余命一年の少女の願い『君の膵臓をたべたい』住野よる


 そのタイトルを見た時、私はまず、その表紙に手を伸ばすのを一瞬躊躇った。それでも読むことにしたのは、表紙がタイトルに似合わず穏やかだったから。それだけのことだった。

 

 

 『君の膵臓を食べたい』。その作品は、お母さんが買ってきてくれた本の山の中に、ひっそりと紛れ込んでいた。

 

 

 けれど、きっと内容までは知らなかったに違いない。話題作だから買ってきた、というだけだろう。神経質なくらい私に気を遣うお母さんが、この本を持ってくるはずがないのだから。

 

 

 『君の膵臓を食べたい』に登場する女の子、桜良は膵臓の病気を患っているらしい。彼女が宣告された余命は一年にも満たない。

 

 

 それでも、彼女は誰にも知られずに日常を送っていた。しかし、ある時、ひとりのクラスメイト、すなわち「僕」に病気のことを知られてしまう。

 

 

 「僕」は最初、知ってしまったことを隠そうとしたけれど、彼女自身が自ら明かした。そして、桜良は、それまでクラスメイト以上の接点がなかった「僕」を遊びに誘うようになる。

 

 

 それまで友だちを作らず、孤高を貫いていた「僕」の心は、彼女に振り回されていくうちに変化が訪れる。けれど、彼女の命の砂時計は刻一刻と進んでいく。そんなお話。

 

 

 そんなつもりはなかったけれど、結末では、ちょっとだけ泣いてしまった。彼女の日記のところなんて、もう読むことすら難しいくらい涙が零れちゃった。

 

 

 けれど、彼女は本当に幸せだったんだろうなあ、なんて思う。彼女が得ようとして、「僕」が彼女にあげたものは、彼女にとって何よりも大切なものだったから。

 

 

 羨ましい、と思わず呟いたのは、ベッドから出ることもできない私自身の状況が視界に入ってきたからだった。

 

 

 日常。毎日誰もが当たり前のように手に入れているからこそ、その毎日に価値があることに気が付く人は少ない。

 

 

 学校に行くことに憂鬱になりながら登校するのも、日常があるからこそできることなのだと、私は失って初めて知った。

 

 

 私は余命宣告されるような病気ではないけれど、桜良が羨ましい。彼女はベッドの上でただ朽ちていくわけじゃなく、人生を全力で楽しんでいたのだから。

 

 

 日常なんて、ほんの少しつつけば呆気なく壊れてしまう。私たちが逃れたいと思っているものなんて、なくすのは一瞬。

 

 

 ふと、思い出したのは、昔、国語の授業で習った言葉。どんなタイトルかは知らないけれど、その言葉だけが私の頭に浮かんだ。

 

 

 僕たちは生まれた瞬間、蠍に刺された。その毒がいつ、僕たちの命を奪うかわからない。

 

 

 私たちの命はとても儚い。今日が無事でも明日はそうじゃないかもしれない。余命が一年にも満たなかった桜良は、誰に対しても他人事じゃないのだ。

 

 

 まだ病気になる前、先生に言われて『将来の夢』を書いた。それはもう私が叶えることはできない、本当の夢と消えてしまった。

 

 

 みんなを見ていて思う。誰もが、未来の不安をなくすことばかりを考えていて、今の自分を疎かにしているんじゃないか、と。

 

 

 そんな未来なんて、本当に訪れるかどうか、誰にもわからないのに。一番大切にすべきなのは、過去でも未来でもなく、今この時なんだ。

 

 

 私は、後悔なく眠ることができるのだろうか。いつも、自分の境遇を憎んできた。けれど、そんなことをしても何にもならない。

 

 

 今の自分でもできることを見つけよう。それが今を生きるってことで。そんな誰もが知っていて、けれど忘れていることを、この本は教えてくれた。

 

 

共病文庫

 

 クラスメイトであった山内桜良の葬儀は、生前の彼女にはまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた。

 

 

 彼女の命の価値の証として、たくさんの人の涙に包まれているであろう葬式にも、通夜にも僕は行かなかった。

 

 

 共働きの両親を見送って適当な昼食をとってから、僕はずっと自室にこもった。それがクラスメイトを失った寂しさや空しさからきた行動かと言えば、違う。

 

 

 あれは四月のこと、まだ、遅咲きの桜が咲いていた。医学は、知らない間に進歩していた。大病を患って余命が一年未満という少女が、誰にも知られず日常生活を送れるくらいには。

 

 

 彼女が僕というただのクラスメイトに病気を知られてしまったのは、彼女の運の悪さと詰めの甘さのせいに他ならない。

 

 

 その日、僕は学校を休んだ。盲腸の手術、自体ではなく術後の抜糸のために。体調もよく病院での施術もすぐに終わった。

 

 

 ロビーの隅、端っこにぽつんと置かれたソファの上に、一冊の本が置き去りにされていた。

 

 

 誰かの忘れ物だろう、という考えと同時に、いったいどんな本なのだろうという、期待めいた興味が頭をもたげ、僕を動かした。

 

 

 本はぱっと見たところでは三百ページ強の文庫本だった。病院の近くにある書店のカバーがかけられている。

 

 

 書店のカバーの下には、本体に太いマジックで「共病文庫」と手書きの文字が書かれていた。そんな題名も出版元も聞いたことがない。

 

 

 いったい、これは何なのか、考えても答えが見つからないので、一枚ページをめくってみる。

 

 

 目に入ったのは、ボールペンで丁寧に手書きされた、つまりは人が書いた文章だった。

 

 

『私は、あと数年で死んじゃう。それを受け止めて、病気と一緒に生きるために書く。まず私がかかった膵臓の病気っていうのは……』

 

 

 なるほど、どうやらこれは、余命を宣告された誰かの闘病日記、いや、共病日記らしい。

 

 

 あまり、見ていいものではないな。それを僕が理解して本を閉じた時、座った僕の頭上から声が降ってきた。

 

 

 顔を上げて、驚いたが表情には出さなかった。驚いたのは声を発した相手の顔を知っていたから。

 

 

 というか、おそらくこんな僕でも、同級生が余命幾許もないという運命を背負っている可能性を、否定したかったのだろう。

 

 

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