諸君、竹林の夜明けぜよ!『美女と竹林』森見登美彦


森見登美彦という作家について、私が知っていることは決して多くはない。ただ確かなことは、私が彼の作品をこよなく愛しているということだけである。

 

いくらか前、「王様のブランチ」という番組で、彼が登場しているのを一度だけ目撃したことがある。痩せた身体、理知的な顔、まさしく私がイメージしていた森見登美彦氏そのままであった。

 

今まで出版されてきた彼の作品をおおむね網羅し、彼の作品を大学の論文で研究対象にした私は、すでに立派な森見登美彦氏の研究者と言っても過言。

 

しかし、彼の人となりを知るための唯一といってもいい作品、それを逃していたのは、私の傲慢が故の過失であった。

 

その名も、『美女と竹林』。登美彦氏の唯一のエッセイである。と思っていたが、調べてみたら他にもいくつかあった。ウィキペディアの情報を頼りにすべきではない。誰か更新しておいてください。

 

しかし、『美女と竹林』はエッセイにしてエッセイにあらず。それは竹林に立ち向かう男たちの、汗と汗の戦いの記録であった。

 

ある時、登美彦氏は多角的経営のもとに、竹林の運営を目指すことに決める。なぜ竹林なのか。それは登美彦氏が、竹林をこよなく愛していたからである。

 

職場の同僚の鍵屋さんという人物の実家の竹林の管理を申し出たところ、あっさりと許諾され、登美彦氏は友人の明石氏とともにノコギリひとつで竹林に立ち向かう。

 

しかし、それは彼の想像だにしない、苦難の旅であった。鍵屋さんの御母堂から出された硬いケーキ。乱立する硬い竹。対するは、男たちの貧相な肉体と、ポキポキと折れやすい心だけである。

 

読んでいてこんなにも笑ったエッセイは初めてであった。そもそも、私が彼の作品を好きなのは、その軽妙洒脱な語り口にあるのだが、このエッセイではそれがふんだんに使用されている。

 

果たして、彼の竹林経営の夢の行方はどこへ向かうのか。その結末は、エッセイの中でのみ語られている。そしてそれは、決して他人の口からは語ってはいけないのである。

 

ともあれ、この作品を読んだことで、私の当初の目的を果たすことはできた。諸君は覚えているだろうか。そう、私は森見登美彦氏を知りたくて、『美女と竹林』を読んだのである。

 

わかったことはひとつ。「森見登美彦氏は、竹林が大好きである」。このあまりにも大きな事実は、ニューヨークタイムズのトップ記事を飾るかもしれないし、飾らないかもしれない。

 

なるほど竹林はわかった。だが、美女はどこにいるのか。諸君の胸に抱きしその問いは、至極当然のことだと思う。そしてその答えも、氏はしっかりと答えてくれている。

 

「美女と竹林は等価値である」

 

ちなみに、鍵屋さんの御母堂は吉永小百合に似ているらしい。だから何というわけでもないが。このエッセイの中には胸躍る薔薇色のロマンスが、あるかもしれないし、ないかもしれない。

 

 

竹林というものは……いいもんですね

 

森見登美彦氏とは、いったい何者か。この広い世の中、知らない人の方が多いに決まっている。森見登美彦氏は、今を去ること三年前、大学院在学中に一篇のヘンテコ小説を書いて、ぬけぬけと出版界にもぐりこんだ人物である。

 

登美彦氏を個人的に知る者で、彼を天才だと思う人間は皆無である。彼を天才だと思っているのは、天地人の間に、ただ一人森見登美彦氏あるばかりだ。これはもはや妄想のたぐいと言っていい。

 

どうして反省しないのか。虚心に己を見ないのか。登美彦氏は言う――「そんなおそろしいことは、お断りだ!」と。虚心に己を見ないまま、登美彦氏は京都で暮らしている。

 

二〇〇六年、晩夏の夕暮れである。吉田山のふもとにある喫茶店にて、登美彦氏はムツカシイ顔をしていた。彼が考えていたのは、大団円へ持ち込もうとしつつある『夜は短し歩けよ乙女』という小説のことでもあったし、これから先の人生を如何に生きるべきか、ということでもあった。

 

珈琲を飲みながら考えているうちに、登美彦氏の脳裏は「これからの人生を如何に生きるべきか」という問題で占められてきた。それは大問題であり、やすやすと答えが出るものでもなかった。

 

「しかし諸君。なかなか解決できないことが大問題の愛すべきところでもあるのだ」

 

なぜなら、答えの出ない大問題に取り組んで、目前の問題から目をそらしたい場合もあるからである。登美彦氏は、緊急を要する課題に取り組むのに疲れていて、現実逃避をしたかった。

 

「求められるままに小説らしきものをうじうじ書いているが、ワタクシは本当にこのままノホホンと暮らしていて良いものだろうか。行き詰まる前に、先手を打つ必要がある! 多角的経営! これだ! これしかない」

 

これからの時代、小説を書くことだけに打ち込んでいるわけにはいかんと登美彦氏は考えた。しかしそこでまた彼は困る。登美彦氏には趣味というべきものがない。

 

登美彦氏は腕組みをして考えていたが、「何でもいいから書いてみろ。この世にあるもので、やみくもに好きなものを書いてみろ」と自分に言い聞かせた。そして、厳粛にボールペンを握って、手帳に大きく書いてみた。

 

「美女と竹林」

 

 

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