彼らのような人たちのことを、『主人公』と呼ぶのでしょう。歓声を受けながら笑顔を絶やさず歩く彼らを、私はそんなことを思いながら眺めておりました。
最高峰の魔法学院を統べる大賢者様。すでに齢にして人間の域を遥かに超えるほどの時を生きてきたという彼は、老人とは思えないほどの威厳を湛えていらっしゃいます。
白銀に輝く鎧を纏った逞しい騎士様は、王国で最強の戦士との謂れも名高いお方で、彼と勇者様の腕試しの打ち合いは今でも語り草になっているそうです。
汚れのない白い衣を纏った神殿の大神官様。若くしてその座に就いた異例の天才だというその方は、美しい顔を年相応に赤らめさせて楚々と歩いております。
その神官様の隣にいるのが爽やかな笑みを浮かべる勇者様。啓示を受けて勇者として開眼された彼は、まさしく世界最強といっても差し支えないでしょう。
誰も彼もがまさしく雲の上にいるような偉大な方々。まさか、生きている間にこの目で見られようとは思いもしませんでした。
勇者様と騎士様の甘い笑顔に娘たちが頬を染めて黄色い声を上げ、お淑やかな神官様に無骨な男たちがぽかんと口を開けております。賢者様には若い学士たちが子どものような尊敬の眼差しを受けておりました。
彼らこそ噂に名高い勇者様ご一行様です。人類の希望をその双肩に背負い、王に命じられて魔王を討ち滅ぼすための旅に出た救国の英雄。
すでに行きがかった国を脅かす魔物を倒し、いくつもの国を救ってきた彼らは、いつだって噂の渦中にありました。
この辺境の小さな都市に訪れると聞いて、誰もが飛び上がったものです。歓待の準備に明け暮れ、ここ数日は本当にお祭り騒ぎでした。
私の隣にいるパン屋の娘なんて感動で滂沱の涙を流しています。手にはブロマイドを持って。ちらりと見ると、賢者様の立派なお髭が描かれていました。いや、そっちかよ。
「だって、賢者様よ! 勇者様も、騎士様も、神官様も素敵だし。はぁ、お近づきになれないかしら」
「無理でしょうね。私たちはただのモブキャラでしかないですし」
「どうしてあんたはいつも冷静で夢がないのよ」
彼女の希望をすげなく叩き落とした私の言葉に、彼女は呆れたように額に手を当ててしまいました。
もしも、彼女が小説の主人公みたいに、ただの町民じゃなかったら、目はあるのかもしれませんけれど。そういえば、あの主人公もパン屋でしたっけね。
最近読んでいる小説は『町民C、勇者様に拉致される』というものです。タイトルがわかりやすいですよね。
主人公は自称町民Cことパン屋で働いている娘です。しかし、彼女は突然、男に捕まって荷物運びで運ばれてしまいます。
その男とは勇者様でした。彼のおともの神官が言うには、彼らの旅に彼女の力が必要というもの。
もちろん、ただの町民Cに戦いなんてできるはずもありません。しかし、彼女に求められたのは、別の、しかし重要な役割でした。
魔物を倒した後は、その場に瘴気が溜まるとのこと。それを浄化するために彼女の力が不可欠なのでした。
なぜ彼女なのかというと、本来、人が触れることができないはずの星源樹を、彼女だけが触れることができるからです。なぜなのかは先を読んでみないとわかりませんが。
なんだ、モブじゃないじゃん。そう思いますよね。私も思いました。特別な力を持っているらしい彼女は、間違いなくモブではありません。
けれど、そもそも、勇者にさらわれるというイベントをこなしたその瞬間から、彼女はモブではなくなっていたのでしょう。
モブは何の役割を持ってはいけない。モブキャラであることを自認している私には、モブに関しては一家言あるのです。
めでたくヒロインに昇格してしまう町民C。けれど、彼女の発想はどこまでもモブの枠を出ることはなく、ヒロインとして世界を救おうとは考えないのです。
それこそ、私がこの作品が好きになった理由なのでしょうね。いくらモブを自認しているからといって、ヒロインに憧れないわけではないのですよ。
主人公のための世界
この世界は神によって創られました。まず大地と天が生まれ、自然が生まれ、そして人が生まれたのです。
しかし、その時の淀みとして、魔王が生まれ、魔王はその邪悪な手によって魔物を生み出した。以前、この街に来た神官様のありがたいお話です。
ですが、私はその説に疑いを持っていました。もちろん、声に出すことはしないんですけれども。
この世界は『主人公』のために創られた。それが、私の掲げるモブ説を中心に考えた私の結論です。
まず主人公が生まれた。彼が全ての始まりであり、起点です。そして、彼の、あるいは彼女の隣りに、まず番となる異性が生まれた。
彼ら二人を中心に世界は形作られていきます。まず敵が創られ、そして主人公たち二人を取り巻く仲間が生み出される。
世界はそれだけ。あとは真っ白な、何もない世界が広がっているのです。
