小説は人間を活性化させるための言葉の仕掛けである『小説の方法』大江健三郎


一冊の小説を読んで、私は読後感に身を沈めてほうと息を吐いた。実に面白い本であった。しかし、ふと一抹の疑問が唐突に生まれる。はて、なぜ私はこれを「面白い」と感じたのだろう。

 

私は小説が好きである。だが、改めて考えてみると、小説とはいったい何なのだろうか。今まで何気なく見ていたそれが、正体を探ろうとすれば途端に謎めいた霧中の存在へと変貌する。

 

昨今、本を読まない若者が増えているという。彼らから見れば、私が本を読む姿は「こいつらは絵も音もないただの文字を眺めて何を楽しんでいるのだ?」とでも言ったところだろうか。

 

なるほど、たしかにそうだ。小説は、いくら壮大な物語がそこに綴られていたとしても、実際にはそれが再生されているわけじゃない。それはあくまでも紙の上に立ち並んだただの文字の羅列でしかないのだ。

 

ならばなぜ、私はこんなにもたかが文字ごときに心を弄ばれているのだろうか。それは、ただの文字以上の何かが小説という伏魔殿の奥に隠れているからかもしれない。

 

その正体を探すべく、私は一冊の本を手に取った。それは、かのノーベル文学賞を手にした作家である大江健三郎先生の『小説の方法』である。

 

大江健三郎先生といえば、数々の優れた作品を世に出してきた一方、確固とした独自の文学理論を持っている方でもあるらしい。

 

そんな先生であるならば、この謎に包まれた「小説」というものの正体を解き明かしてくれるかもしれない。そんな考えから、私はその本を読んでみることにしたのである。

 

「小説は人間をその全体にわたって活性化させるための、言葉による仕掛けである」

 

そこには、そう書かれていた。

 

「異化」という文学手法がある。それは、日常の何気ない出来事を詩的な言葉によって芸術的な感性へと引き上げる、というものだ。大江先生はこの本の中で、その言葉について思索を巡らせていた。

 

言葉は読んでいる人の頭の中に意識として滑り込み、情景を想像させる。脳内のカンバスに文字から生まれた風景を描く。きっと、本を読むのが苦手な人はこの段階で躓くのだろう。文字をただの文字としてしか認識していないのだ。

 

しかし、その時点ではまだ、ただの日常の模写でしかない。それを、「異化」することによってその風景は芸術的な非日常へと昇華していく。ということだろうか。

 

ううん、と私は首をひねる。読んではみたものの、結局のところ、私の頭では難しすぎてよく理解できたとは言いがたい。わかったようでわからないような、そんな気分になった。

 

「異化」とはつまり、日常において自然と流れていく風景の中のひとつに目を留めて、それを詩的な言葉で表現することで自分の中に落とし込むことで非日常にまで変化させる、ということであるらしい。

 

小説というものの全貌は、依然としてよくわからない。だが、『小説の方法』を読むことで、その輪郭線ははっきりとした境目を持つようになってきた、ような気がする。

 

日常の光景を非日常にする。それが小説というもののひとつの形であるのなら、私たちが心動かされている小説の舞台は、あくまでも日常の延長線上にあるということになるのではないか。

 

それは、私たちの過ごす日常がいかに美しいものであるかということを、改めて教えてくれる。私が小説を読んで感動するのは、読み終わった後の世界がひと際眩しく輝いて見えるからかもしれない。

 

小説は見る人によっても、書く人によっても、その姿を変え、誰の手にも捕まらず、煙のように逃げ続ける。いっそ、小説の正体を隠しているように見えていた霧こそが、「小説」という存在の本質なのではないかとすら思うのだ。

 

 

異化と構造

 

言葉を軸にして、人間とは何かということを考えつつ、そのように考える自分が、まず人間について基本的な信頼の思いをもっていることに気付く。

 

その思いはさまざまな時を隔てて、また世界の多様に距離を置いた諸地点で、言葉について深く考える人間が、ついには同一の方向付けに至ることを見て励まされる。

 

言葉なしで、意識が真に考えることはできない。意識は言葉に出会ってはじめて、明瞭に考え始める。

 

その人間の言葉に、二種がある。歌とは、日本語における典型的なモデルだが、いわゆる詩的言語。それに対して日常・実用の言葉。

 

文学表現の言葉は、意味を伝えるための記号だけのもの、というのではない。文学表現の言葉は、かたちをそなえている。

 

そのかたちの構成要素としての、音やリズム。このかたちを、散文では文体といいかえればなじみやすくなろう。かたちをそねた文学表現の言葉は、その形を通してものの手ごたえを返してくる。

 

ものの手ごたえをそなえている、かたちのある文学表現の言葉。それは日常・実用の言葉に対して、どのようにしてつくりだされるのか?

 

日常・実用の言葉は「異化」されることによって、文学表現の言葉となる。その認識にまず立って、「異化」の定義を、われわれ共有の道具としたいと思う。それはざまざまなレヴェルにおいて文学表現の言葉を検討するたびに、有効な道具である。

 

 

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