服従することの恐ろしさとは?『従順さのどこがいけないのか』将基面貴巳


何かがおかしい。私の中の何かが、そう囁いている。いや、疑問なんて必要ない。だってこれは、仕事なのだから。上司から命令されたのだから、だから、しょうがないことなのだ。私はそう自分に言い聞かせて、スイッチを押した。

 

仕事をする時、私は自分の感情をなくすようにしている。組織の中における自分は、ただの歯車。上司の思想を実行するためのただの手足にならなければならない。

 

手足は意思を持たない。ただ、脳からの指令に従うだけだ。そう、それさえしておけばよい。自分の意思を持つと、手足同士の統制がとれなくなって、組織は破綻するだろう。

 

上司からは「君は勤務態度が実に真面目で、優秀な社員だ」と称されている。それは、この従順さこそが上司に評価されているのだ。

 

上司の言うことにさえ従っていれば、私が間違うことはない。上司の言葉に異を唱えるような社員がいることが、私には信じられなかった。何を望んでそんなことをするのかわからない。

 

真面目であること。社員に求められるのは、それだけでよい。真面目とはすなわち、上司の言葉に対して如何に忠実に応えるか、ということである。

 

私がボタンを押すたび、多くの人が、苦しみの中に身を投じることになる。そして、散々苦しんだ後、彼らはようやく安息を迎えるだろう。私の仕事の結果がどこにつながるのか、それは作業を始める最初に聞かされた。

 

もちろん、躊躇いを覚えなかったわけじゃない。「こんなことは間違っている」という良心の声は、今も頭の中にある。だが、仕方がないじゃないか。逆らえば、私だって、仕事をクビになり、生活できなくなるのだから。

 

ボタンを押す。ただひたすらに。心をなくせばいい。次第に、彼らの悲痛な叫びも、涙も、全てはただの作業になる。迷うのは最初だけ。食肉工場と同じだ。育てた鶏を肉にすることを躊躇っていては、私たちの食卓から鶏肉はなくなるのだ。

 

今日の最後のボタンを押し、断末魔をしっかりと確認した後、私はタイムカードを押す。その瞬間、身体を走る甘い感覚。機械から人間に変わったような身の軽さ。

 

帰り道、私は中途で本屋を見つけた。今までそんなところにあるとは、気付かなかった。試しに寄ってみることにする。久しぶりに本を楽しむのも悪くない。

 

書棚に並べられた背表紙をぼんやりと眺めていると、ふと、一冊の本が目に入った。『従順さのどこげいけないのか』というタイトルである。

 

私は暫くその本を眺めていた。なぜか目が離せない。私はゆっくりと手を伸ばし、その本のページに、人差し指をかけた。

 

私はふうと息を吐き、隣の本を人差し指で引き抜く。タイトルをチラッと見て、この本を買うことに決めた。『従順さのどこがいけないのか』は、空席になった隣にもたれかかって、どこか寂しそうにも見える。

 

私は買ったばかりの本を抱えて、帰路を歩いていった。しかし、私の頭の中には、買ったばかりの本ではなく、『従順さのどこがいけないのか』という言葉が、ずっと残っていた。

 

 

従順の罠

 

ニュージーランド南島のダニーデンという街では、近年、毎年のように高校生たちが抗議デモを行っています。地球温暖化に反対する運動の一環です。

 

実は、この抗議デモ活動は、学校の承認を経て行っているもので、また、デモに生徒が参加するにあたって、学校は親たちから参加の承認を取り付けています。つまり、学校も親たちもこうした運動をサポートしているのです。

 

こう聞くと、日本の大人たちはたいてい呆れかえるのではないでしょうか。日本の常識ではおよそ考えられないことだからです。ところが、彼らは、学校の授業で通常科目を学ぶだけが勉強ではない、と考えています。

 

大人になるということは、ひとりの市民として公正な社会を築くことに貢献するために、政治や社会の諸問題に強い関心を持ち、積極的に関わっていくことも意味する、と理解しているのです。

 

環境問題や差別問題などは、日本でも論じられている「政治」問題です。しかし、読者のみなさんにとって、「政治」はあまり身近な事柄ではないとお考えではないでしょうか。

 

ところが、実は、「政治」とは私たちの日常生活の中で毎日のように経験することなのです。「権威」として現れる存在に服従することや従順であることが要求される状況は、すべて「政治」です。

 

本書では、「政治」という現象を、「服従」や「従順さ」、そしてそれとは反対の「不服従」や「抵抗」というキーワードを中心に考えてみたいと思います。

 

今の日本社会には、私たちひとりひとりが、従順であることを要求する心理的圧力が充満しています。「服従」と「不服従」をめぐって思考を整理すれば、その息苦しさから抜け出すための糸口を見出すことができるでしょう。

 

しかし、もしあなたが、従順であることに何の疑問も抱かないでいるとすれば、これまで見えなかった恐るべき落とし穴があることに気付くことになるでしょう。

 

政治とは避けようにも避けて通れないものなのです。本書が、あなたにとって「政治」との関わり方を見直すきっかけとなることを期待しています。

 

 

従順さのどこがいけないのか (ちくまプリマー新書 385) [ 将基面 貴巳 ]

価格:924円
(2021/12/3 21:50時点)
感想(0件)

 

関連

 

日本人の幸福とは『空気を読む脳』中野信子

 

日本人は空気を読む民族である。空気を読まない人は「空気が読めない」として揶揄される。だが、空気を読んで、周りと同じような行動をしながら生きていく中に、日本人としての幸福は果たしてあるのだろうか。

 

空気が読める貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

空気を読む脳 (講談社+α新書) [ 中野 信子 ]

価格:946円
(2021/12/3 21:53時点)
感想(7件)

 

監視された国家で『R帝国』中村文則

 

その帝国の辞書には、「抵抗」という言葉はない。国民たちは統制された社会で、各々の生活をしていた。しかし、そこにある時、巨大な兵器が現れて都市を蹂躙する。なぜ、それは突然、現れたのか。

 

国家に従う貴方様におすすめの作品でございます。

 

 

R帝国 (中公文庫 な75-1) [ 中村 文則 ]

価格:792円
(2021/12/3 21:55時点)
感想(1件)