それらは主人公一行が歩くに従って、その足が触れたところ、その目が見たところから世界は色づいてたしかな形となっていく。
それこそが、私が提唱する『主人公中心説』です。主人公が知っている範囲にだけ世界は存在していて、名前を持つことができるのだと。
すべてのものは、敵ですらも、主人公を活躍させ、際立たせるための道具でしかありません。この世界は主人公のために存在するのです。
そんな世界において、私のような名前もないモブはただの駒でしかありません。魔物に襲われ、ただ助けを求めて、道に倒れているだけの。
そんなモブが物語の主軸に出てはならないのです。それは決して曲げてはならない、この世界のタブー。
頭をパシンとはたかれて、私の思考は中断されました。見ると、仕事の上司が目を吊り上げています。
今、私が働いている旅館は大忙しなのでした。なにせ、勇者様ご一行が泊まりに来ているのですから。
普段はやる気のないバイトの子たちが、鼻息荒く勇者様の部屋に食事を運ぶ仕事を取り合っていました。
私はというと、万に一つも勇者様の姿も見ることのできない裏庭の掃除を任されました。ひとりぽつんと竹箒で掃いていきます。
まあ、いいのです。いいのですとも。私はただのモブ。彼らと関われるなんて思うことすらいけないのです。
と、恨み心髄をごみにぶつけながら、掃いていると、ふと、影が差しました。なんだろうと上を見上げた私は目を見開きました。
人影が窓から飛び出してきたのです。その人影は、私の目の前に着地しました。土埃が辺りに舞い散ります。
それは勇者様でした。彼と私の視線が合います。彼は親に見つかったような子どものような、罰が悪い表情を見せて、口の前に人差し指を立てます。
「ごめん、内緒な」
彼はそう言って走り去っていきました。私は言われた言葉に、こくこくと頷くことしかできませんでした。
どうやら、私もまた、少なからずの物語に関わることができたみたいです。町民Cとは言わずとも、町民Fくらいには。
彼の逃亡を内緒にするか、どうか。それだけでも物語は変わるでしょう。その決定権を私が握っているとなると、なんだか無性に心地がいいのでした。
それは、今さっきまで私が丹精込めて集めたごみが勇者様の着地で再び吹き飛ばされたのだとしても、おもしろいように感じられるくらい。
ただのモブキャラが世界を救う
働いているパン屋に出勤しようとしたら拉致されました。冗談じゃなくて、本当の話なんです。
家を出て歩いていたら視界がぐるっと回って、気がついたら誘拐犯の肩に担がれていました。まさに荷物担ぎです。
みぞおちを支点にされて担がれているから、本当にお腹が痛いんですが。女性扱いじゃなくてもいいから、せめて人間扱いしてもらいたいです。
悔しいから誘拐犯の背中をバシバシ叩くと、硬い感触が手に伝わってきました。むっ、鎧ですか。そりゃあ私の攻撃なんて効かないよねっ。
ここは閑静な住宅街。しかも夜が明けたばかりの時間帯です。そう、助けを求めようにも、誰も歩いていないんです。石畳の道に、誘拐犯の足音だけが響いていました。
このあと、私はどうなるんだろう。もう何が何だかわからないまま、私はぐずぐず泣き出しました。鼻が痛いけど涙は止まりません。
いつの間にか誘拐犯の足が止まっていました。涙でぼやける視界に映るものに、私は今度こそ硬直しました。
気がつけば屋内にいました。いつの間に宿屋に連れ込まれているの。頭の中を最悪の想像がグルグル回ります。
私の恐怖をよそに、誘拐犯はためらうことなく、宿泊室のドアを開けました。中に誰かいるみたい。
「女の子泣かせて何してるんですか!」
その人が、常識的なことを叫んでくれました。下を向いた私の目線の先に、すっとハンカチが差し出されました。ありがたくお借りして涙を拭かせていただきます。
「ええと、では仕事があるので失礼しますね」
私はパン屋で鍛えた接客スマイルを振りまき、回れ右して鮮やかに立ち去ろうとしました。が、そうは問屋が卸さない……よね。背後の誘拐犯に、腕をがっちりとつかまれました。
とりあえず、人目がある食堂でお話をすることになりました。食堂に行く手前、廊下でようやく人影を発見しました。その人たちが、にこにこしながらこちらに手を振っています。
「おお、勇者様!」
それはもちろん私にではなく、隣の人に向けてでした。私より頭ひとつ高い場所にある誘拐犯の顔を反射的に見上げます。
私は引きずられるように宿の食堂に入りました。椅子に座らされてから、ようやく手が離されました。
「大変申し訳ないことに、お願いしたいことがあるのです」
な、なんでしょうか。私にできることはパンを売ることぐらいなんですが! すごくいやな予感にさっそく引き気味ですよ。
「簡単に本題だけ言います。私たちと一緒に旅をしませんか?」
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