼地の水は暗く淀んでいる。夜に活動する大ミミズでさえ、この隠れ家では昼のあいだも動き回る。

 

もちろん無音というわけではないが、沼地は湿地と比べて静かでもある。分解は細胞レベルの現象だからだ。生命が朽ち、悪臭を放ち、腐った土くれに還っていく。そこは再生へとつながる死に満ちた、酸鼻なる泥の世界なのだ。

 

一九六九年十月三十日の朝、その沼地に、チェイス・アンドルーズの遺体が横たわっていた。沼地はひっそりと、だが着実に遺体を引きずり込み、それを永遠に包み隠してしまうはずだった。

 

沼は死というものをよく知っていて、それを悲劇と決めつけることも、むろんそこに罪を見出すこともない。

 

しかし、この日の朝は村の少年が二人、自転車を走らせて古い火の見櫓にやってきた。そして三つ目の踊り場まで階段を上ったところで、アンドルーズのデニムの上着に目を留めたのだった。

 

 

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