僕たちはテレビに絶対の信用を置いている。テレビが言うことに間違いはないと盲信している。けれど、テレビは本当に信じられるようなものなのだろうか。
昼頃、なんとなくやることもなくて、僕はリモコンのボタンを押してテレビをつけた。
テレビではニュースキャスターが何やら話している。内容は、ここ最近の政府の対応についてのことらしい。近頃はそんなニュースばかりだ。
もちろん、戦後以来の経済危機と言われているくらいの出来事なのだから、それも仕方でない話ではあるけれど。
事件や事故が連日のニュースを占めていた頃よりも、自粛の人たちのためのタレントの動画を流している今の方が明るく見えるのは皮肉だろうか。
ただ、最近のテレビを眺めていて、どうにも腑に落ちないことがある。
テレビの中ではコメンテーターが話している。出演者が口々に政府の対応を批判していた。
その内容は肯けるものだ。たしかに、今世界中を騒がせている一件での政府の対応には、首をかしげるようなものもあった。
しかし、それ以上に、ある時期から過剰に批判が目立つようになったメディアにどうも違和感を感じた。裏側に思惑があるような感覚がするのだ。
それはたとえば、自分の向かう先に矢印が指されているような、あるいは誰かの手のひらの上で踊らされているような、そんな気持ち悪さ。
経済的な問題から生じてくる不満。行動を制限されることのストレス。その矛先をひとつのところに差し向けようというような、裏側の意図。
こんなふうにニュースの裏側を考えるようになったのは、『ニュースで伝えられないこの国の真実』という本を読んだからだ。
テレビが嘘を言うわけがない。けれど、彼らは黙っているということだってできることを、僕たちは無意識に気付かないふりをしている。
『テレビで言っていた』という枕詞が人を信じさせるための強い理由のひとつになるほどに、僕たちはテレビを盲信している。
でも、それはつまり、テレビがもしも、人の行動や思想を操作しようとしたならば、可能だということになりはしないだろうか。
催眠か、あるいは洗脳のように、ある種の思想を無意識のうちに人々の心の中に植え付けることだってできるのではないか。
テレビを作っているのが裏方のスタッフやタレントという「人」である以上、その裏にはその本人の考え方が少なからず反映されるのではないか。
テレビの中では場面が変わり、美人のキャスターが真面目な表情で机の上にある原稿を読んでいる。
近頃の僕は思うのだ。テレビとは、本当に心から信用できる代物なのだろうか、と。
まあ、もちろん、そんなのはただの僕の妄想でしかないのだろうけれど。
メディアの力
かつて、世界が戦渦に呑まれていた頃、日本もまた、その片棒を担いでいた。国民には贅沢を禁じ、まさしく国中で戦っていたのだ。
それで国民は反発したかと問われれば、意外なことに、彼らは反発しなかった。むしろ、さらに推進するように煽動したのは彼らとも言えるだろう。
なぜなら、彼らは日本が負けていたことを知らなかったからだ。
戦時中のメディアは最後の最後まで日本軍が優勢であると言い続けた。実際には大敗していたわけだが、敗北を認めず、国民に嘘をつき続けたのだ。
国民はその情報を信じた。日本が勝っていると思い込んでいたからこそ、彼らは戦いを肯定していたのだ。
過去に存在していた独裁国家は、メディアによる情報操作によって国民を支配していた。不都合なことはいくらでも隠すことができたし、根も葉もないことをでっちあげることさえできた。
それは遠い過去ではない。むしろ、今でも行われているかもしれない。でも、僕たちにはそのことを知る術がないのが事実だ。
メディアは情報を伝えるためのものだ。しかし、情報というものは、ともすれば国ひとつを自在に動かせるほどの強い力を持っている。
だからこそ、本来ならば、情報は純粋なものでなくてはならない。ただのありのままの事実を、包み隠さず。
しかし、メディアは人間によって動かされるものだ。情報はそこで純粋ではなくなる。人間の思想が少なからず混ざり合い、恐ろしい化合物になるのだ。
それは国を滅ぼすほどの力を持った危険物である。メディアはそれを伝えるか隠すか選ぶことができる。いや、人間である以上、選んでしまう。
情報は大事だ。テレビは私たちに多くのものをもたらした偉大な発明である。しかし、テレビが僕たちの脳であってはならない。
僕たちはメディアからの情報をそのまま受け取っていてはいけないのだ。自分の頭で、その情報を信じるか信じないか選び、考え、そして行動する。その過程が必要になる。
だって、僕たちは人間なんだもの。メディアの操り人形じゃない。僕たちには、考えるための立派な頭がついているじゃないか。
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