ピンポーン……。玄関先からインターホンを鳴らす音が聞こえてくる。私は布団の中でびくっと肩を震わせた。
来た。来た。奴らが来た。思わず身体が震えるのを感じた。この日が来るのを、私はずっと予想していたような気がする。
ピンポーン……。近所のガキどもか。宗教の勧誘か。扉の向こう側には、いったい何が立っているのか。
布団から目だけ覗かせる。廊下の先に見える見慣れたはずの扉が、見る見るうちに大きく膨れ上がって聳え立ち、得体の知れない怪物のようにすら見えた。
訪問者に気をつけろ。恩田陸先生の、『訪問者』の中の一節だ。
同じ家に暮らす老人たち。訪れた雑誌の記者とカメラマン。窓の外に立つ女。誰もが何かを隠している。
不可解な二つの死。老人たちの誰かが父親だ。犯人は誰か。いや、それとも或いは。鍵を握るのは一通の手紙。訪問者に気をつけろ。
訪問者。訪問者。シンプルな何気ない言葉の裏に、なんて不穏な響きがあるのだろう。
日常に当たり前のような顔をして入り込んでくる異質な存在。訪問者という言葉の、その正体不明さ。異物感。
その小説は、まさしくその謎を体現したかのようだった。家にいる老人たちも、記者も、誰ひとりとして正直者はいない。
会話の端々から感じられる不穏さ。解き明かされた謎の上に、さらに重なるように現れる新たな謎。
何も信用してはならない。真実なんて、そこには存在しなかった。全てはベールを纏ったように隠されている。
ピンポーン……ピンポーン……ピンポーン……。立て続けにチャイムが響く。その無機質なインターホンの音が、まるで頭に響いて弾かれるかのように。
堪えきれず、私は布団から抜け出して立ち上がった。蹴り落とした掛布団がベッドから零れ落ちる。
パジャマに適当にガウンを羽織って、おそるおそる扉に近づいていく。そうしている間にもチャイムは鳴り響いている。
扉についている覗き穴に目を近づけて、外を覗く。何も見えない。そこには、何も映っていなかった。
震える手で、私はドアノブを握る。冷たい金属が私の湿った掌にぴたりと吸い付いた。
鍵を開ける。ガチャ、と音がした。ゆっくりと取っ手を回し、音を立てないように静かに扉を開ける。外の、湿った風が隙間から流れ込んで私の身体を舐めた。
訪問者とは誰か?
来客を告げるベルが鳴った。そのくぐもった音を合図に、ドアの向こうから誰かが近づいてくるのがわかる。
井上唯之は背筋を伸ばし、ドアが開くのを待つ。緊張の一瞬だ。そして、とにかく最初の印象が肝心だ。
後ろではカメラマンの長田が控えている。よし。彼はすうっと息を吸い込んだ。がちゃ、と鈍い音がしてドアが開く。
と、何か小さい影が彼の脇腹を突き飛ばして中に飛び込んでいったので、井上は面食らった。小さな疾風。子どもだ。ひょろっと痩せた女の子。
中から顔を出した小柄な中年女が、井上の顔を見てすぐに視線を彼女に移し、きびきびした声で叱責した。少女は「ごめんなさい」と小さく頭を下げ、家の中に駆け込んで見えなくなった。
「週刊Kの方ですね? 伺っております。どうぞお入りください。皆さん、奥でお待ちですよ」
モスグリーンのエプロンをしている女は、どうやら彼らの家政婦兼ヘルパーであるらしい。
きびきびとした動きで先に立って歩き出すと、井上と長田を中に案内した。井上は喉の奥で聞こえぬようにゴクリと唾を飲み込む。さあ、行くぞ。
廊下の奥の部屋は、やや薄暗いと感じたものの、なかなか居心地がよく趣味も悪くなかった。そしてそこに、静物画のように溶け込んでいる四人の男の姿があった。
「はじめまして、週刊Kの井上と申します。こちらはカメラマンの長田です。本日は、お時間をいただきまして本当にありがとうございます」
井上は些か慇懃すぎると思われるほど深くきっちり頭を下げ、四人に名刺を配り、案内してくれた女性にも名刺を渡した。
老人たちは、興奮しているらしく、はしゃいだ声でお喋りをしていた。雰囲気的に、お茶が配られるまでは本題に入りにくかった。
家政婦の更科が大きなお盆を持って中に入ってくる。井上はドアを押さえてやった。と、するともうひとり、小柄で派手ななりをした老女が入ってきた。
この女は朝霞千恵子。どうやら彼女は、このお茶会に参加したいらしい。老人たちが忌々しげに顔を見合わせるのを素知らぬふりで、ちゃっかりソファに座り込む。
そろそろ本題に入るべきだな。井上は席に座り直し、背筋を伸ばした。老人たちもつられて椅子の上に反りかえる。
「本日はお忙しいところお時間をいただき本当にありがとうございます。今日は、皆さんに、先日亡くなった峠昌彦監督のお話をお伺いしたいと思います」
井上は大きな革のバッグからウォークマンを取り出してコーヒーテーブルに置いた。五人が頷き、真顔になった。
「峠昌彦監督が世界でも注目され始めていた矢先の事故でした。今日は、彼の幼年時代を知っている皆さんに、彼の幼児期についてお話を聞くのが大きな目的です」
井上は改めて老人たちを見回した。いよいよ、始まるぞ。
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