過去に死ななかった人はいない『死の壁』養老孟司


何もかも確実とは言えないこの世界で、ただひとつだけ、誰に憚ることなく声高々に間違いないと言えることがある。私たちは必ず死ぬということ。それだけは、何の疑いもなく信じられる。

 

「そんな話しないでくれる?」

 

かつて、友人に話した時、彼女は心底嫌そうに顔を歪めて、吐き捨てるように私に言った。私は当然のことを言ったつもりなのだけれど、どうして彼女がそう言うのか、私にはわからなかった。

 

やがて、ある程度の人との交流を経たうえでわかったのは、「多くの人は死ぬことについての話を嫌がる」ということだ。

 

思えば、私が「死」についてよく考えるようになったのは、いつ頃からのことだったろう。

 

記憶を辿っていった先にあったのは、国語の教科書で読んだ「蠍座カレンダー」という作品だった。キャラクターとかストーリーは何も覚えていないけれど、その最後の一節だけが、頭に残っている。

 

「僕たちは生まれてすぐ蠍に刺された」。若くても老いてても、男でも女でも関係なく、蠍の毒が身体にまわった時、人は死ぬ。

 

当時、小学生だった私はその時、今まで意識したことがなかった「死」の存在を強く意識した。私にもいつか、いや、いつかと言わず、もしかしたらすぐにでも、毒がまわってしまうことだってあるかもしれない。

 

そういえば、「死」についてもうひとつ、気になる本があった。『バカの壁』で一世を風靡した養老孟司という人の書いた、『死の壁』というタイトルの本。

 

『バカの壁』で養老先生は、「壁」という言葉を「私たちの間にある認識の齟齬」のような意味で使っている。『死の壁』の「壁」も同じような意味合いだろう。

 

つまり、私と友人の間にあるような、「死」に対する認識の壁。「死」についていろいろなことが書かれている『死の壁』の、本質はそこにあるのだと思う。

 

未来に私たちの身に降りかかるであろう「死」を、意識している私と、見ないようにしている友人。「死」に対する考え方の違い。壁。

 

どちらがいいというわけじゃないとは思うけれど、私から見て友人に違和感を感じているように、彼女もまた、私に対して違和感を抱いているのだと思う。私たちの間に齟齬があるということ自体を、忘れちゃいけない。

 

『死の壁』というけれど、そもそも私たちは「死」について何も知らない。そういった意味では、そこにも「壁」があるのかもしれない。

 

人は死んだらどうなるのか。私たちが生きている限り、それを知ることはできないし、知った時にはもう生きていない。だから、あらゆることが既知になったとしても、「死」のことだけは科学がどれだけ進歩しても未知のままだ。

 

今は検索すればなんでもすぐに答えがわかる。そんな世の中で、知らないということを怖れる人が多くなってきた。未知に対する恐怖。そんな人たちにとって、永遠の「未知」である「死」は怖くてたまらないものなのかもしれない。

 

人は必ず死ぬ。私は自分がいつか死ぬということを意識しているけれど、本当に意識できているのかどうかはわからない。養老先生の言うように、「わかっている」と思い込んでいるだけかもしれない。

 

とまあ、いろいろなことを考えてみたけれど、結局のところ、私が「死」について思うことはただひとつ。

 

小説での結末で、「死」はバッドエンドとされている。現実でも「死」は「不幸ごと」だと言われる。友人のように、聞くだけでも顔をしかめるようなものとして扱われている。

 

でも、私は思うのだ。私たちの生涯の最後に必ず「死」があるのなら、私たちの物語は必ずバッドエンドになる。それはちょっと、寂しいじゃないか。

 

私たちは生まれたその瞬間から、「死」に向かって生きている。死ぬために生きている。だったら、「死」を「不幸ごと」とは扱わず、むしろおめでたいこととして迎えたいものだなあ、と、私は思う。

 

 

死ぬこととは?

 

『バカの壁』という本について、随分たくさんの取材を受けました。その中で、非常に多かった質問のひとつが「じゃあ、結局どうすればいいんでしょうか」という類いのものでした。

 

本来ならば、それは自分で考えてください、ということなのです。しかし、それでも繰り返し聞かれる。面倒くさいので、とりあえず「参勤交代を国で推奨すべし」と提案してみました。

 

それで何が変わりますか、何がわかりますか、と聞かれても、とりあえずやってみろとしか言いようがありません。とはいえ、別にこれが唯一の正解だというつもりはまったくありません。単にひとつの提案に過ぎないのです。

 

『バカの壁』のなかで「人生の問題に正解はない」と書きました。その答えを求める行為それ自体に意味がある、ということも書いた。しかし、それだけでは承知してもらえないようです。

 

そもそも本に書いてあることを全部絶対正しいなんて思わないでくれと常々言っているのですが、真面目な人はそれだけで怒るようです。

 

どうも「正解がない」ということに非常に不安や不満を感じる方が多いようです。要するに「調べればわかる」「見ればわかる」と勝手に思い込んでいるのです。しかし、実際にはなんでも「調べればわかる」というようなことはありません。

 

ただし、人生でただひとつ確実なことがあります。人生の最終解答は「死ぬこと」だということです。これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。

 

ところが、そのへんを勘違いしている人が非常に多い。現代人は皆、人は必ず死ぬということをわかっていると思い込んでいるけれども、どこまで本気で考えた末にわかっていると感じているのかは甚だ怪しいように思えます。

 

本書では、死にまつわる問題をさまざまな形で取り上げています。現代人は往々にして死の問題を考えないようにしがちです。しかし、それは生きていくうえでは決して避けられない問題なのです。

 

 

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