煩悩を静める108のお稽古『しない生活』小池龍之介


小池龍之介先生の『しない生活』という本を読んだとき、私が思い出したのは、私自身が忌むべきものだと捉えていた、人生の一時期であった。

 

かつて、仕事に疲れ切って、今までの一切を捨てる覚悟で仕事を辞めた私は、次に就いた仕事も長く続かず、しばらくは失業保険でもらうお金だけで生活していた。

 

その期間は、半年である。この間は、何の誇張もなく、本当の意味で「何もしなかった」と言ってよいだろう。

 

ただ動画を見て、友人と遊び、食事を食べて、寝た。それだけの生活だった。ハローワークの言葉通りに就活に励んだわけでもない。形だけ行っていたのは、あくまでも失業保険を受け取ることだけが目的だった。

 

体力を使っていない分、夜に眠ることができず、昼夜が逆転した生活を送っていた。無気力に支配されて、何もしたくなかったのだ。

 

真っ当に社会に生きている社会人の諸君であるなら、こんな私を見て、「何を自堕落な」だの、「働け」だのと思うかもしれない。

 

私自身、今現在アルバイトではあるものの働いている身としては、「せめて何かあの時にしていれば」と悔やむ気持ちがないわけではなかった。

 

しかし、今はそうではないと思っている。あの時期はあの時期で、必要だったのだと肯定できるようになった。

 

『しない生活』を執筆した小池龍之介先生は、仏教に深く携わっている人物であるらしい。作中にも、仏陀の言葉やエピソードの引用が幾度か用いられている。

 

今の世の中は、いろいろと心を悩ませることが多い。先生が言うには、それはすべて煩悩のせいである。

 

その煩悩を解消するためには、立ち止まり、自分を見つめ直し、内省するべし。この本には、その参考になるような言葉や、小池先生自身の体験などが記されている。

 

あの何もしなかった半年間、仕事を辞めて、時間だけは有り余っていた。部屋でひとりでいる間、私はずっと考え続けていたように思う。

 

生きるとは何か。自分とは何か。仕事とは何か。家族とは何か。社会とは何か。死とは何か。人間とは何か。お金とは何か。人生とは何か。

 

傍目から見て「何もしていない」その半年間は、私の身も心も休息し、自分自身を見つめ直すための時間だった。

 

あの時間がなければ、私の現在はなかっただろう。仕事での苦痛と挫折、退職からの無気力な生活、それらすべてのおかげで現在があるのだ。

 

それを思えば、自分はなんと良かっただろうと思う。今の世の中、「何もしない」ことは難しい。生きていくにもお金がいる。お金のためには働かなければならない。誰もが生きるために働いている。

 

私は「何もしない」時間を過ごすことができた。そのおかげで、それまでは見えなかった、自分の人生の指し示す方向が見えたような気がする。

 

「何もしていない」人間は、真面目に働いている人たちから責められる。人間として当然の尊厳すら否定されることすらある。誰も彼らを庇ってはくれない。

 

それが怖いから、多くの人は「何もしない」ことができなくなっている。それは怠慢であり、罪だと思っている。責められて当然だと思っている。だから、そうならないために、働き続けるしかない。前に進み続けるしかない。

 

一旦、立ち止まってみてはどうだろうか。私たちはマグロじゃないんだから、足を止めても死にやしない。意外とどうにでもなる。

 

自分ががむしゃらに進んでいるこの道。みんなと一緒に向かっているこの方向は、果たして本当に自分が行きたいところなのか。そう疑ってみては、どうだろうか。

 

仏教の開祖である仏陀は、悟りを開くために誰よりも厳しい修行を続けていた。しかし、彼が悟りを開いたのは、その修行の末ではない。

 

厳しい修行をやめた時、彼は初めて悟りの境地に辿り着いたのだ。彼はその場に立ち止まることにしたことによって、悟りを開いた。

 

多くの他の修行僧たちは彼のことを厳しく批判したらしい。でも、仏陀の生き方や言葉が多くの人に感銘と感動を与えたことを、現代の私たちは知っている。

 

現代を生きる私たちはみんな、厳しい修行を続けているようなものだ。でもきっと、本当に大切なものは、その先にはないのだと思う。

 

 

立ち止まって、内省する

 

新聞紙上で、二年半にわたり毎週連載してきた「心を保つお稽古」より、選んで一冊に編みましたのが、この『しない生活』です。

 

そのときの自分にとって一番気になる身辺の事象やわが心模様を切り取って、記事を書き続けたものなのですけれども、この連載をした時期の中盤から後半の途中くらいまでは、私自身が苦境に立たされていた頃でありました。

 

その時期の文章には、ちょっとした諧謔は込めつつも筆者自身の苦渋がいくらか滲み出ているようで、そのぶん身に迫る叙述になっているのではないかと思います。

 

そこではいわば、私自身の現在進行形の弱さや逡巡といった生の素材を煩悩分析のまな板にのせて調理したことで、現実味を持って体感的な自己内省をしていただけるのではないか、と期待する次第です。

 

あらゆる失敗と苦境は、立ち止まって丁寧に見つめ、内省の光を当ててやるなら、ことごとくかけがえのない財産になるのです。

 

困った時こそ静かに立ち止まり、何かを付け足そうともがいたり引き算しようとあがいたりせずに、ただただ内省することこそが、そこから最良の学びを引き出してくれるものです。

 

すなわち、次の手を打たない、「しない」でただ、内面を見るだけに踏みとどまること。この、自己内省のお稽古こそが、「しない生活」なのだとも申せましょうか。

 

 

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