なんだか、疲れたな、いろいろ。会社からの帰路をとぼとぼと歩きながら、私は思わずため息を吐いた。
大学を卒業して、何事もなく内定をとれた会社に就職できたはいいものの、数か月経っても、私はなかなか会社に馴染めずにいた。
何よりも苦手なのは人間関係だ。会社の上司とのそりが合わず、怒られながらも、ずっと愛想笑いを浮かべるしかない。心のどこかが軋んでいるような音がしている気がする。
ああ、本が読みたい。私は痛烈に、そんなことを思った。
学生時代、友だちはいたものの、決して多くはなかった私は、休み時間のほとんどを図書室で本を読んで過ごした。
私は物語が大好きで、その頃は物語ばかり読んでいた。現実の自分とは違う、本の中の世界に、私は憧れていたのだ。
けれど、就職してからは、本を読む時間すら取れなくなっていた。そんな精神的な余力は、帰宅すると、もう、残っていなかった。
今日だって、そうだ。家のドアを開けて、堅苦しい服を脱ぎ捨てると、そのままベッドに飛び込む。
ふと、私は、寝ころがったまま見た光景に違和感を覚えた。寝る準備をしていた身体を無理やり起こし、違和感の正体を探る。
それはすぐに見つかった。というか、私のすぐ傍らにあった。ベッドの枕の横に、一冊の本が置かれていたのだ。
『本を読むってけっこういいかも』。私は、こんな本を持っていただろうか。思わず首を傾げる。
けれど、私は読書家としての誘惑には勝てず、手を伸ばしてその本を手に取り、開いてみた。
どうやら、それは精神科医の先生が、おすすめの本を紹介したものらしい。
精神科医だけあって心についての本が多いけれど、中には、宗教や社会についての本や、物語まで紹介されていた。
読みながら、私は身体がうずうずしてくるのを感じた。この本を読みたい。そう思わせる本が、何冊も作中にある。実物がないのが、何より残念だった。
この本は、私のための本だ。そう感じた。その本で多く紹介されているのは、あらゆる視点から「心」や「不安」に迫ったものだったからだ。
かつて、学生の頃だったときの光景が頭をよぎる。ただ純粋に、本を読むのが楽しくて、楽しくて、仕方のなかったあの頃を。
私は、久しぶりに学生の頃に戻ったような気がした。もう、疲れなんてどこにもなかった。ベッドからその本を持って立ち上がる。
早く行かないと本屋が閉まってしまう。私は扉を開けて、夜の町に出た。星がきれい。そう思って、ここ最近、空を見上げる余裕すらなかったことに気が付いた。
ふっと笑みが零れる。本を読む時間がない。そんなのは、ただの言い訳だ。私は読書から逃げていただけ。今だからこそ、私はそのことを素直に認めることができた。
時間も、精神的な余裕も、足りないなんてことはない。休み時間のたった十分でも、私は読んでいたのだから。
私はもう、大好きな読書から逃げない。言い訳もしない。本はいつだって、ページを開いて私を待っていてくれるのだから。
「本を読む」ということ
かつて、「天使のカード」というのが流行ったことがあった。ボックスに何十枚かのカードのようなものが入っていて、それぞれのカードの裏にはちょっとした物語のようなものが書かれている。
一般の人たちはボックスから一枚だけを引いて、その裏に書かれている物語を読み、それが自分の現在や未来を表しているかのように解釈することが多かった。
読む人はそれを”今の私”に半ば無理やり引きつけて、これは自分へのアドバイスなのだ、と考える。これは、何かに似ている。そうだ、「おみくじ」だ。
今、そういった自分の現実や人生に引きつけて簡単に読める本が大人気だからこそ、編集者はこぞって「そういう本を」と依頼してくるのだろう。
そういえば、新書ブームがやってきた時、ある新書編集者が新聞でこう断言してたのを読んで驚いたことがある。
「いま求められているのは、1時間で読めて、後に残らない本です」
今は、おみくじを読むかのように、数分で見開きを読めて、涙がじんわり溢れたりして、後にはあまり残らない、そんな読み方のできる本が求められているようだ。
これが、本当の「本の読み方」と言えるのか。いや、もちろん読者の数だけ本の読み方はあってもよいはずだが、すべての本が「おみくじ本」になってしまってよいのだろうか。
物語の場合、最初のページを開いた瞬間から、すぐに別の世界に旅立つことができる。冒険をしたりつらい目にあったり。ときには怒ったり泣いたりもする。
このように、一冊を時間をかけて読み通さなければ得られないものこそが、読書の本来の醍醐味だと私は思うのだ。
腰を据えて一冊の本を読む、という読書体験は、私の心をさまざまなところに誘いながら、そこにたまっているストレスや欲求不満などを解放し、硬くなっている部分をやわらかくほぐしてくれる。
本の世界は今、大きな曲がり角にさしかかっている。急速に電子書籍が進歩、普及し、近い将来、紙の本は消滅するとも言われている。
しかし、本の効用は決して、その内容だけによって与えられるものではない。紙としての本、という要素が、私たちの心と体を安心させ、ストレスの解消を促進する。
もちろん、そうは言ってもしばらくは「おみくじのような本」のニーズはますます高まり、書籍の電子化も促進される一方であることは間違いない。
ただ、「最初から最後までを読み通さないと意味のない本」や紙の本は、決してなくならない。
「書を捨てよ、街に出よう」という本を出した戯曲家がいたが、今こそ私たちはこう呟いてみるべきではないだろうか。
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