歳なんて取りたくない。ずっと、そう思いながら生きてきた。誕生日を迎える度に憂鬱になる。ああ、またひとつ、歳を取ってしまったのだ、と。
いつも辺りに唾を飛ばして怒鳴り散らす老人。彼はいつも不機嫌で、世の中の何もかもに対して腹を立てているようだった。
誰もが陰で彼を厭い、陰口を囁いた。腰も性根も曲がっているのだ、と。私はそんな老人にだけはなりたくなかった。
だが、年が過ぎ、気が付けば私は、あの頃に心底嫌だと思っていた彼の年に近づいている。
ああ、もうすぐだ、もうすぐ私も彼と同じ年齢になる。かつて忌々しく思った老人の姿が、今も瞼の裏に焼き付いている。
私もまた、彼のようになるのだろうか。性根のねじ曲がった老人に。世の中の何もかもを憎しみ切っている老人に。
歳を取ると怖いものがなくなる。それが怒りを流すことのできる余裕につながるか、あるいは逆に何をしてもどうせ構わないと捨て鉢になるか。
嫌な老人になりたくない。ずっとそう思ってきた私だったが、いざその歳になると、自分がどんな老人になっているか、わからなかった。
『歳をとるのも悪くない』という、私が願っていたこととまるで真逆のタイトルの本を見つけたのは、そんな時だった。
その頃の私は、老人という年齢に差し掛かるにあたって焦燥感に駆られていた。嫌だ、歳を取りたくない。老人になんてなりたくない。
無情にも身体は若い頃のようには動かなくなり、忘れっぽくもなってきた。そんなどうにもならない自分の変化が何よりも恐ろしい。そう思っていた頃だった。
その本は元TBSアナウンサーであり、さまざまな番組でマルチな活躍をしている小島慶子先生と、『バカの壁』で一世を風靡した養老孟司先生の、二人の対談をまとめた一冊である。
基本的には、小島慶子女史が養老孟司先生に、人生の師として、年齢をはじめとするさまざまなことについてどういった考え方を持っているかを聞いているものとなっている。
養老先生という人についてはあまり知らなかったが、先生の著作である『バカの壁』は読んだことがあった。
その本の中でうっすらとぼんやりした形を持っていた「養老孟司」というイメージが、この対談を読むことによってさらに明確に、輪郭を象って形作られていく。
感じたのは、養老先生の根幹に通っている一本の軸の存在だ。それは父の喪失や学生運動による研究の妨害を経て形成された、「養老孟司」というその人自身の軸である。
それこそが、彼を彼たらしめているのだとわかった。そして、その軸は、世間や他人に揺るがされるようなものではないのだと。
養老先生が「歳をとるのも悪くない」と考えることができるのも、その軸があるからではないだろうか。
「その場その場を一生懸命生きてきた人は、死ぬことが怖くないからね。自分の人生を先送りしてきた人は、いつまでたってもこの世に未練がある」
自分の人生を先送りする。その考えが、私の胸を貫いた。思わず、自分の人生を振り返ってみる。
世間の顔色を伺い、自分を抑え、将来の安定だけを考えた人生。必死に我慢して、我慢して、我慢し続けた末に、何も残らないまま私の人生は過ぎ去ってしまった。
私は目を見開く。私がどうして歳を重ねるのが怖いのか、わかってしまった。私はずっと、自分自身の人生を本気で生きてこなかったのだ。その事実を、突き付けられたかのようだった。
ああ、私は、養老先生のような老人になりたい。その本を通して知った先生の実像に、私は強く惹かれた。もっと早く、読みたかった。
だが、老人を目前としたこの歳で、この本と出会えたのは意味があったように思う。
いつ私の命が尽きてもいいように、その瞬間、その時その時を本気で生きよう。私自身の人生を。それこそがきっと、本当の意味での「生きる」ということなのだと知ったから。
めくるめく養老考
無類の養老先生好きである。私の先生への思惑はほとんど恋といっていいほどで、ちょっと本気で、解剖されたいとすら思っている。
最初にお会いしたのは十七年ほど前。テレビの番組でご一緒した。次にお会いしたのは、その二年後ぐらいだったか。
初めての産休中に読んだ先生の講演集で”手入れ”についてのお考えに感激し、養老先生の鎌倉のお宅に上がり込んだ。
挙句「いつか私と育児の本を出してください」と身の程知らずのお願いをして帰った。それから七年経って、本当に養老先生との子育て対談本が出てしまった。
それでまた嬉しくなって、四年後にはテレビのインタビューで箱根のお宅に押し掛けた。
日豪出稼ぎ暮らしを始めて四年。私は中年の危機に見舞われ、老いの不安も感じ始めた。
またも先生にお尋ねしたいことやら報告したいことが山と積もって身悶えしていたら、中央公論新社の方が今回のご縁を下さったというわけだ。
先生が私にうんざりしていらっしゃるかもしれないが、私は先生が好きなので次々に話しかけてしまう。あの美しい白髪の下でどんな思考が巡り巡っているのか、その気配を感じるだけで嬉しい。
二十代と六十代だった私と先生は、四十代と八十代になった。以前より少しだけ、先生が近くなった気がする。
この本では、人生の大先輩である先生に、年齢との付き合い方を伺う。今、中年の危機真っ只中のあなたも、もっと大人のあなたも、どうかご一緒に、養老先生の養老考をお楽しみいただきたい。
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