不思議な力を持つ特別な人たち『光の帝国 常野物語』恩田陸


 私がその男を初めて見たのは、祖父の古いアルバムだった。生前の祖父が、学友たちと撮影した白黒の集合写真。そこにはたしかに、彼の姿があった。

 

 

「恩田陸先生の作品に、『光の帝国』っていうのがあるんだけど、読んだことありますか?」

 

 

 それは『常野物語』というシリーズのひとつだ。不思議な力を持った常野という一族を巡る物語を描いている。

 

 

「その中に、印象的な話があります。二人の書簡によって綴られる話ですね。その中に、ツル先生と呼ばれている男が登場するんです」

 

 

「えっと、それが、何か?」

 

 

 彼女は怪訝そうな表情で、私を見た。話の結末が見えない、とでも思っているのだろう。しかし、私は構わず話を続けた。

 

 

「それが不思議な話で、ひとりが言うんです。『ツル先生』と呼ばれている老人は、もう何百年も学校の校長をしていることになる、って」

 

 

 世代を超えた古い写真。はては、戦前の文献にまで。その『ツル先生』は登場している。文字だけでも、彼の特徴と名前はまったく同じ。容姿は老人のまま、ずっと生き続けている。

 

 

「ふうん、つまり、その『ツル先生』とやらは人間ではない、と?」

 

 

「彼は常野一族の長のような存在です。一族を、ずっと見守っているんですよ。時代を越えて、生き続けながら」

 

 

「はあ、それで」

 

 

 彼女はため息を吐いて、退屈そうな視線を窓の外に向けた。外はもう、かすかに夕闇が指している。

 

 

「そんな小説を紹介するために、私を呼んだのですか? 書評がしたいのなら、オトモダチとしていただきたいのですが」

 

 

「私の祖父のアルバム」

 

 

 私がそういうと、彼女はぴくっと顔をこわばらせた。視線が細くなる。私たちの間にある空気が変わったのを感じた。

 

 

「先日、祖父が大切に持っていたアルバムが見つかりました。二重底に厳重に隠されていたんです。びっくりしましたよ。なにせ、その写真には信じられないものが写っていたんですから」

 

 

「なんですか。心霊写真でもあったんですか?」

 

 

「ある意味、そうかもしれませんね。祖父の学生時代の集合写真。そこに映っている教師。その人に、私は会ったことがあるんです。祖父の葬式で」

 

 

 その男は、招待客の誰とも会話せず、離れたところにぽつんと座っていた。私は彼のことを知らず、別の人に聞いてみると、どうやら高校で教鞭をとっている教師なのだそうだ。

 

 

「写真を見た時、驚きましたよ。他人の空似どころじゃない。見た目まで、そっくりでした。写真の時点ですでに老人だったのに」

 

 

 アルバムに書いた名前は、聞いた名前と同じだった。偶然にしてはあまりにもおかしい。奇妙に思い調べてみると、彼の記録は、古いものでは江戸時代のものすら見つかったのだ。

 

 

「そう、彼は、あなたのお父様ですよ。そして、彼は今でも生きている。そうでしょう?」

 

 

 私が調べた資料と共に突き付けると、彼女はしばらく俯いて黙り込んだ後、ふっと顔を上げた。その表情には、諦観のような静けさがあった。

 

 

「仮にそうだとして、あなたは何が目的なんですか?」

 

 

「彼に会わせてください」

 

 

「会ってどうするんです?」

 

 

 私は思わず膝の上に置いた拳を握った。

 

 

「聞いてみたいんです。彼に。生き続けられる方法を」

 

 

 余命宣告を受けたのは、一か月前のことだった。もうしばらくすれば、まともに動くことすらできなくなるだろう。

 

 

 こんな年齢で終わるなんて嫌だった。まだ何もできていない。私はまだ生きたいんだ。

 

 

「良いことなんてひとつもありませんよ、生き続けることに」

 

 

 ぽつりと。呟くようなその声は、まるでひとりごとのようだった。彼女の視線は、私に向けられていない。

 

 

「終わりがあるのは、とても幸せなこと。来ないものを待ち続けることほど、寂しいことはない」

 

 

 遠くを見つめるような彼女の視線が、ハッと見開かれて、私に向けられた。そこには、全てを拒絶するかのような冷たさがあった。

 

 

「諦めてください。たとえあなたが生き続けたくても、私たちにはどうすることもできません」

 

 

 開かれた窓からふっと風が吹く。思わず瞬きをすると、彼女の姿は消えていた。風は私の髪を揺らせてどこかへと飛んでいく。

 

 

不思議な力を持つ旅人たち

 

 奥様とのなれそめは、と訊かれたときに、篤は「茶碗が割れたせいです」と答えることにしている。

 

 

 相手は勝手にいろいろ想像を逞しくして、それなりの物語をこしらえているらしい。しかし、誰がどんなに想像力を駆使したところで、彼と美耶子の出会ったいきさつを思い描くことは不可能だろう。

 

 

 三宅篤はその日、取引先の食品メーカーの部長に誘われて出かけた。

 

 

 篤と高島氏との関係は、少々風変わりである。親子ほど歳が離れていて、しかも重要顧客ときては敬遠しそうなものであるが、正直なところ、同期と遊びよりよほど楽しいのだった。

 

 

 しかし、もっと重要なのが、篤と高島氏の店の趣味が一致していたことである。

 

 

「今日は、とっておきの店に連れていこうと思ってね」

 

 

 内心は好奇心でいっぱいだった。高島氏のとっておきの店とは、どんなところだろう? 想像もつかなかった。

 

 

 日比谷線の人形町駅で降りて、高島氏の背中を見ながらしばらく歩いているうちに、懐かしい匂いのする路地に出た。

 

 

「いいか、店の入り口に座るところがあって、娘が一人出てくるから、お水を一杯いただけますか、と言うんだぞ」

 

 

 篤がぽかんとした表情になった。水を一杯ください、なんて、童話の中に出てくる老人のセリフみたいだな。

 

 

「ごめんください」

 

 

 篤が張りのある声で奥に呼びかけると、はい、と澄んだ声が返ってきた。軽い足取りが廊下をやってくる。なぜかどきどきしているのんい気が付いた。

 

 

 思いがけなく白のセーターにジーンズの若い娘が現れた。思いきり短くした髪から覗く顔の線とスレンダーな身体の線には、しなやかさと清潔な美しさが漂っていた。

 

 

「お水を一杯いただけますか」

 

 

 高島氏に促され、篤は約束を思い出してそう口に出していた。娘は静かに答えると、奥に消えた。椅子に座って待っていると、やがて盆に茶碗を載せて娘がやってきた。

 

 

「お茶をどうぞ」

 

 

 彼女がそう言った時、高島氏が隣で息を呑むのがわかった。篤は彼女から茶碗を受け取ろうとして、目が合った。

 

 

「あっ」

 

 

 娘が小さく叫び、ぱきいん、と澄んだ音がして茶碗が三和土で割れた。

 

 

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