ひとつの事件から始まる悲劇の連鎖『贖罪』湊かなえ

　学生の頃に読んだ物語が、ずっと頭の片隅に残っている。読んだ直後に胸中に溢れていた不快な感情が、何年も経った今でも尾を引いていた。

　湊かなえ先生の『贖罪』。たくさんのイチゴがずらりと並んでいるその表紙の鮮烈な赤色が、どこか不気味に思えた。

　小さな田舎町で起こった、ひとつの事件。エミリというひとりの少女の命が無残に奪われた。犯人は今も見つかっていない。

　当時、被害者となった少女は友人である四人の少女たちといっしょに遊んでいた。

　小柄で大人しい紗英。背が高い真紀。スポーツが得意でがっしりしている晶子。目が悪くて眼鏡をかけている由佳。

　犯人は彼女たちに「手伝ってほしいことがある」と話しかけ、五人の中からエミリを指名し、その場から連れ去った。

　一時間後、なかなか戻ってこないエミリを心配して探しに行った彼女たちは、倒れたエミリを発見するのだ。

　警察からの事情聴取で、犯人の顔を聞かれた彼女たちは、四人とも覚えていないと答える。こうして犯人は見つかることなく、事件の真相は迷宮入りした。

　彼女たちに恨みを抱くエミリの母は、三年後、町を去る直前に彼女たちを呼び出して、言い放った。

「時効までに犯人を捕まえるか、償いをしなさい。さもないと、私はあらゆる手段を使ってでも、あなたたちに復讐してやる」

　事件の記憶と彼女からの呪詛にも似た約束が、四人の少女たちの人生を狂わせていく。

　当時の私は湊かなえ先生の『告白』を読んだばかりだった。映像化された『告白』は大いに話題になっていた。

　けれど、「イヤミス」といえば、私は今でもこの『贖罪』以上のものはないと思っている。

　これほどまで、読んでいて感情を揺さぶられた作品は初めてだった。読み終わった後はしばらく憂鬱になったくらい。

　だからだろうか、今にもなって、私の頭の中にその『贖罪』が浮かんできたのは。そんな場合でも、ないというのに。

　目の前で倒れているひとりの男。床に寝そべったまま、ぴくりとも動かない。彼の命が、赤い雫となって彼の身体から零れ落ちていく。

　私はそんな彼をぼんやりと眺めていた。力が抜けた私の手から、するりと抜け出して音を立てて床に落ちる。

　イチゴのような鮮烈な赤色。贖罪。思い出すのは、私の罪。これもまた、償いのひとつなのだろうか。

　学生の頃、いじめられていた彼から向けられた、助けを求める視線。私はその視線に気づいていながらも、見ないふりをして目を逸らした。

　そういえば、その頃に読んでいたのがまさに、『贖罪』だった。床に寝そべった男の目が、私を憎々しげに睨みつける。その顔は、かつていじめられていた彼の顔だった。

　違う、私じゃない。私はいじめていない。私はいつも、あなたを助けようと思っていた。だけど、仕方ないじゃない。そんなことをすれば、今度は私が。

　胸中で渦巻いている言い訳。彼を助けない理由を、私は必死で探し続けていた。そんな三年間だった。

　卒業した時は、逃げるように彼とは別の高校に進学した。あの牢獄のような教室から解放されて、私は初めて息を吐いたような気がしたのだ。

　遠く微かなサイレンの音が聞こえる。それは、だんだんとこちらに近づいてきていた。音を聞きつけた近所の人が、通報でもしたのかもしれない。

　近づいてくる、私の贖罪の時。ああ、これでようやく、罰を受けることができるのだ。鏡に映る私の顔は、薄い微笑みを浮かべていた。

連鎖していく悲劇

　麻子様、先日は結婚式にご出席くださりありがとうございました。あの親戚縁者たちを見て、不愉快な思いをされているのではないかと、式の間中気になっておりました。

　空気がきれい。それだけが取り柄のあの町が、本当に何もないところだったということに気付いたのは、高校を卒業し、東京の女子大に進学した七年前です。

　四年間、わたしは大学の寮で生活しました。東京の大学に進学したい、と両親に申し出た時、彼らは口を揃えて反対しました。

　東京に何があるというのだ。県内の大学なら、何かあればすぐに帰ってこられる。お互い安心じゃないか。父にはそのように説得されました。

　何が安心なものか。この町で約八年間、わたしがどんなに怯えながら過ごしてきたのか、あなたたちが一番わかってくれていたのではなかったのか。そう言うと、もう反対はされませんでした。

　生まれて初めて訪れた東京は、別世界でした。想像以上にすばらしい場所だ、と感動しました。

　わたしが東京に来たかったのは、オシャレなお店や遊ぶところがたくさんあるからではありませんでした。

　わたしの過去を知らない人たちに同化して、姿を消してしまいたかったのです。

　正確に言えば、殺人事件の目撃者である自分を、未だ捕まらない犯人の目から隠してしまいたかったのです。

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