夢の実現を目指す博士のストイックな情熱『バッタを倒しにアフリカへ』前野ウルド浩太郎


 虫の皇と書いて、バッタと読む。それは、バッタを追い求めるひとりの博士の狂気の物語である。

 

 

 「ハムナプトラ」という映画がある。エジプトのファラオがゾンビとして蘇り、それを土の下に戻そうと考古学者たちが戦うという壮大なファンタジー作品だ。

 

 

 そのシーンのひとつが、ずっと頭にこびりついている。映画を最後まで見てもいないのに、そのシーンだけが。

 

 

 それは、ひとりの男に夥しい数のバッタの大群が襲い掛かるシーンだった。男は瞬く間に肉を喰い尽くされ、骨だけになる。おお、なんと恐ろしい。

 

 

 もちろん、ファンタジー映画だけあって、大袈裟に描いているのだろう。しかし、実はまるっきり冗談とも言えないのが、バッタの恐ろしいところである。

 

 

 大量発生したバッタの大群は、途方もない距離を旅し、道中の作物を根こそぎ食い荒らし、彼らの後には枯れた地しか残さない。

 

 

 古来より蝗害は、天災とも怖れられるほどに恐怖されてきた。それほどまでに、バッタは恐ろしいものなのだ。

 

 

 しかし、そんなバッタの大群に向かって、緑の服を身に纏い、虫取り網片手に突撃する男がいる。

 

 

 あまりの恐ろしさに恐慌を起こしたのか。否、違う。彼はバッタをこよなく愛する昆虫学者なのである。

 

 

 『バッタを倒しにアフリカへ』。その死闘の日々を綴ったエッセイを書いたのは、前野ウルド浩太郎先生である。

 

 

 その本はまさに凡百の本の立ち並ぶ本棚の中において、あまりにも異彩を放っていた。

 

 

 表紙にて、緑一色の服を身にまとい、虫取り網を持ってかっこつけている男こそ、浩太郎先生その人である。

 

 

 さらにひっくり返して裏表紙を見れば、そこには緑色の全身タイツを着てバッタの大群に身を捧げるも、スルーされている彼の姿がある。

 

 

 そこには、言葉が添えられていた。その者、緑の衣をまといて砂漠の地に降り立つべし。やだ、かっこいい。

 

 

 タイトルに偽りあり。彼の目的は、バッタを討伐することではない。それは、彼の夢が起因している。

 

 

 彼はバッタをこよなく愛しており、「大量のバッタの群れに齧られること」を目的に、ただ邁進してきたのだ。

 

 

 その目的のためならば、サソリに刺されて足が大きく腫れ上がろうとも挫けない。その情熱には、狂気すらも感じる。

 

 

 なぜ、たかがバッタにそれほどまでに執着するのか。そもそも、齧られたいって何。バッタを倒すんじゃないのか。

 

 

 彼の目的を知れば、多くの人の頭の中には疑問の渦が流転するであろう。私もその一人である。その発想は、私のような凡人には理解できそうにない。

 

 

 しかし、同時に、彼のその狂的とも呼べるストイックな情熱が、私には羨ましく思えた。

 

 

 生活だとか、名声だとか、そんなものに彼は頓着していない。彼の全てはバッタにあり、虫にある。

 

 

 彼の世界にはバッタと彼だけがいた。それだけで、彼の世界は充分なのである。

 

 

 それほどまでに夢に向かって邁進し、好きなことに心血を注ぐことができたなら、どれほど幸せだろうか、と、私は望まずにはいられない。

 

 

 試しに私も、緑のタイルを着て外に出てみようか。……いや、うん、やっぱりちょっとやめておこう。

 

 

夢を叶えるためにアフリカへ

 

 100万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。

 

 

 まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へとひとり駆けていく全身緑色の男が著者である。

 

 

 私はバッタアレルギーのため、バッタに触られるとひどい痒みに襲われる。あろうことかバッタを研究しているため、死活問題となっている。

 

 

 それでも自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。子どもの頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。

 

 

 小学生の頃に読んだ科学雑誌の記事で、女性観光客がバッタの大群に巻き込まれ、緑色の服を喰われてしまったことを知った。バッタに恐怖を覚えると同時に、その女性を羨ましく思った。

 

 

 虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと語り合うのが夢になった。

 

 

 時は流れ、バッタの研究をはじめ、博士号を取得した。着実に昆虫学者への道を歩んでいたが、想定だにしなかった難問に直面した。

 

 

 大人は金を稼がなければならない。生活のことをうっかり忘れていた。現代の日本ではバッタ研究の必要性は低く、バッタ関係の就職先を見つけることは至難の業もいいところだ。

 

 

 途方に暮れて遠くを眺めたその目には、世界事情が飛び込んできた。アフリカではバッタが大発生して農作物を喰い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。

 

 

 バッタの大群に巻き込まれながら、アフリカの食糧問題を解決できる。夢を叶えるのに手っ取り早そうなので、アフリカに行ってみたのは31歳の春。

 

 

 その結果、自然現象に進路を委ねる人生設計がいかに危険なことかを思い知らされた。

 

 

 さしたる成果をあげることなく無収入に陥った。バッタのせいで蝕まれていく時間と財産、そして精神。全てがバッタに喰われる前に、望みを次につなげることができるだろうか。

 

 

 本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。

 

 

バッタを倒しにアフリカへ [ 前野ウルド浩太郎 ]

価格:1,012円
(2021/2/9 02:12時点)
感想(22件)

 

関連

 

旅の先で得るものとは『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭

 

 新自由主義に疑問を抱いた僕は、別のシステムを経験しようと思い、社会主義国家のキューバへと飛び立った。それはまるで、この灰色の都市からの逃避行だ。

 

 

 自由について考えている貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 (文春文庫) [ 若林 正恭 ]

価格:792円
(2021/2/9 02:15時点)
感想(1件)

 

出会いが導く女のひとり旅『ガンジス河でバタフライ』たかのてるこ

 

 旅は恋のようなものである。私は旅に夢中になった。女のひとり旅。目的もスケジュールも決めない。旅先での人たちとの出会いが、次の目的地を決めてくれる。

 

 

 ひとり旅がしたい貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

ガンジス河でバタフライ (幻冬舎文庫) [ たかのてるこ ]

価格:712円
(2021/2/9 02:17時点)
感想(14件)