見えない人の世界『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗


目が見えない人にとって、世界はどのように見えているのだろうか。真っ暗? 真っ白? 彼らはどうやって日常を送っているのだろう。それは目が見える私にとって、決して知ることができない秘密のひとつだった。

 

『春琴抄』という文学作品を読んだことがある。春琴という優れた技術を持つ盲目の琴奏者の女性と、生涯を賭して彼女に仕えた弟子の物語。弟子は、敬愛する師が顔を火傷した時に、彼女に恥をかかせないために自分の目を突き刺して視力を失った。

 

春琴は、視力を失っていながらも美しい琴の音色を演奏することができた。それも、まだほんの子どもの頃から。弦を見ることができない彼女が、いったいどうしてそんなことができたのだろう。

 

一度そんな疑問に囚われると、頭から離れなくなった。真実を知るには、春琴の弟子のように自分の目を突き刺すしかない。でも、私にそんな勇気はなかった。

 

その本と出逢ったのは、そんな時である。伊藤亜紗先生の、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という。その表題を見た私は、さながら天啓を受けたような錯覚に襲われた。さっそく手に取って読んでみる。

 

その本は、盲目の人たちの世界がどのようなものかを追求していた。福祉的な、「目が見えない人を助けてあげましょう」という内容ではなく、純粋に、身体的な意味合いで盲目を捉えているのが特徴といえるだろう。

 

面白いと思ったのは、目が見えない人でも文字を「読む」ということ。彼らは点字を手で触れることで言葉を辿る。けれど、それは私たち見える人のいうところの、いわゆる「触れる」と同じというわけではない。

 

すなわち、私たちが目を使って見ているものを、彼らは手や耳、鼻などの、目以外のもので賄っている。だから、彼らもまた、目で見ていないだけで、世界を「見て」いるのだ。

 

『春琴抄』の弟子は、視力を失ったことでむしろよく見えるようになった、と言っている。それはどういうことかと思っていたけれど、この本を読んだ今ならわかる気がする。目で見えないからこそ、彼らは私たちよりも「見えて」いるものがあるのだろう。

 

もしも、学校に通っているとして、私たちのクラスに視覚障害者がいたら、私たちはどうするだろうか。きっと、誰もが気を遣うようになるのだろう。教師も、そうしなさいと言う。

 

でも、この本に書かれているエピソードを読んで、はっとした。かつては見えていたが、視覚障害者となった彼がかつての友人と再会した時、気を遣われるようになって寂しくなったという。

 

私たちは、視覚障害者を「助けてあげなければ」と思う。でも、その優しさは、ある種の傲慢のようにも捉えられないだろうか。

 

盲目も個性のひとつだと考えれば、どうだろう。できないことを誰かに補ってもらうのは、見える人も見えない人も変わらない。きっと、たかがその程度のことに過ぎないのだ。

 

美術鑑賞をしようとした盲目の人がいるという。そして、彼は見事に成し遂げた。私たちは、私たちの常識だけで世界を見ることを、そろそろやめた方がいいのかもしれない。

 

目で見える世界は、たしかに私たちは彼らよりもよく知っている。でも、それは世界のほんの一部で、そうじゃない世界もある。彼らはその世界を、私たちよりもよく見て生きているのだ。

 

私には春琴のような師匠はいない。でも、彼らの見ている世界を見てみたいと思う。それを知ることのできる彼らを、羨ましく思う。

 

その憧憬は、視力があるからこその傲慢なのかもしれない。でも、それでも、私は彼らのことが知りたいのだ。私たちは視力に囚われて、本当に大切なものすら見えていないから。

 

この世界の別の顔

 

人が得る情報の八割から九割は視覚に由来すると言われています。しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまいます。

 

本当は、耳でとらえた世界や、手でとらえた世界もあっていいはずです。この「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストが、目が見えない人、つまり視覚障害者です。

 

本書は、視覚障害者やその関係者六名に対して著者が行ったインタビュー、ともに行ったワークショップ、さらには日々の何気ないおしゃべりから、晴眼者である私なりにとらえた「世界の別の顔」の姿をまとめたものです。

 

世界の別の顔を知ることは、同時に、自分の身体の別の姿を知ることでもあります。世界とのかかわりの中で身体はどのように働いているのか。本書は、広い意味での身体論を構想しています。

 

しかし、見えない体にフォーカスするからといって、必ずしもそこから得られるものが限定的だというわけではありません。本書はいわゆる福祉関係の問題を扱った書物ではなく、あくまで身体論であり、見える人と見えない人の違いを丁寧に確認しようとするものです。

 

とはいえ、障害というフェイズを無視するわけではありません。助けるのではなく違いを面白がることから、障害に対して新しい社会的価値を生み出すことを目指しています。

 

それでは早速、「見えない人」の世界を垣間見てみましょう。

 

 

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春琴は美しい少女であり、優れた琴の技術を持っている。だが、盲目であり、苛烈で我儘な性格をしていた。彼女に仕える丁稚の佐助は、生涯を通して彼女を敬愛し、仕えた。

 

目が見える貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

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