自分の手で暮らしをつくる『いま、地方で生きるということ』西村佳哲


 僕の生まれ育った故郷は、海に浮かぶ小さな島である。学生の頃からずっと、僕はこの島から出ていきたくてたまらなかった。

 

 

 その島は地図で言うのなら県境にあった。船に乗って数分経てば、別の県の港町に辿り着く。

 

 

 地図で見ると、まるでレモンのようだ。だからなのかは知らないが、散らばっている農地では柑橘やレモンをよく見かけていた。

 

 

 僕がいつも地元を紹介するときに言うのは、「信号機がない」ということである。そもそも車がそこまで走っていないのだ。道が狭いからすれ違う時はぞっとする。

 

 

 小さな島の割に、特産品や観光はそれなりで、テレビが来たことも何度かある。僕が学生の頃には人気のあるミュージシャンがコンサートをした。うっかり寝てしまったけど。

 

 

 島の真ん中には大きな山がそびえ立っている。春になると桜が一気に花開くから、山のてっぺんが薄い桃色に染まる。頂上にある展望台から見る景色は圧巻だ。行くまでの道が危ないことを除けば。

 

 

 小さな島だからバスは無料で乗れるし、降りたいところを伝えれば停留所でなくとも降ろしてくれる。田舎だからか、なんともユルイのだ。

 

 

 出ていきたいとは言ったが、僕はこの故郷が嫌いではない。とはいえ、好きかと言われればそういうわけでもなかった。

 

 

 なにせ、コンビニがない。本屋もないし、遊べるような施設もない。飲食店は二、三くらいしかなくて、スーパーはひとつしかないから値段が目玉が飛び出すくらい高い。

 

 

 本を読むのが好きな僕にとって、その環境が嫌で嫌で仕方がなかった。なにせ、本を買うためには片道千円以上の船代を払わなければならないのだ。

 

 

 クラスは一学年十人程度。幼稚園からずっと同じで、クラス替えなんてものもない。

 

 

 高校は島の中にないから船に乗って別の島に行っていた。船の便が少ないせいで、いつも港で待つ羽目になる。退屈で仕方がなかった。

 

 

 僕が念願叶って島の外でひとり暮らしを始めたのは、大学生の頃だった。徒歩数分のところに本屋がある。図書館もある。最高だった。

 

 

 友だちとよくカラオケにも行ったし、毎晩のように食べにも出かけた。飲食店なんてそこら中にあった。

 

 

 歩いてすぐのところにスーパーがある。値段が安いし、なんでも揃っていた。必要なものはすべて歩いていけばすぐに手に入った。

 

 

 そして今、僕がどこで暮らしているかというと、故郷の島に戻って、バイトをしながら実家のお世話になっている。

 

 

 島の外にはなんでも揃っていた。どんなものでも安い値段で手に入った。電車もタクシーもバスも走っていて、生活は便利だった。

 

 

 ひとり暮らしを始めて僕が知ったのは、どれほど自分の故郷の島には何もなかったか、ということである。

 

 

 そして同時に、何でも揃っているからこそ、都会にはなくて、島にしかないものがたくさんあることを知った。

 

 

 僕は結局、あれほど焦がれていた本屋には、住んでいた間、ほとんど行かなかった。歩いて数分の場所にあったのに。

 

 

 あればあるほどいいわけじゃあない。足りないからこそ、いい。そんなものだってあるのだ。

 

 

 業務用スーパーで買った激安のミカンは、皴だらけでちっともおいしくなかった。島で食べるミカンは今日も格別においしい。

 

 

地方だからこそできる生き方

 

 「いま、地方で生きるということ」と書かれた紙を目の前に置いて、三島さんはキラキラしている。相談があるという連絡をもらって出かけた僕は、新しい本の相談を持ち掛けられていた。

 

 

 書けそうにないオーラが滲み出ているはずなのに、彼のキラキラには衰える兆しがない。結局その日は、八方美人な返答でお茶を濁して別れた。

 

 

 なぜ、はっきり「無理」「書けません」と断らなかったのか。実は自分がもう20年近く、東京以外の暮らしの場を探していたことがあった。「地方で生きるということ」は僕のテーマでもあったのです。

 

 

 その約半年後、宮城沖の地震とそれに伴う大きな災害が発生した。そして4月中旬、再び三島さんからメールが届いた。

 

 

「あらためて、〈地方で生きるということ〉というテーマでの本づくりをご相談させていただけないかと思っております。ぜひ一度、お時間いただけないでしょうか」

 

 

 今度ははっきりお断りしようと考えて、会い、話して。でも結果として、なぜか「書きます」と答えてしまった。書ける気は未だにしなかったけど、「書く」と決めた。

 

 

 「どこで暮らしてゆこう?」「どこで生きてゆけば?」ということを改めて考えている人は、多いのではないかと思う。

 

 

 一方、「どこで生きていても同じだ」という気持ちになっている人も多いかもしれない。

 

 

 自分の中では、こうした自問と欲求が絡まり合っていて、足場が定まらない。最後はやはり「東京から離れたところに場所を持ちたい」という気持ちに至るのだけど、それがなぜだかよくわからない。

 

 

 なら、確かめてみようか。締め切りを少し先送りにさせていただいて、二つの旅に出ることに決めた。

 

 

 5月中旬に被災地を含む東北へ。続けて5月下旬に九州と屋久島へ。その中で、何名かの方々に会いインタビューを交わしながら、「地方で生きるということ」を集中的に取り扱ってみよう。

 

 

 5月13日の午後、仙台へ向かう新幹線に乗った。でも何を書けばいいのかは依然として不鮮明で、旅に出てみたものの、そんな心細さでいっぱいだった。

 

 

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