人間を成熟させるひとりの時間『孤独力』津田和壽澄


ひとりになりたい。唐突に、そう思った。その瞬間から、私はみんなと一緒に外で遊ぶことをやめ、空っぽになった教室や、図書室に通い詰めて休み時間を過ごすようになった。小学四年生の頃のことである。

 

人と遊ぶのは楽しい。ややいじめられていた気質ではあったが、クラスメイトたちは遊びに入る私を拒絶したことはなかった。

 

私と彼らとの間がズレてきたのは、私がともに遊ばなくなった小学四年生からである。いじめられはしなかったものの、私は彼らの輪の中から外れ、私と彼らとの間には明らかな壁ができていた。

 

私自ら離れていったとはいえ、やはり空っぽの、薄暗い教室で、校庭からはしゃぐ声をひとりぼっちで聞くのは、どこか寂しかったのを、よく覚えている。

 

だが、今にして思えば、あの寂しさも、孤独の時間も、私に必要なものだったのだろう。そう考えれば、いじめという形の「干渉」ではなく距離を置くことを選んだクラスメイトたちには感謝すべきなのかもしれない。

 

津田和壽澄先生の『孤独力』を読んだ時、思い出したのはその時期の、誰もいない空っぽの教室だった。窓の外から響く楽しそうな声がまるで別世界のように聞こえた、静謐な空間。

 

「孤独」という言葉には、悪い印象がつきまとっている。特に学生にとってその言葉は、身を震わせるようなぞっとする代物だろう。

 

しかし、この本が言うには、「孤独」には二つあるのだという。私たちの思う、悪い意味での「孤独」、ロンリネスと、精神と思考を深める、良い意味での「孤独」、ソリテュードである。

 

私たちは多くの人の中で生きていて、ひとりでは決して生きていけない。しかし、誰しも人付き合いが嫌になり、「ひとりになりたい」とぽつりと思う瞬間というのがあるはずだ。

 

ひとりになることで、思考をより深め、自己を見つめ直すことにより、自分自身を再認識する。「孤独」は、そうした作用を持っている。「孤独」に浸ることで、より精神が円熟したものへと変化していくのだ。

 

「孤独」は生きていく上で必要なものである。だが、多くの人はそのことに気付かず、「孤独」を拒絶する。その理由は、二つの「孤独」が混同されてしまっているからだ。

 

ひとりになりたい。でも、彼らの誘いを断ったら、彼らの機嫌を害してしまうのではないか。彼らの仲間から外れてしまうのではないか。この学校生活で、自分はひとりぼっちになってしまうのではないか。

 

そんな「孤独」に対する恐怖心から、私たちはしばしば自分自身を殺し、友だちの要求を全て受け入れる。どれだけ自分自身が傷つこうとも。

 

しかし、そんな、他人の顔色を窺うばかりの人生が、いったい何になるのか。

 

「孤独」であることが、時として悪いことであるかのように言われる。私は学生の頃、みんなと一緒に過ごさなかったがために、教師から問題児として見られていた。

 

そんな社会に蔓延る孤独への偏見こそが、私たちの中に「孤独」への嫌悪を植え付け、二つの孤独を混同することとなった元凶なのである。

 

ひとりになりたい。そう思うのは決して悪いことではないのだと、この本は教えてくれた。むしろ、「孤独」を求めるのは、それが自分のために必要なのだと、わかっていたからなのだ。

 

私は今、親の手もとを離れ、ひとり暮らしをしている。部屋の隅の小さなテーブルの上にパソコンひとつ、夜は車の音すら聞こえない、静かな場所だ。会話もないし、誰もここに訪れない。

 

だが、いや、だからこそ、私は今、幸福だった。何ものにも破られることのない静寂。その静寂に身を沈めるのは心地いい。一切の恥も悲壮感もなく、ただ歓喜を持って言える。私は今、孤独なのだと。

 

 

二つの孤独

 

タイトルとした「孤独力」という言葉から、あなたは何を想像したのでしょう。それとも「ひとりの時間」という言葉に興味をひかれ、この本を手にとってくださったのでしょうか。

 

「孤独」のもつ二面性の意義を認識し、その積極的効用を生活の中で活性化させる楽しさを探求していきたいというのが本書のテーマです。

 

わたくしたちは「ひとり」では生きられません。とはいえ、「ひとり」でいたい人が「協調性がない」「変わり者」などと否定される必要はありません。

 

なぜならば、精神の自律性は「ひとりの時間」の中からこそ育まれていく能力であり、いつも「群れ」て協調性だけに気を配っているのでは、その力は細く弱くなってしまうからです。

 

しかし、わたくしたちがその対処法をそれぞれの生き方として問われるとき、それまでに培われた「孤独力」の差が生活の質を決めていくことは確かなことに思えます。

 

では、「孤独力」とは具体的には何を意味するのでしょうか。

 

それは、簡単にいうならば「孤独」のもつ二面性のうち、明るい孤独ともいうべき、自らが選び取った積極的なひとりの時間から湧き出る効用を意味します。

 

これまで、主として考えられてきた関係性を断たれたところからくる感情としての「孤独」ではなく、その後必要なエネルギーを湧き立たせる「孤独」の明るい側面に焦点を当てています。

 

「孤独」を欲することは、身体が本能的に不足な成分を補おうとすることと同じなのです。「孤独力」は必要に応じた時と形で必ず、あなたを楽しませてくれるのです。

 

 

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