生徒たちの間だけで言い伝えられる奇妙なゲーム『六番目の小夜子』恩田陸


 始まりはいつだってくだらない。けれど、それを別の誰かが繰り返したら、それは数珠つなぎにつながって、やがて尾鰭だけが引き継がれていく。伝統なんて、所詮はそんなもの。

 

 

 生徒たちから提出された読書感想文の紙束を見ていた私は、藤野という生徒の感想文に目を留めた。

 

 

 どんな生徒だったか、思い出そうとすると顔がはっきりと出てこないくらいには影の薄い生徒だ。大人しく、誰と仲がいいという話も聞かない。

 

 

 彼女は、『六番目の小夜子』という作品について書いているようだった。へえ、と内心で思う。その作品を取り上げたのは彼女だけだった。

 

 

 『蜜蜂と遠雷』や『夜のピクニック』など、ジャンルも様々な作品を手がけている、恩田陸先生のデビュー作だ。

 

 

 ある高校では、生徒たちの間でだけ、奇妙なゲームが引き継がれているという。

 

 

 鍵が渡された生徒は、一年間「サヨコ」になる。「サヨコ」は誰にも自分の正体を言ってはいけないし、見つかってもいけない。

 

 

 三年に一度、その年に任命された「サヨコ」にはしなければならないことがある。それは、学園祭の出し物の企画。

 

 

 意思表示を示すには、始業式の日に教卓に花を活けた花瓶を置く。それで、企画の方針を表すのだという。

 

 

 花を活けた、花瓶。ふと、私の脳裏によぎる思い出があった。それは、決して明るくはない思い出。

 

 

 始業式の日、私は花を活けた花瓶を見たのだ。生徒の机の上に。そう、あれはたしか、藤野さんの机だったような。

 

 

 もしや、彼女はいじめられているのか。不安に思って、最初の頃は注意して見ていた時期があった。

 

 

 けれど、そんな様子はない。彼女が誰かと話しているところを見たことはないが、いじめられている感じは少しもなかった。

 

 

 それで安心したのだ。すっかり忘れていたのは、あまりにも藤野さんが存在感のない生徒だったからだろう。

 

 

 『六番目の小夜子』は学園ホラーで、爽やかな青春の明るさと、対照的な「サヨコ」にまつわる謎の不気味さが印象的な作品だ。

 

 

 大詰めの演劇のシーンは、特に圧倒されたような覚えがある。まるで自分もその場にいるかのような異様な緊張感があった。

 

 

 けれど、意外に思ったのは、藤野さんはそういった見所についてはあまり触れていないことだ。彼女は一貫して、伝統の不必要を問うていた。

 

 

『私は「サヨコ」を押しつけられた人たちがかわいそうだと思いました。「彼女」が言うように、大切な青春の時間を、「サヨコ」に奪われてしまうということだから』

 

 

「先生、書き終わりましたぁ」

 

 

 ふと、職員室のドアを開けて入ってきた女生徒に目を向ける。いかにも快活そうな彼女は、手に、遅れていた読書感想文を持ってぶんぶんと振っている。

 

 

「あ、幽霊のじゃん」

 

 

 私の手元を覗き込んだ彼女がそう言ったものだから、私はハッとして彼女の目を見た。彼女は「ヤベ」と小さく呟いて冷や汗を垂らす。

 

 

「あなた、幽霊ってどういうこと? まさか、藤野さんのことじゃないでしょうね。もしかして、彼女、いじめられてるの?」

 

 

 私が聞くと、彼女はどんどん顔色を悪くしていく。けれど、話しなさいと圧をかけると、やがて観念したのか、はあとため息を吐いた。

 

 

「わかりましたよぉ。でも、私が話したって絶対に言わないでくださいね」

 

 

 曰く、それはこの高校で何年もひそかに続けられているゲームらしい。そう、まさしく『六番目の小夜子』のように。

 

 

 始業式の朝、先生に気付かれないうちに生徒のひとりの机の上に花瓶を置く。置かれた生徒は以後、一年の間「幽霊」として扱われる。

 

 

 学校にいる間、「幽霊」に対して不必要に干渉してはならない。いじめてもいけないし、話しかけることも許されない。学校の敷地外において、そのルールは解除される。

 

 

 ルールが破られると、「幽霊」役の生徒をはじめとしたそのクラスには不幸が襲いかかるという。

 

 

 聞きながら、私は愕然としながらも納得した。藤野さんがどこかクラスから浮いているように見えるのは彼女が「幽霊」だからだろう。

 

 

 しかし、同時に思い出した私の思い出が、そんな事実をどこかへ追いやった。それは遠い、私が学生だった頃の、セピア色の記憶だ。

 

 

 学生の頃、私は同級生の女の子をいじめていた。彼女が私の好きな人に告白されたからだった。

 

 

 彼女の机の上に花瓶を置いて、「幽霊」だとからかったのだ。すると、やがて、クラスの誰もが私につられて彼女を「幽霊」と呼び出したのだ。

 

 

 私の母校はこの高校だ。私が通っていた頃、そんなゲームはなかった。けれど、私が卒業した後は。

 

 

 私はもう一度、藤野さんの感想文に視線を落とす。「サヨコ」となった人に向けた哀れみは、そのまま彼女と同じように「幽霊」になってしまった人たちに向けられているようだった。

 

 

 胸に刺すような痛みがある。私から始まったのだろう、このゲームはいったいどれだけの生徒の青春を奪い、かわいそうな「幽霊」にしたのだろうか。

 

 

今年の「サヨコ」は誰だ?

 

 それがいつ始まり、誰が始めたのかは、正確にはわからない。しかし、それは、三年に一度、必ず行われるのだ。

 

 

 それは、他愛のないしきたりだった。何の意味もない。しかし、それでもその『行事』は行われた。

 

 

 『犯人』にあたる者は『サヨコ』と呼ばれた。『サヨコ』になる者は、『サヨコ』自身と、その『サヨコ』が指名する、前回の『サヨコ』しか知らない。

 

 

 次の『サヨコ』は、前回の『サヨコ』がいる代の卒業式当日に引き継がれる。在校生が卒業生に花束を渡すときに、あるメッセージが次の『サヨコ』となるべき者に手渡されるという。

 

 

 それを受け取った『サヨコ』は、四月の始業式の朝、自分の教室に赤い花を活けなければならない。赤い花が活けられた瞬間から、その年のゲームはスタートするのだ。

 

 

 『サヨコ』のすべきことはたったひとつ。それさえ誰にも自分が『サヨコ』であることを悟られることなくやりとげれば、それがその年の『よきしるし』であり、その年の『サヨコ』は勝ったのだ。

 

 

 私たちの卒業する年、その年は『六番目のサヨコの年』と呼ばれていた。そしてそれは、あの、不思議な暗喩に満ちた、恐るべき一連の出来事を引き起こしたのである。

 

 

『六番目のサヨコの年』。その四月の始業式の朝、この物語は始まる。

 

 

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