王になった男『あるキング』伊坂幸太郎


私は玉座に座る男を見遣る。前王を滅ぼし、王になった男。眼下を静かな瞳で睥睨する男の表情には、どこか寂しげな、孤独の色があった。滅びの足音は、すぐそばまで迫ってきている。

 

「私はな、王になるべくしてなったのだ」

 

彼は幼い頃、三人の魔女から予言を受けた。「お前は王になる」と。その言葉通り、彼は王となった。しかし、新たな予言が、今度は彼の身を滅ぼさんとしている。

 

「私は予言を信じて、お前の命を奪った。ただひとりの友を。この玉座は孤独の椅子だ。お前を失った今、私の周りには誰もいない。きっとそれこそが、王という存在なのだろう」

 

私は彼を憐憫の目で見つめる。自分の言葉は、すでに彼には届かない。私は私の命を奪った彼を恨んではいなかった。ただ、彼を哀れに思った。それだけだった。

 

私はある男を知っている。遠く遥か未来の、物語に描かれることになるもうひとりの王を。その男はどこか、かつての友人であった彼に似ている。

 

仙醍キングスという弱小チームの狂信的なファンである山田亮と山田桐子のもとに、ひとりの少年が生まれた。彼が生まれたのは仙醍キングスの監督、南雲慎平太が大敗した引退試合の直後であり、彼が亡くなった瞬間のことであった。

 

運命的な誕生を果たした彼は、王求と名付けられ、生まれながらにしてある使命を帯びた。仙醍キングスの無念を晴らす。その使命の通りに彼は三歳にしてバットを握り、テレビの前で完璧なスイングをした。

 

やがて成長した王求は、精悍な野球少年へと成長していく。父親が逮捕され、高校を退学になるなど、数々の困難にぶつかりながらも、彼は仙醍キングスへの入団を果たした。

 

王求が打席に立つと、ストライクゾーンに飛んできたボールは必ずホームランになる。打率は九割。ほとんどの投手は彼との対決を避けて敬遠した。

 

しかし、優れた成績にも関わらず、世間での彼の評価は決して良くはなかった。犯罪を犯した父親。チームメイトや監督からは憎まれ、「お前がいると野球がつまらない」とまで言われてしまう。

 

社会は優秀であることを称賛する。完璧であることを求め、勝利を望む。しかし、それが彼らの常識を凌駕していた時、彼らは途端に手のひらを返し、優秀であること、完璧であることを非難し、勝利を貶めるのだ。

 

彼らは超人を求めてはいない。傷つき、負けても、何度でも立ち上がる弱いヒーロー。完璧を称賛しながらも、それとは対極にあるような、そんな嘲笑し、それでも心惹かれる存在をこそ、社会は求めるのだ。

 

なんたる矛盾! なんと身勝手な! 真の才能の前に、人はどうするか。怖れ、目を逸らす。関わらないようにする。そして、排除しようとする。

 

わが友もまた、そうだったのだろう。優れた者はみな孤独だ。玉座に座る彼の孤独を、私は理解することができなかった。さながら深淵を覗き込むかのような、深く暗い、孤独の洞を。

 

暴政に怒る軍の兵卒たちの声が城の外から聞こえてくる。死神の足音だ。それはこの、民に見捨てられた哀れな王の首を、情けも何もなく斬り落とすだろう。

 

彼は目を閉じた。まるで眠ったかのようだった。口元には後の悲劇を思わせない、穏やかな笑みが浮かんでいる。ようやく終わるのだ、と、小さな呟きが聞こえた。

 

ああ、彼こそが王。扉を叩く音。それはまるで、白球をバットが叩くような。王の背後には、三人の魔女が立っていた。

 

 

その日、王が生まれた。

 

仙醍キングスは、地元仙醍市の製菓会社「服部製薬」が運営しているプロ野球球団だ。負けて当たり前、連勝すればよくやったと感心されるチームだった。

 

仙醍市に住むからといって、誰もが仙醍キングスのファンだ、ということはない。むしろ地元の汚点である、と憎んでいる者も少なくなかった。が、それでもファンはいる。

 

食卓の椅子に腰を下ろし、臨月の、風船にも似た腹を抱えている妻を眺め、山田亮は、もし、と思っていた。もし、テレビ中継がなかったら、妻は、臨月とはいえ、南雲慎平太監督の最後の試合を観るために球場へ出向いただろうな、と。

 

山田亮は仙醍市で生まれ、それから三十二年仙醍市から出て生活をしたことは一度もない。妻の山田桐子も同様だった。二人は、地元球団である仙醍キングスのファンであり、その熱意は一般のファンの程度をはるかに超えていた。特に、山田桐子の、南雲慎平太への思いはひとかたならぬものがあった。

 

山田亮にとって、そして山田桐子にとって、その最終戦は、南雲慎平太監督最後の試合となるわけだから、とても重要なものだった。

 

山田桐子が、よいしょ、と椅子から立った。台所へ歩き出す。急須を取りに行くのだとわかり、それならば俺が行くよ、と訴えたが、彼女は、これも運動だ、と断った。

 

歓声が上がった。テレビを確認すると画面の中、バットを振った高卒ルーキーが空を見上げ、高らかに拳を突きあげていた。山田亮は短く声を洩らし、台所の山田桐子も、「あ」と言った。

 

山田桐子は急須を前にし、立っていた。無表情というほどではなかったが、心ここにあらずの様子で、山田亮は慌ててしまう。

 

「どうしたんだ?」

 

「破水したみたい」

 

 

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