甲高い音が響いて、大きな姿見に蜘蛛の巣のような罅が走った。罅の向こう側の世界には、肩で息をして、血走った眼で睨みつけている醜い女の姿があった。
私が鏡を憎むようになったのは、数年前のことだ。煮えたぎる大鍋。顔の右半分に走る激痛。そして、暗転。
気が付いた時には、私はベッドの上にいて、傍らに立つ母が安堵したような、それでいて悲痛な表情で私を見ていた。
顔の右半分には包帯が巻かれていた。痒くてたまらないのに掻くことができない。そう訴えたら、母がうっと嗚咽を零した。
医者の話では、どうやら私は顔の右半分に重度の火傷を負ったのだという。まだ皮膚が柔らかいから、掻いてはだめだと教えられた。
古くなった包帯を変える時、私は母に「自分の顔を見たい」と伝えた。母は苦しそうな顔をしていた。
その頃の私はまだ、物事を楽観的に捉えていたのだ。火傷を負ったとはいえ、大したことはないのだろう、と。
看護婦が持ってきた鏡を覗き込む。そこに映った顔を見て、私は思わず悲鳴を上げた。鏡の中の、爛れた皮膚の化け物も、私と同じように口を開いて悲鳴を上げていた。
それ以来、私は鏡が怖くて見ることができない。あの瞬間に見た光景はすっかり私のトラウマになってしまった。
火傷する前の私は、クラスでも可愛い容姿をしていた。男子から告白されることも多く、私自身も自負していた。
しかし、その火傷を機に、私の日常は一変した。それは、むしろ退院した後の方がより痛感することになった。
視線。視線。視線。突き刺さる好奇と嫌悪の視線に、私は目を伏せて俯くことしかできなかった。
今まで仲が良かった子たちは誰も話しかけてこない。男子たちは見ないふりをしている。教室の隅で、私はひとり、座っていた。
顔の右半分には包帯が巻かれている。それなのに、まるで彼らの視線があのどろどろに崩れた顔を見ているような気がした。
私は誰とも視線を合わさず、誰とも話さないようになった。いつも俯いて、前髪で顔を隠そうとしていた。
男子たちが笑っている。きっと私のことを嘲笑っているんだ。女子たちが集まって話していた。きっと私の陰口を言っているのだろう。
私は、まるで世界中から嫌われているようだと思った。母は腫れ物に触るような接し方をする。父は私を見ようともしない。私は世界でひとりきりだった。
苦しかった。けれど、この苦しみから逃れる方法がわからなかった。ああ、いっそ、あの火事で何もかも燃えてしまえればよかったのに。
苦しみから逃れるように図書室に寄ったのは、人が少なかったから以外の理由はなかった。
もともと私はあまり本が好きではない。以前の私なら、行こうともしなかっただろう。けれど、今の私には、その静謐さがありがたかった。
時間つぶしに、と思って本を探す。といっても、ほとんどの本には何の興味も湧かなかった。
しかし、ふと、目に飛び込んできた一冊の本に釘付けになる。それは、『この顔でよかった』という本だった。
私は思わず手に取る。表紙にはひとりの男性の姿があった。顔の一部が奇妙に盛り上がっている。
彼の名前を、藤井輝明先生というらしい。海綿状血管腫という珍しい病気なのだという。私は恐る恐る本のページをめくった。
内容は思ったよりも明るい、というよりも、ただひたすらに前向きだった。先生はその顔を、自分の個性として受け入れていた。
学校でのいじめ。転校した後の、好転。大人たちからの心無い言葉。自分を助けてくれた両親や友だち、先生。
決して良いことばかりの人生ではない。そこには、先生が病気を受け入れるまでの苦悩があった。けれど、先生は絶望なんてせず、自分の顔としっかりと向き合ったのだ。
私はふと、顔を上げる。目の前の窓ガラスに、うっすらと私の顔が映っていた。以前ならば耐えられなかった自分の顔。
けれど、今はもう、不快な感情も怒りも憎悪も、何も浮かんでこなかった。ただ、自分の顔だと思うだけ。
そう、そうだ、これが「私」なんだ。ずっと目を背けてきた事実を、今、ようやく見つめ返す。誰よりもこの顔が醜いと蔑んでいたのは、私自身だった。
口角を上げて、微笑んでみる。窓ガラスの中の私が口元をひくひくさせて、歪な笑みを浮かべた。なんだ、意外とかわいい笑顔もできるのね。
コンプレックスを受け入れて
人間誰しも、何らかの悩みを抱えています。特に現代社会では社会的不適応が顕在化していますし、そういったことがなくても、なんらかの劣等感や心の傷を負っている人はたくさんいます。
私は、顔面に障害を持っているため、普通の人とは違った人生を送ってきました。そこには、障害があるゆえに受けてきた差別というマイナス面も確かにありますが、それだけではありません。
この顔のおかげで、多くの人の助けや温かい思いやりの気持ちを受けることができました。
両親、友だち、先生、同僚、学生、ボランティアの仲間など、周りのみんなに支えられて生きていることが実感できたのも、顔に障害があるためだと思っています。
もし、精神的にも肉体的にも強く、すべて自分の力でできると思う人がいたとすれば、こうした周りの思いにはまったく気が付かないでしょう。もしかしたら、それは不幸なことかもしれません。
顔に障害があるからこそ、わかったことや見えたことがあるのに気づいたのです。たぶん、この障害がなければ、一生、気づかなかったかもしれません。
この本では、悩みやコンプレックスがあるからこそわかったことについて書きました。
そうした自分の弱いところも含めて、自分を丸ごと受け入れられれば、それまで見えなかった世界や幸せが見えてくると信じています。
また、容貌障害で悩んでいる人を激励したいとも思っています。顔面や身体表面に疾患のある人たちとその家族は、依然として、社会からの差別にさらされています。
そして、容貌障害を抱えた人たちは、悩んでいる自分が弱いのだとして、外部への支援を求めないことが多いのです。
こうした問題は本来、社会的な努力によって解決されるべきです。だから、この本には、世の中の人々の理解を促すことができればとの思いも込めています。
できるだけ多くの人が元気になり、自分に自信を持ってほしい、そして、容貌に対する差別や偏見をなくしてほしい、と心から願っています。
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