奇跡の再会のもたらすもの『ツナグ』辻村深月


「再会に、乾杯」

「乾杯、といっても、ジュースじゃ様にならねぇな」

 彼はそう言ってくっくっと笑う。その皮肉気な口調はまさしく覚えのある彼のもので、胸中に懐かしさが溢れる。

「昔さ、君に貸した本があっただろう。『ツナグ』ってタイトルの。辻村深月先生の」

 僕がそう聞くと、彼は「ああ、あったなあ」と懐かしそうに言う。「返せなくてすまないな」と謝ってくるから、いいんだと手を振って応える。

 『ツナグ』には使者という字が当てられる。作中では、ツナグは生者と死者を一度だけ引き合わせることができる力を持った存在として描かれている。

「まさか、お前、ツナグに頼んだとか言うんじゃねぇだろうな。あれはたった一回だろ。お前に使うくらいならミキちゃんに使うっての」

「頼んでないよ。そもそも、あれはフィクションだし。それに、ミキちゃんって君が口説いてた子でしょ。あの子、寿退社して会社を辞めたよ」

「マジかよ」

 彼はそう言って落ち込んだように肩を落とした。それどころか、先日、そのミキちゃんの子が結婚したという噂すら聞いた。このことは黙っていよう。

 彼が亡くなって、もう随分と長い月日が経った。彼はまだ三十代半ばの若い姿だけれど、僕はもう、白髪が混じり始めている。

 彼の変わらない長身や、生意気さを湛える目つきの悪さや、がっしりとした体格を見ると、再会を喜ぶ心の片隅で、寂しさがゆるりと首をもたげてくる。

 叶うのならば、僕も彼とともに年を取りたかった。白髪で、腰の曲がった老人になるまでともに語っていたかった。けれど、その未来はもう、二度と叶うことはない。

 彼は年を取らず、自分だけが年を取っていく。その差が哀しかった。彼が年を取ることができないという現実が、哀しくて仕方がなかったのだ。

「おいおい、何、突然泣いてるんだよ。年取って涙腺が緩くなったんじゃねぇのか。いや、そういえば、お前は昔から泣虫だったな」

「誰が泣き虫だ。好きだった同僚の子に振られて泣いていた君に言われたくはないよ」

「お前、人の心の傷を!」

 ぐっ、と彼はふざけて胸を押さえる。その手の下にあるはずの心臓はもう動いていないというのに。

 こうして彼が生きていた頃と同じように向かい合って語り合っているのに、僕と彼の間には明確な壁があった。あちらと、こちらの。

 僕と彼の道は途絶えてしまった。彼の道だけが途中で途切れ、僕の道だけが一本だけで孤独に続いていく。

「お前、俺の葬式は行った?」

 僕は首を横に振る。

「いや、行ってない。ごめんな、行ってしまったら、本当に君がもういないのだと認めてしまう気がして」

「ああ、なるほどな。だからか」

「だからってのは?」

 彼ははあとため息を吐くと、それまでの皮肉気な態度を一変させて表情を引き締めた。真剣な声色のまま、僕に言う。

「いいか、略式でいい。俺の葬式をしろ」

「……やっぱり、葬式に出なかったことを怒っているか?」

「違う」

 葬式は何のためにするかわかるか? 彼の問いに、僕は首を傾げる。葬式は死者の魂を送るためじゃないのか。

「当たらずも遠からず、だな。いいか、葬式ってのは生きている人間が死者に別れを告げるための場だ。つまり、俺たちのためじゃない、生きている人のためのものなんだよ」

 魂を送る。それはつまり、故人についての記憶を思い出としてしまい込んで、今後の人生に故人がいなくなったことを認めることなんだ。

「お前の前にこうして俺が現れたのは、お前がまだ、俺のことを未練として残しているからだな」

 僕は黙り込んでいた。彼の言うとおりだったからだ。僕は彼がいないのだということを認めたくなかった。認めてしまったら、僕は本当に二度と、彼と会えなくなる。

「安心しろよ、俺と会えなくなっても、お前ならなんとでもなるさ」

 彼はそう言ってにやりと笑い、手に持ったグラスを差し出した。僕は口を開かないまま、グラスを寄せる。チンと軽い音が響いた。少しでも口を開けば、決壊しそうだった。

 彼が空に視線を向ける。僕もつられて視線を向けた。地平線の向こう側に、かすかに光が見えた。

「空が、白んできたな」

 彼の言葉通り、その光は大きくなっていき、次第に空が白くなっていく。朝が来たのだ。

 僕は彼の方を見た。そこには誰もいなかった。手つかずのグラスだけが、ぽつんと置かれている。

 本当は知っていたのだ。彼は僕のただの妄想なのだと。ただ、認めてしまったら、僕は二度と彼と会えなくなる。だから、知らないふりをしてきた。

 だが、もうそんな誤魔化しもできないのだろう。他ならない彼が、そう言ったのだから。

 ずっと俺になんか囚われてないで、早く先に進めよ。親友の声ならぬ声が、どこかから聞こえたような気がした。

大切な人との最後の一晩

 風が吹いて、コートの襟に手をやる。空を見ていた目線をずらして横を見ると、さっきまで誰もいなかった街路樹の前に少年が立っていた。

「平瀬愛美さん?」

 急に声をかけられて、用意していたはずの返事が喉に絡んでしまう。私の反応に、少年が一歩身体を引いた。

 都営新宿駅のその駅に、私は今日初めて降りた。私はずっと目の前の大通りを過ぎる車を見ていた。いつ、彼は来たのだろう。

「そうです。平瀬です。あの」

 戸惑った。待ち合わせの時間と場所に間違いはない。だけど、道行く人の中に私が探し、想定していた相手は、もっとずっと年上だ。

 高校生くらいだろうか。使い込んだふうの大学ノートを一冊、手に持っていた。「イマドキの子」の匂いがする。

「あの」

 緊張した声が、舌の先で固まる。彼が「行きましょうか」と言った。私はまだ動揺していた。先導するように歩き出した彼の背中に問いかける。

「代理の方、ですか?」

「僕がツナグです」

 目を瞬く。振り返った彼が、面倒臭そうに目を細めてこっちを見た。

「代理じゃなくて、僕が本人です。僕が話を聞きます」

「私――、会わせてもらえるって聞いて」

「ご心配なく」

 少年が、持っていた大学ノートを肩からかけた鞄にしまおうとする。彼が言った。生真面目な口調で一語一語、はっきりと。

「亡くなった人間と生きた人間を会わせる窓口。僕が使者です」

 周りの音を一切、目の前の大通りの車の音さえすべて断ち切るような彼の声を、私は呆然と聞いた。

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