苦しくなければ読書じゃない『読書という荒野』見城徹


 まこと本というものは面白い。私は常々、そういったことを感じてやまないのである。

 

 

 なにせ、あんなたかだか数枚の束になった紙切れに、人間一人の思想や哲学が元になったひとつの人生が記されているのだから。

 

 

 人間のひとつの人生そのものと向き合うのだから、本を開く我々もまた、真剣に向き合わねばならないだろう。

 

 

 とは、決して言うまい。そもそもとして、読書のスタイルは人それぞれであり、小生がどうこう言えるものではないのだ。

 

 

 一冊の本を長い時間をかけて、一文字一文字じっくりと精査して記された物語の考察に励むも良し。

 

 

 はたまた、一服のために淹れた珈琲を片手に、片手の指でページをめくりながら上滑りする文字を断片的に拾い上げていくもまた良し。

 

 

 どちらが良いとは小生には到底言えぬ。他人がどうこう煩く言おうとも、当人にとってはそれが最も優れた読書法なのであろう。

 

 

 小生はかつては腰を据えてじっくりと読んでいた。現実世界を飛び立ち、物語の世界に心の臓まで浸りきるのが好きだったからだ。

 

 

 ところが、近頃は頓と時間が取れず、片手間に読むことが多くなったのがつくづく惜しい。

 

 

 『時をかける少女』をはじめとするSF作品や革新的な手法に挑戦する筒井康隆先生は『創作の極意と掟』の文中において、小説を書くことについて斯様な言葉を残している。

 

 

 曰く、小説を書くとは、つまり無頼の道に踏み込むこと、であると。小説家がそれほどの覚悟を持って作品を書くならば、我々もそれなりの覚悟で読まねばなるまい。

 

 

 一冊の本の中には人生の重荷がこれでもかというくらいに詰め込まれている。酸いも甘いも、あらゆる辛苦も、極上の快楽も、そこには記されているのだ。

 

 

 我々の人生は短い。我々は生まれついて蠍の毒に侵されている。その毒が回りきる頃、我々の人生は終わりを告げるだろう。

 

 

 そして、貴君はまだまだであると考えているだろうが、その終わりはすでに我々のすぐ背後で今か今かと出番を待ち続けているのである。

 

 

 人生とは、かくも短いものである。残された時間はごくわずかであり、それまでに人間が経験できることはあまりにも少ない。

 

 

 我々は足りない時間を本によって補う。本は他人の人生の縮小であり、本を読むことは人生の追体験をしているのと同義である。

 

 

 やはり、読むならば小生は物語が良い。人生とは一冊のストーリーであるがゆえに。

 

 

 一方で、ビジネス書や教養書も近頃は読むようにしている。しかし、やはりどうにも好きになれない。

 

 

 読書に関する本は読んでいて楽しい。見城徹先生の『読書という荒野』もまた、そのひとつである。

 

 

 幻冬舎という企業を立ち上げた彼の読書哲学とは、はたしていかなるものであろうか。

 

 

読書とは

 

 石原慎太郎先生の『弟』、木藤亜也先生の『一リットルの涙』、山田宗樹先生の『嫌われ松子の一生』、劇団ひとり先生の『陰日向に咲く』、宮部みゆき先生の『名もなき毒』。

 

 

 幻冬舎は多くの名作を世に送り出してきた。見城徹先生はその企業の社長として偉業を先陣切ってきたのだ。

 

 

 それを可能にしたのは先生の審美眼であろう。優れた作家先生や名作を見出す力が優れているのだ。そして、それを躊躇なく出版できるだけの思い切りの良さを持っている。

 

 

 彼が大作家である石原慎太郎先生とともに仕事をするためにどんなことをしたかを思えば、見城先生がどれほど自分の仕事に向き合っているかがわかるだろう。

 

 

 彼をそこまで駆り立てるのはいったい何なのだろうか。

 

 

 曰く、容姿へのコンプレックス、学生の頃の挫折と負い目こそが彼の原動力であるらしい。

 

 

 暗い不純な原動力というなかれ、そもそも人間が本当に強い力を出せるのは明るいところにいたのではありえないのだ。

 

 

 辛苦こそが人間を最も動かすのである。人生の苦境に嘆くばかりで変わろうとしない人間はそこまでだ。

 

 

 先生は負い目や劣等感を糧にして幻冬舎という出版社を起こし、多くのベストセラーを売り出した。

 

 

 劣等感や負い目は決して悪いだけのものではない。それは我々をより高みへと持ち上げてくれる。

 

 

 今まさに苦境にいる貴君にこそ、『読書という荒野』を読んでもらいたい。本という世界を通して、現実世界を乗り越える力を得る術を教えてくれる。

 

 

読書をするうえで大切なこと

 

 人間と動物をわけるものは言葉を持っているという点に尽きる。

 

 

 言葉を持たない人間は、たとえ人の形をしていても、動物と何ら変わりないと僕は考える。

 

 

 人間を人間たらしめるのは言葉だ。では、人間としての言葉を獲得するにはどうすればいいのか。

 

 

 それは、「読書」をすることにほかならない。

 

 

 本には、人間社会を理解するうえでのすべてが含まれている。自分の人生だけでは決して味わえない、豊穣な世界の中で人は言葉を獲得していくのだ。

 

 

 普通の人生は極端なものになり得ない。だからこその読書なのである。

 

 

 自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない。これらを忘れるようなことがあれば、生きている価値がないとさえ思う。

 

 

 過酷な環境で戦う登場人物の出会いの中で情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で戦う自己を確立できるのだ。

 

 

 読書体験を重ねた人は、人間や社会に対する理想が純化され、現実が汚れて見えて仕方がなくなる。

 

 

 しかし、読書で純化した理想は現実に踏みにじられ、破壊される。そうした矛盾に苦しむからこそ、その先に新たな視界が開けるのである。

 

 

 「たくさん読むことがいいことだ」という風潮には違和感を覚える。情報の断片を積み重ねるより、そこから何を感じたのかの方が重要だ。

 

 

 ビジネス書や実用書には結論しか書かれていない。理論やノウハウではないプロセスは十分には表現されず、そのままなぞっても同じに再現できることなどないだろう。

 

 

 仕事のために必要な情報を本から取得するのは悪いことではない。しかし、重要なのは「何が書かれているか」ではなく、「どう感じるか」である。

 

 

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