「働き方改革」。私がちょうど就職活動をしている頃くらいから、よくテレビで見かけるようになった言葉だ。労働者のための改革。「いい時代になったものだ」と、当時の私は思っていた。
「残業をしないように」
会社の上司からしばしば言われていたのは、その言葉である。私が就職した会社も「働き方改革」のあおりを受け、「残業なし」で「定時で帰る」というのを目標にしていた。
仕事よりもプライベートに力を入れたかった私にとってはありがたい話で、就職したばかりの頃は「残業をしない」という方針を徹底していた。
だが、次第に雲行きが怪しくなり始める。きっかけは、仕事を覚えてきて、日々の業務が増えてきたことだった。次々と増えていく仕事が間に合わず、その日中に終わらせることができなくなったのだ。そんな私に、上司は言った。
「タイムカードをきって、その後に続きの仕事をしなさい。あ、残業だと言われないように、服は着替えてね」
つまり、定時で退社した形にして、その後にサービス残業をしろと言う。私は言われた通り、タイムカードをきって、私服のまま、店舗が閉じる時間まで続きの仕事をしていた。
だんだんと、そのやり方が私の「普通」になっていく。時には、出勤日に終わらない仕事を、休日に私服のまま続けていたことすらあった。もちろん、残業代なんて出るはずもない。
当時の私はこの状況をおかしいとは思わなかった。今にして思えば、これほど本末転倒なことはないだろう。「残業なし」という言葉が、「残業代を出さないように」という言葉にすり替わっているのだから。
私がその本に惹かれたのも、そうした経験があったからかもしれない。久原穏先生の、『「働き方改革」の嘘』という本だ。
安倍政権の打ち立てた「働き方改革」。それは、一見、労働者である私たちにとって良いものであるかのように思える。だが、その本は、それはまやかしであると断言するのだ。
曰く、「働き方改革」は、「働かせ方改革」である、と。つまり、労働者にとって有利になる改革ではなく、企業にとって有利になる改革だということだ。
どういうことか。例えば、「高プロ」と呼ばれるものがある。「高度プロフェッショナル制度」。専門的な技能を持つ一定の条件を満たした労働者を、本人の同意を条件として、労働時間規制や割増賃金支払の対象外にする、というもの。
「時間ではなく成果で評価する」というのが名目だけど、この制度には罠がある。つまり、企業側は「高プロ」となった労働者を、残業代を払わずにいくらでも働かせることができるようになる、ということになる。
これはおかしい。「働き方改革」は労働時間を短くするための改革だったのでは? それなのに、逆行するような制度がつくられているじゃないか。
しかし、この本を読めば読むほど、それはまだ、「働き方改革」という巨大な虚飾の、氷山の一角でしかないことがわかる。
一見、労働者のためのように見える「働き方改革」。だけど、たしかに、よく考えてみると、そのひとつひとつには違和感が生まれてくる。
そして事実、「働き方改革」によって、労働環境がより悪化した人たちも少なくない。その現実にこそ、この改革の真実が潜んでいるように思う。
きれいな美辞麗句で飾られたそれが、果たして本当に美しいものなのかどうか。お金のため? 人のため? 社会のため? 政府は、企業は、いったい何を見据えてその言葉を綴っているのか。美しいものの裏には、大抵汚い真実が隠されている。
私たちはもっと疑わなければいけないのかもしれない。私たちが盲信しているその人は、本当に私たちのことを考えてくれているのかどうか。
「働き方改革」の裏側
政府が主導して「働き方改革」が進められている。
何のために働き方改革をするのは、働き方改革で何がどう変わるのか、国民ははたして理解しているのか。ただ政府の言説に踊らされ、言われるままに働きに出ようとしていないだろうか。
政府の言説には、時として「ポスト真実」が紛れ込んでいる。世にいう「ポスト真実」の時代とは、事実が軽視され、嘘がまかり通ってしまいがちな時代といっていい。
働き方改革もまた、ポスト真実があちらこちらに顔をのぞかせている。いや、むしろ要所という要所が、ポスト真実によっていかにも事実のように信じ込ませ、だから働き方改革をしなければいけないのだ、という論理構成になっている。
政府の働き方改革は問題山積みなのである。一見すると「長時間労働の是正」や「同一労働同一賃金の導入」など、働く人にとってメリットが多となる内容のように思える。だが、子細に目を凝らしてみれば、実態は必ずしもそうではないことがわかる。
なぜ、このような矛盾に満ちたものになったのか。それは、安倍政権が財界・経済界とあうんの呼吸で進めてきた働き方改革だからである。
働き方改革とは名ばかりで、働く人よりも働かせる側の論理でつくられた、財界主導の「働かせ方改革」が実態なので、それを覆い隠すには「ポスト真実」が必要だ。つまり「ポスト真実の働き方改革」というのが正しい姿である。
本書で強調したいことは二つある。
ひとつは、政府が改革の必要性を声高に叫んだり、危機的状況だと訴えたりしたときには鵜吞みにせず、それが真実かどうか慎重に見極めなければならないということだ。
もうひとつは、働き方改革の本質や根本の方向性がそもそも違うということだ。経済成長に邁進するという前提が国民の間にあるかのような働き方改革――だが、はたしてそれで良いのか。
日本は成熟した経済社会である。成長よりも幸福度を高めることの方が大切だと多くの人が思っている。まず幸せに働ける環境をつくり、その結果として経済成長が実現するという道筋を描くべきである。
労働法制の変更は、きわめて影響が大きい。それだけに、経営側の要望を優先しては取り返しのつかないことになる。現状を黙視していては、この国の若い人たちの将来が一層暗いものになりかねないとの危機感を強く訴えたい。
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