『社長になる人に知っておいてほしいこと』という本を見つけた。私は飛びつくような勢いで、その本を手に取った。
私が会社を率いる立場になってしまったのは、決して私が望んだからではない。私はむしろ、出世なんてせず、責任のない立場で過ごしていたかった。
しかし、同期は次々とやめていき、気が付いた時には、私しか残っていなかった。それだけのことだ。
私は言われた仕事を淡々とこなしていただけ。長く続けていれば、それだけでも出世していく。
まして、特に離職率が高い近頃、上司は新人を逃がさないように、必要なことだけ教育したら出世させて責任のある立場にのし上げることが通例となっていた。
そんなことを繰り返していたが、とうとう、こんなところにまで上り詰めてしまった。
「おめでとう」と人は言うが、とても喜べることではない。給料なんて慎ましく生活できる分さえあればいいのだ。それよりも、責任が重くなることが問題だった。
ずっと淡々とした作業だけをこなしていたのだ。突然、経営してくださいなんて言われたところでできるわけがない。
その本を見つけたのは、そんな迷いを抱えていた時期だったのだ。飛びついても当然だと思ってほしい。
それはどうやら、編集部が松下幸之助にインタビューをし、彼の口から出た言葉をそのまま記述しているらしかった。
松下幸之助、といえば、私でも知っている。電気製品の会社としては大手中の大手であるパナソニックを起ち上げた人で、「経営の神様」とすら呼ばれている経営者だ。
そんな人の語ることであれば、これから会社を率いる側になる私にも参考にできることがあるかもしれない。
ページを開くと、まず大きな太い文字で格言めいたことが書いてある。それは松下幸之助の言葉で、それについての詳細なインタビューの内容が書かれている、という構成だった。
『社長は社員の誰よりも熱意を持っていないといけない』。最初の章に、そんなことが書いてあった。私は思わず心を刺されたような衝撃を受けた。
ただ、言われたとおりの仕事をこなして、淡々と報告をする。私が今まで仕事をしてきたやり方は、それだけだった。
熱意。仕事に対してそんなものはあったか。いや、なかったと断言できるだろう。
出世していっても、私の考え方は入社してすぐの頃とほとんど変わらない。むしろ、その頃の方がまだ熱意はあった。
社員は歯車であればいい。そう思っていた。ただ、指示通りのことを感情を失くしてこなしていた。
それは経営する側になっても変わっていなかった。私は愕然とする。自分の下で働いている彼らを、私は自分と同じように、人間ではなく歯車として考えていたのだから。
しかし、その本は気づかせてくれた。彼らは人間だ。社会人である前に、悩み、迷い、それぞれに生活があるひとりの人間なのだ、と。
『人間のために組織がある』。人間が第一だと、彼は言った。組織は人間のためにあるものであり、人間の上に来るようではいけない、と。
その本の言葉は、新たな世界を私に見せた。それまで人形のように同じ顔をしていた社員たちの顔が、はっきりと違って見えた。
彼らに楽しく働いてもらいたい。彼らを人間だとわかった途端、心にふつふつと熱意が満ちてくる。私は身を焦がすようなその激情に、しばらく身を任せることにした。
好況よし、不況もまたよし
困難な仕事をやっていくと、その過程で必ず右するか左するかを悩むことがある。それは自分に括弧たる”よりどころ”がないからである。
私が一貫して確固たる”よりどころ”としてきたものは、松下幸之助創業者の経営理念に基づく基本方針であった。
以来、私は自分でものごとを判断するのではなく、基本方針に沿って仕事をし、検討するというやり方を通してきた。だからこそ、その時々の重責を果たすことができたのだと思う。
これは高橋荒太郎氏という人物によるものです。常に松下幸之助を支え続けた、まさに”名補佐役”であり、また、”大番頭”でもありました。
氏は、松下の考え方と経営理念に感銘を受け、それによって自らの任務を全うされたのです。それは「経営理念」によって結ばれた絆が企業の発展に大いなる寄与をしたことを意味するのではないでしょうか。
昭和恐慌の真っただ中、リストラや給与削減の決断を迫られた経営者のひとりに、松下幸之助がいました。
この大恐慌のまさに直前の時期に生まれた明確な経営理念・方針の下で、従業員が一丸となって布教に立ち向かうことができたのです。
好況よし、不況もまたよし、という松下と同じ思いで、危機と対峙してこられた経営者の方々は、今、何を考えておられるでしょうか。
現在のような危機の時代には、決断の際に迷いや苦悩が生じ、愚痴のひとつも零したくなる、だがそうした姿を社員に見せるわけにはいかない、そんな状況なのではないかと思います。
常に決断を迫られ、それを回避すれば社業が回らなくなる。ほんとうに過酷な職業です。
危機の突破口を見出し、自らがその突破の先頭に立ち、社員を率いる。そして、「飛躍」を期す。そんな孤独で厳しい闘いの日々において、何を指針としていけばよいのか。
本書が、厳しい戦いが続く中で道を切り開かれんとする多くの経営者の方々にとって、励ましの書となることを願います。
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