学校を退学になった。俺と戦争をしているがごとく怒鳴り合いの争いをした教師は、疲れ切ったような、それでいてどこか取り残された子どものような、そんな表情をしていた。奇妙なものだ。学校を出ていくのは俺の方なのに。
反抗的、不真面目な態度、協調性のなさ。俺の通信簿には、そんな言葉が歴代並んでいる。だが、俺はそれを悪いこととは思っていなかった。そもそも、学校に通うことの必要性がわからなかったのである。
祖父の書斎には、たくさんの本がある。それさえあれば、俺は何もいらなかった。無数の文字の海に身を任せて、俺はただ、漂うことさえできていれば、それでよかったのだ。
本は偉大な先人の遺した最高の教師である。色褪せたページには何百年もの時間が降り積もっている。たかが十何年ほど俺より長く生きただけの教師が、彼らを超える教師だとは、俺は少しも思えなかった。
だからこそ、俺は教師たる彼らには従わなかったし、授業も度々欠席しては図書室にこもって読書に耽っていた。低俗な会話しかしないクラスの奴らとは会話する気すら起きなかった。
その集大成が、今日の退学につながるのである。俺ともっとも良く争った担任の教師が粘り強く戦ってくれたそうだが、俺を退学にする声が大きかったらしい。いけ好かない教師だったが、そのことだけは感謝してやらんこともない。
俺は唯一尊敬しているのは祖父である。ずっと本を読んでいる文字狂いの祖父のもとに俺が入り浸るのを、父や母はいい顔をしなかった。
といっても、祖父が俺に優しかったわけではない。むしろ、俺になんぞ構わず、ずっと本を読み耽っていた。やっぱり変わり者だったのだろう。彼と過ごす時間は、二人とも無言でページをめくるのがいつものことだった。
祖父は人付き合いも何もない人だったが、一度だけ、俺の誕生日プレゼントをくれたことがある。それは、ヘルマン・ヘッセのエッセイ『ヘッセの読書術』であった。それからしばらくして、祖父は体調を崩し、亡くなった。
ヘルマン・ヘッセは、通っていた学校もたびたび脱走し、退学までしている。自殺未遂を図って精神病院に入ったこともある。そんな彼が、偉大な文学者として名を残していることが、俺には甚だ不思議であった。
その答えこそが、この本である。ヘッセは兎角たくさんの本を読み、独学で知識を身につけ、作家にまでなったのだ。精神的、時代的な数々の苦難が彼の人生の原動力であった。
それを知って、俺は思ったのだ。学ぶのなら、教師の話などではなく、本を読めばよいのだ、と。
学校では、教師が正しいとされる。教師の言葉に異を唱えると叱られた。だが、それでは、ひどく偏った思考しかできなくなるのではないだろうか。事実、元クラスメイトたちは、大人の言葉に何の疑問も抱かず言うことを聞くだけの、「いい子」ばかりであった。
それも当然である。肝要なのは、疑問を持つことなのだ。本だってそうだ。書かれていることを全て鵜呑みにするのでは意味がない。
書かれていることに疑問を持ち、自らの考えと照らし合わせ、思い悩む。それこそが、「読書をする」ということである。
本は私の優れた教師である。本を読めば世界が広がる。それは教室などという狭い世界ではない、無限に広がる精神世界である。
祖父がどうしてこの本を私に遺したか。それは、読書と向き合うことの意味、そして本を読むことの指針、そういったものを、ヘッセの書に対する考え方から学び取ってほしいという願いなのではないだろうか。
文豪の読書
印刷された書物は、およそ五百年前からヨーロッパの文化生活をつくりあげてきた要素のうちで、ヨーロッパ独特の、そして最も影響の大きい要素のひとつである。
「本のない家」はしだいになくなりつつある。そしてそれがまもなくまれにしか見られない例外になってゆくことが望ましい。
書物とのつきあい、つまり読書術は、処世術のほかのあらゆる分野と同様に、賢明な、心のこもった配慮を必要とし、配慮する値打ちのあるものである。
もともと、幼いときからたくさんの本に囲まれて本になじんで育ってこなかった人は、どんな人でも、ある程度本について指導と助言を受けることがどうしても必要であろう。
このような人は、一冊の本を読む場合、音楽を聴いたり、景色を見たりするときとまったく同じように、何か新しいものをそこから得て、それによって以前よりも少し豊かになりたいということ以外はどんな関心ももたないであろう。
私たちが必ず読んでおかなければならないような本のリストなどは存在しないのである! けれども各個人にとって、まさにその人自身が読んで満足と楽しみを味わうことのできる書物はかなりたくさんある。
書物に書き留められたあらゆる時代の作家たちの思想と個性は、死者のものではなく、生き続けている、あくまでも有機的な世界なのである。
君が二百人という知人の中から、確実に友人として有益な数人の人を見つけ出せるのと同様に、君に訴えかける、表現上の特色と考えをもつ数人の作家を発見してその作家についていけば、さらにそれらと共通点をもつ作家と作品の名に遭遇できるであろう。
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