図書館で見つけた『小説の自由』という本を私が手に取ったのは、私が本好きであること以上の理由はなく、それだけで十分である。
その本は日常を描くことを得意とする保坂和志先生が書かれたもので、一か月ごとに寄稿されていたものを一冊の本としてまとめた小説論である。
何しろ読みにくい。本を読み慣れた私ですらそう感じるほどであった。さまざまな小説の引用を引っ張り出しては、話を二転三転とあちらこちらへと散りばめていく。
わかりやすくズバッと明快な答えを示すわけではない。しかし、ふらふらと彷徨いながらも目指す場所だけは見えている。見えているからこそ、なかなか辿り着かない。
その回りくどい混沌こそが、いや、あるいは読者を惑わせる難解さこそが、いっそ「小説」というものではないだろうか。
「小説」とは何か。思えば、本好き、小説好きを自称していながらも、私はその本質的なこと、根源的な問いに対して考えたことはなかった。
この本を読んで初めて、私はその問いを考えたのである。私にとって、私の愛する小説とは、果たして何なのか。
「小説」とは、作者の思想そのもの。それが、私の答えだ。
どんな小説であれ、端を発するのは作者の思考にある。小説はそれを文字として頭の外に出した、ただそれだけのものに過ぎない。
世間では、小説がカテゴライズされ、分析され、その正体を暴こうとする。しかし、そんなことができるはずもない。
もとより無制限に広がる頭の中を形にしようというのだから無謀である。その無謀を無理やり形にしたのが小説である。
そんなものを体系化するのはなおさら無謀という他ない。カテゴリ分けする必要はなかろう、というのが私の考えだ。
では、そんな「小説」の本質とは何か。私はそれを「自由」だと考える。思想を形にしたものなのだから、小説はどこまでも自由なものだ、と。
ルールは定められている。しかし、それを守らなければならないとは、私は思わない。
遵守するも破るも、作者の自由。それを選ぶのもまた、作者の考え方次第によるものだ。
世間の評価や読者からの意見は、時として辛辣なものである。多くの作家先生がその意見に答えようと四苦八苦しているようだ。
もちろん、評価が得たいと考えるのは当たり前の欲求だろう。しかし、評価を得ることに振り回されるあまりに自分の小説が捻じ曲げられるのは本末転倒である。
それは、自分の思想を他人に譲渡するのと同じことだ。そうなればもはや、それは作者の「小説」とは呼べない。
他者からなんと言われようと構わない。評価されなくとも構わない。ただ、自分の思想を形にしなければ気が済まない。そうしたならば、最後まで自分を貫く。
小説はひとつの芸術であると、私は思う。創り上げる作品に利は考えない。ただひたすらに、自己の内面と見つめ合い、自分の思想の切れ端をひとつの物語として引き出していく。
現代において、小説はかつてとは大きく形を変えた。ネットに投稿できるようになり、今や小説は溢れかえっている。
現代において、かつての明治・大正文学のような、いわゆる「文学」と呼ばれる作品はほとんど現れなくなった。
しかし、ネットという普及によって小説の敷居が下がったのは、良いことではないかと思う。それはつまり、多くの人に自己表現の機会が与えられたということだ。
職業小説家でなくとも、小説を書いたのならば「小説家」である。小説という媒体の中に自分の思想を宿したひとりの芸術家である。
技巧の差はあろう。好きも嫌いもあろう。しかし、小説に貴賤はない。評価されなくとも、それが悪いというわけではないのだ。
小説とは何か。正しい答えはないだろう。保坂先生の答えは『小説の自由』の中にあり、共感できるところもあれば、違和感を覚えるところもあろう。
しかし、それでいいのだ。人と同じである必要はない。自由であること。文字だけの世界では、私たちを縛る現実など、どこにもなく、ただ「自分」だけが存在している。
小説とは何か?
私にとって小説とは「読む」もの「書く」ものであると同時に「考える」ものだ。私は読んだり書いたりする以上に、小説について考えることに時間を使っている。
「考える」というのは、評論したり、批評したりすることではない。もっとずっと漠然としていて、抽象的で、しかし、時によってはものすごく細かくて厳密なことだ。
書く技術だけでなく小説と言う表現形態や人間や世界に対するイメージや思考の積み重ねがなければ小説は書けない。
日常や新聞で考えられている人間や世界のイメージと別のイメージを作り出すことが小説の真骨頂であると私は考えるから、「考える」という抽象的な時間を多く持つ必要がある。
そういう時間を積み重ねていくと、小説というものがもっとずっと動的で多層的なものだということが感じられてくるだろう。
テーマや意味は名詞的な固定したものだが、小説はそんなものをこえた終わることのない動詞の集積なのだ。
小説とは何か? 小説とはどうしてこういう形態なのか? なぜ人は小説を必要とするのか? ということを真剣に考えている人に向かっては、毎月真正面から応えるつもりで書いてきたし、今もそれを続けている。
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