古典鑑賞『歌舞伎という宇宙』渡辺保


白く塗った顔に、赤い奇妙な文様を描き込んた男が、瞳を寄せた不思議な表情で演技し、片手を突き出し、片足を挙げた歩き方をする。私の中での歌舞伎のイメージは、長い間、それ以上のものはなかった。

 

歌舞伎は知らず、けれど歌舞伎役者の名はいくらか知っている。彼らの名はテレビでも見かけることが多いからだ。特に市川海老蔵さんの名前はよく耳にしたし、ドラマでの片岡愛之助さんの演じた役柄はちょっとした衝撃だった。

 

しかし、彼らを見ても、相変わらず歌舞伎というものの実態はぼんやりとして曖昧なままである。私が過去に歌舞伎の映像を見たことがあるのは、小学生の頃の音楽の授業で見たもの、ひとつきりだった。

 

その時に見たのは『勧進帳』である。当時は知らなかったが、歌舞伎の演目の中でも有名なものであるらしい。ただ、当時の私が何かをそこから感じ取ることはできなかったように思う。

 

言葉は聞き慣れないためか何を言っているかもわかりにくく、ストーリーの良さもいまいちわからなかった。ただ、演技の勢いに圧倒されたことだけは覚えている。歌舞伎を見るには、まだ幼かったのだろう。

 

私にとってそんな曖昧模糊としたものだった歌舞伎に、今になって心惹かれようとしているのは、蝉谷めぐ実先生の『化け者心中』という小説がきっかけだった。

 

江戸を舞台に、芝居小屋で起きた事件を鳥屋と元女形の役者が解決するという、ホラーが入り交じったミステリ小説といった様相の作品である。

 

この作品に登場する、「役者」という人間たちの、ぞっとするような妄執と業の深さに、私は魅了された。そして、彼らのことを、いや、彼らの住んでいる世界のことを、もっと知りたいと思ったのだ。

 

そこで、歌舞伎を知るために本をいくつか見繕ってきた。そのうちのひとつが、渡辺保先生の『歌舞伎という宇宙』である。

 

どうしてその本を選んだかというと、『化け者心中』巻末の参考資料のところに、この本の名前があった(気がする)からだった。

 

『歌舞伎という宇宙』は、歌舞伎そのものというよりは、歌舞伎の演目ひとつひとつを、ストーリーや演技、歴史的なものを踏まえて鑑賞してみせている本だった。

 

歌舞伎初心者どころか、右も左もわからない私にとって、その本は大いにありがたい。急に専門用語ばかりをまくしたてられても、サッパリわからないからである。歴史や物語を読むのは滅法得意であった。

 

その本によると、歌舞伎鑑賞は「二つの見方」があるという。感性的な見方と、理性的な見方である。一方は演技を見ることであり、もう一方は背景をも見ることである。

 

作者はどちらも否定せず、しかし、この本ではひとまず、理性的な見方をしている。先生の鑑賞の中には、時に現代的な風潮に疑義や辛辣な意見を投げかけているのもあった。

 

しかし、だからこそ、私はよりその本の鑑賞眼を信頼したと言えよう。非難ばかりでは歌舞伎の素晴らしさがわからず、かといって褒め称えるばかりでは媚びを売っているようにも感じてしまう。

 

批評も賞賛も入り交じっているからこそ、歌舞伎に今まで嗜んできた人の、心の底からの鑑賞なのだと信じることができた。

 

その本の終盤に載っていたのが、私が唯一見たことがある『勧進帳』である。そこで、私はようやく、あの頃に見た歌舞伎のストーリーと魅力を再認識できたのだ。記憶の中のあの映像が、現代の頭の中に蘇ってくる。

 

歴史的な出来事を、独自の解釈で物語へと昇華させることにこそ、理性的に見た歌舞伎の楽しみだと感じた。それは小説にも通ずるところがある。私たちが生まれる何年よりも前から、そうした物語は人々を楽しませてきたのだと実感できた。

 

この本を読んでいて、困ったことがひとつだけある。こうなってしまっては、本物の歌舞伎を見たくてたまらなくなってしまったことだった。せめて読み終わるまでは、と思って、必死に我慢していたが。

 

読み終わり、本を閉じると、私はすぐにネットを立ち上げた。もちろん、歌舞伎の映像を見るためである。あの頃の『勧進帳』を、もう一度見たいと、そう思った。

 

 

歌舞伎鑑賞の楽しみ方

 

歌舞伎の見方には、およそ二つの見方がある。ひとつは、感性的な見方である。歌舞伎の美しさ、楽しさに陶酔し、役者の芸や姿の風情を喜ぶ。

 

もうひとつは理性的な見方。歌舞伎といえども演劇のひとつには相違ないから、その人間的な表現、作品のもつ意味、演技の正確さを吟味する見方である。

 

こういう二つの見方の、どちらも私には否定できない。歌舞伎というもののなかに、すでにこういう二つの見方を可能にする側面が存在しているからである。

 

この本は、その二つの見方のうち、理性的な見方を意識的に構築したものである。なぜそうしたかといえば、歌舞伎というものを、もう一度演劇として裸のまま見直したいというつよい欲求が、私の中にあったからである。

 

このことは実は江戸時代の人々の感覚の原点にもどるということでもあった。江戸時代の観客は芝居小屋の宇宙の中で、彼らこそ自分たちの同時代人だと思っていたのである。自分と劇中の人物の共感によっておこる。この共感こそ私は、芝居を見ることの第一歩だと思う。

 

歌舞伎には、現実に生きている光彩がなければならない。観客の涙のなかでこそ歌舞伎の光彩があらわれるだろう。

 

 

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