小説という毒を浴びて、悪い子になりましょう。その言葉に、「本を読む」ということの真髄を見たような気がした。
桜庭一樹先生といえば、真っ先に思い浮かぶのはアニメ化もされたライトノベルミステリ『GOSICK』である。日本人の純粋な学生と、美少女名探偵のコンビの物語は、私の意識を古き良き英国に連れて行ってくれた。
「シャーロック・ホームズを女の子にして読んでいたことが、『GOSICK』が生まれるきっかけになった」
自分の作品の誕生秘話を先生自身が綴ったのが、『小説という毒を浴びる』である。いわゆる書評集であり、辻村深月先生や綿矢りさ先生との対談なども収録されている。
紹介される本は、桜庭先生の好みが反映されているのか、ホラーやミステリが多く、海外小説がほとんどだ。誰もが知っている有名な作品、というようなものが少なく、読んでいた私は紹介される作品のほとんどを知らなかった。
桜庭先生の巧みな書評を眺めていると、どうにも読みたくなってしまって困ってしまう。世の中にはまだまだ私の知らない名作が眠っているらしい。
だが、私がもっとも心に残ったのは、書評そのものではなかった。その言葉は、ページの片隅に、流れるようにさらっと綴られていた。
「小説という毒を浴びて、悪い子になりましょう」
思わずはっとする。小説を読んで学べとは言わない。小説を読めば教養が身につく、とも違う。どこか皮肉げで、それでいて本質を貫いたひと言。そのひと言に、私の心は一気にとりつかれたのである。
本とはそもそも何か。物語は葛藤のうちに生まれ、順調の中には生まれない。社会を生きていく中で、上手くいかないこと、違和感、そういった歯車の軋みを巧みに文章に織り交ぜることで、本というものはできあがる。
つまり、本はそもそも、社会に相反するものだ。だからこそ、本を読むことで、いわゆる大人が求める「いい子」が出来上がるわけがない。
世間に疑問を持ち、自らの意思で考え、悩み、苦しみ、社会に絶望しながら生きていく「悪い子」になるに決まっている。なるほど、小説はたしかに毒、それも劇薬だ。
『小説という毒を浴びる』で紹介されている作品は、どれもひと癖ふた癖あるものばかり。考え方が捻じ曲げられそうな物語を、いくつも教えてくれる。それも、読みたくなるような魅惑的な書評でもって。
それはまさに、甘言を弄ぶ蛇に等しい。劇薬の詰まった薬瓶を並べた棚を前に、私は佇んでいる。店主である桜庭先生の言葉が、だんだんと私の意識を奪い去っていく。
そうして気付くのだ。桜庭先生の言葉そのもの、「毒」を紹介するこの本自体も、甘く魅力的な芳香を放つ「毒」なのだと。
社会に従順な「いい子」は生きるのもたやすい。何の疑問も持たず、ただ与えられるものを受け取って、社会の濁流に呑まれ続けていけば流されるがままの生活もいずれは終わりが来る。川下まで、時の流れが導いてくれるだろう。
対して、「悪い子」はどうか。社会の流れに逆らおうとする。奔流に自らの身を傷つけながら、ボロボロの姿で流されまいと堪え続ける。そのためには、知恵も、力も、自分の持っているすべてのものを駆使しなければならない。
「いい子」か、「悪い子」か。「いい子」になれば、悩みも苦しみもなく、幸せな人生を送ることができるだろう。ただ人から与えられた人生を。ただ、それは果たして、自分の人生だと言えるのだろうか。
もう何もかもが遅い。私は「悪い子」になってしまった。毒を浴びすぎたのだ。そして、毒の魅力にとりつかれてしまった。小説という甘い甘い毒。ページをめくり、私はまた毒を浴びるその快楽に溺れていく。
小説という毒
このページを読んでる貴方は、いきなりですが、男性ですか? 既婚者ですか? 奥様を愛していますか? 奥様が突然出奔した場合、たとえば、こういった選択肢はありえるでしょうか?
「通りがかりの狐を妻の化身と思い込み、屋敷に連れて帰って、飼う」
『狐になった奥様』は、1922年にイギリスで書かれた、デイヴィット・ガーネットの処女作。
美人の奥様シルヴィアに出奔された真面目一方のテブリック氏は、森で拾った雌狐を愛妻の化身だと言い張って、「いきなり獣になって戸惑う妻を献身的に介護する」という謎のひとり遊びの殻に閉じこもってしまった。
苦悩し続けるテブリック氏の独白に爆笑しながら読み進めたのだが、ラストシーン、思わぬアクションシーンで物語が幕切れになってしまった驚きと、奇怪な感動が胸に突き刺さり、さっきまでげらげら笑っていただけにいつまでもいつまでも、胸が痛む。
作者ガーネットは、祖父は大英博物館の図書部長、父は小説家、母はロシア文学翻訳者という文学の名門一家に育ったが、書物に関わる仕事を禁じられ、王立科学院で植物学を勉強した。
戦後は本屋を経営し始め、出版社も興し、『動物園に入った男』、『バッタの襲来』、『空を飛ぶ臆病者』、『ポカホンタス』など珍妙な作品をたくさん残した、尊敬すべき異才である。
この作品も、結婚とはなにか、女とは何者であるのか、とかいろんなテーマが隠されていて、読む人によってまったくちがう物語になる気がする。
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