父親、というのは、いったいどんなものなんだろう。それは、僕が子どもの頃からずっと疑問に思い続けていたことだった。
「お前んち、父ちゃんいないんだろ」
その通りだ。小学生の頃からずっと、みんながそれをまるで悪いことのように言ってきていた。
今となってはからかわれていたのだとわかるが、実際にそれがわかったところで、僕はあの頃と同じように、何もわからない態度を取るだろう。
なにせ、僕にとって父親がいないのは普通のことだった。だから、むしろ、父親とはどんな存在なのか、僕は知りたくて仕方がなかった。
一度だけ、隣に住んでいるエミちゃんの家に、お邪魔させてもらったことがある。僕はそこで初めて父親というものを見た。
一見すれば、そこらで見かけるような大人の男と何が違うのかわからなかった。けれど、普段は怖がりなエミちゃんが平気で話しているのを見て、何かが違うのだなとは感じた。
「お母さんは再婚とか考えないの」
「もう男にはこりごりなんだって」
「あらま」
そんなエミちゃんは高校生、父親とは、ほとんど会話すらしない状態になっているらしい。嫌いになったのかと聞くと、困ったように首を傾げた。
「嫌い、ではないんだけど、なんか、嫌なの」
なるほど、そういうものか、と思った。けれど、やっぱりわからなかったから、ここはひとつ、本に頼ってみることにした。
「で、何の本を読むの?」
「伊坂幸太郎先生の『オー! ファーザー』」
「へぇ、どんな話」
「まず、主人公の由紀夫には父親が四人いて」
「え」
エミちゃんの絶句には理由があった。本来、父親とはひとつの家族にひとりしかいないのだという。父親が四人いるのは、それだけで変とのことだった。
「その本で父親のことを知ろうとするのは無理なんじゃない?」
エミちゃんからはそう言われたけれど、僕は気にしなかった。というより、せっかく買ったのだから聞かないふりをした。
エミちゃんは怒って帰ってしまったけれど、僕は本を読み続けた。彼らの他愛ない会話のテンポが良くて、すらすらと読めるのだ。
由紀夫には四人の父親がいる。それを、クラスメイトの女子、多恵子に知られてしまう。
多恵子が恋人だと誤解された由紀夫は、否定を聞いてくれない四人のまったく違う父親に、やたらとつきまとってくる多恵子を加えて出かけたり話したりしていた。
カバンのすり替え事件。引きこもりの小宮山くん。中学の時の同級生、鱒二からの頼み。裏社会では知られている富田林。家に忍び込んだ何者かの影。
まったく無関係だと思われたそれらが、やがてひとつの糸で結ばれていく。由紀夫と四人の父親は、その中に巻き込まれていくのだった。
エミちゃんは、この本で父親のことについて知るのは無理だと言った。けれど、僕は読み終わって、父親というものがどんなのか、わかったような気がした。
もちろん、彼女の言う通り、本来なら、父親が四人というのはよほどおかしな話なのだろう。
けれど、彼らが全員ちゃんと由紀夫の父親であることはたしかだった。読んでいた僕の脳裏には、いつか見たエミちゃんの父親がよみがえっていた。
まだ幼いエミちゃんに話しかけるその目はとても優しくて、彼女のことを愛しているのが一目見てわかった。
それは『オー! ファーザー』の四人も同じだった。彼らと由紀夫は、時として友人のように気安く、時に淡白で、けれど、互いに思い遣っているのがわかる。
危機に陥った由紀夫を救うため、けれど、どんな時でも遊び心を忘れない。僕は、そこにこそ「父親」という存在の真実を見たような気がした。
「父の背中を見て育て」なんていうけれど、それは違うと思う。母親みたいに抱きしめ、導いてくれるのではなく、父親は、一歩後ろに立って、自分の好きなことをしながら、前を歩く二人を見守っている。
そして、二人が躓きそうになると、そっと後ろから支えるのだ。それこそが、家族の中で父親がしていることなんじゃないかと思う。
というようなことを、エミちゃんに話してみたら、彼女はむっと不機嫌そうにしていた。
あの後、エミちゃんはちょっとだけ父親と話したらしい。相変わらずむすっとした顔でそう言ってくるエミちゃんを見て、僕は初めて、父親がいるのが羨ましくなった。
うちには父親が四人いる
由紀夫の隣りを歩く多恵子が、父親への怒りと不信感を口にしている。さっきから、ずっとだ。帰宅途中にたまたま、脇道から合流してきて、父親の悪口を始めた。
由紀夫の通う高校は、市街地の南郊、オフィスビルの立ち並ぶ一画に、ぽつんと存在している。橋を渡り切ったところで、まだ隣を歩いている多恵子に気付いた。
「多恵子の家、こっちじゃないだろ」
「わたし、一回、由紀夫の家に行ってみたかったんだよね」
由紀夫は手を振り、さっさと帰れよ、と告げるのだけれど、多恵子はまるで動じない。ただ、「父親って本当に煩わしい。そう思わない?」と言った。
多恵子はまだマシだ、うちには父親が四人いるのだ、と喉まで出かかった。信じられるか? と。
「お、由紀夫」と名前を呼ばれたのはその時だ。はっと顔を上げると、自転車で車道を渡ってくる男性が見えた。
「鷹さん」
「今、帰りかよ。俺は今から出るんだ。すれ違いだな」
鷹は言った後で、「ええと、君は」と多恵子を見た。「もしかすると、彼女か」鷹が目を輝かせた。
多恵子は調子に乗り、「かもしれないですよー」と思わせぶりに笑う。「まじかよ」鷹の嬉しそうな反応と言ったら、なかった。
鷹はひとしきり満足げに頷くと、時間がないから、じゃあまたな、と自転車のサドルに座りなおした。「他の奴らには、多恵子ちゃん、会わせるなよ」と言ったかと思うと、あっという間に去った。
「今お父さんの言ってた、他の奴ら、って誰のこと」
「他の父親、ってことだよ」
「他の父親って何? 誰の父親のこと?」
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