テレビの中で白黒の人たちが一様に手を上げて笑っている。どうして彼らはあんなにも楽しそうなんだろう。私はいつも、そう思っていた。
おじいちゃんもおばあちゃんも、よく、口癖のように「昔はよかった」と言っていた。「どうして?」と聞いても、納得のいく答えが返ってきたことはない。
昔、つまり、テレビで古い時代が流されるときの、白黒の時代。昭和時代の日本だった。
映像の中の彼らの笑顔は、本当に眩しい。ジブリ映画の『コクリコ坂から』を見た時も、同じように思った。
私は平成生まれだ。昭和は昔、私が生まれるよりも前のことで、私はその時代のことを知らない。
歴史の授業で学ぶ昭和は、戦後の焦土と化した悲惨な状況と、そこから復興した奇跡的な経済成長が印象に残っていた。
現代のように豊かな国では、なかったはずだ。それなのに、どうして彼らはあんなにも生き生きとしているのだろう。
そして、それならばどうして、現代の私たちはこんなにも、誰もが疲れたような表情をして、暗澹とした未来を見ているのだろうか。
日本はたしかに豊かになったはずだ。それなのに、どうして貧乏だった昭和の時代の方があんなにも眩しく感じられるのだろう。
私のそんな疑問を教えてくれたのは、ある一冊の本だった。それは、平川克美先生の『小商いのすすめ』という。
そもそも、私がその本を読むことにしたのは、ちょうどその頃、進路に迷っていたからだった。
両親はいい成績をとって大企業に就職しろという。けれど、私はそのことに疑問を覚えていた。
現代、大企業は決して安定しているというわけじゃない。それどころか、数々の不祥事が暴かれ、次々と苦しくなっていると聞く。
それなのに、未だに大企業の就職を目指すのが当然という両親の姿勢に違和感を覚えた。その選択肢のひとつとして、「小商い」を見ていたのである。
とはいえ、意外だったのは、その本が「小商い」の始め方などを書いたビジネス書というわけではないらしい、ということ。求めていたものではなかった。
けれど、すぐに夢中になる。その本に書かれていたのは、つまり、現代における「小商い」の強みのことだった。
その本は、貧乏であることは強いと言った。豊かな時代に生きる私からしてみれば、よくわからない。モノがあることは、いいことなのではないだろうか。
昭和の日本は国全体が貧乏だったという。しかし、貧乏だったからこそ豊かだった。人は必要以上に求めることはなく、少なくても満ち足りていたからだ。
現代は際限なく欲望は増え続け、大量生産と大量消費が繰り返されるようになった。人は常に足りないような不足感を感じることになる。
そう言われて改めて自分の周りを見渡してみると、狭い部屋の中ですら、いらないものがたくさんあるように思えた。
クローゼットの中の服は高かったのにほとんど着ていない。かわいいポシェットも一回きり。あまりにも無駄なものが多いように思えて、衝撃を受ける。
企業を大きくし過ぎない「小商い」、それこそが、これからの時代を生き抜いていく最善の方法なのだという。
私は思わず、自分の進路を考えた。このまま、親が言うとおりにしてもいいのか。私がなりたいものは、何だっただろう。
思い出されるのは、白黒の映像の中の、人たちの眩しい笑顔。私は、彼らのように笑いたい。ふと、そう思った。
貧乏であることの豊かさ
本書には「小商いのすすめ」というタイトルがついていますが、実は「小商い」そのものに関してはほとんど論じられていません。しかし、本書はまぎれもなく「小商い」についての考察なのです。
もうひとつあります。それは、本書執筆中に起きた東日本大震災のことです。震災のことを書いているうちに、「小商い」は震災からの復興のヒントになるのではということに思い当たったのです。
本書は現代を特徴づけるいくつかの異なった要素が、「小商い」という言葉に収斂してゆくまでの物語的エッセイとしてお読みいただければと思っています。
この震災にはもうひとつ、まったく異質な災厄が付け加えられてしまいました。原発事故です。
この二種類の災厄が同時に起きたことで、この間の私たちの思考方法そのものが問い直されなければならなくなりました。
わたしたちは、何をどう考え直さなければならないのか。災害に対する私たちの思考に生じた狂いは、経済成長によって健康で文化的な生活を保障されるという考え方に生じる狂いと同型のものです。
私たちは、これまでのやり方の延長でやっていけるのか、それともこれまでとは違うやり方を見出さなければならないのかということです。
私たちの誰にとっても、喫緊かつ重要であり、同時に答えることが非常に困難な問いを、もはや誰も避けて通ることはできなくなったということです。
やらせ工作を張り巡らせて出来上がったのが原発神話でした。経済成長神話というものは、現実を権力や金によって捻じ曲げているという点では同工のものだと言うほかありません。
擬制というものはいかにして出来上がってきたのかを見てしまった今、私たちはもはやこれまでの延長上に未来を描くことはできなくなっているのです。
では、擬制の終わったところから何が始まるのか。それについては、まだ誰も答えを持ってはいません。おそらくは、簡単に答えを見出すことができないだろうと思います。
ただ、私たちがもし、これまでと同じようなやり方をしていった場合には、次の災厄はもっと大きなものになると言わざるを得ません。
今ここで必要なことは、もう一度私たちが作ってきた時代の中から、終わらせるべきものをはっきりと終わらせることだと思います。
本書を通して、時代の中で隠蔽されてきた、見えにくかった擬制を晒し出し、違った生き方、違ったやり方を探し出せればと願っています。
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