子役になった伝説のホラー女優『ホラー女優が天才子役に転生しました』鉄箱


 カチンコが鳴ったら始まりだ。目を閉じる。深呼吸をする。いち、に、さん。よーい、アクション! その声に、顔を上げる。

 

 

 この映画は、私が初めて主演を務める作品だ。下積み時代の苦労が、頭の中に思い浮かんでくる。

 

 

 遡った記憶の中で、学生時代の私が携帯を覗き込んでいた。彼女がネット小説を読んだのだということを、私は知っている。

 

 

 『ホラー女優が天才子役に転生しました』。当時の私が大好きで、演技の道を目指すきっかけになった作品だ。

 

 

 そもそも、最初は期待していなかった。なにせ、なろう小説には飽きていた頃で、似たような作品にはもう、うんざりしていた頃だった。

 

 

 読み始めたのはなんとなくだ。どうせまた同じだろうという思いがあった。けれど、予想は裏切られた。いい方向に。

 

 

 ネット小説にこんなにも夢中になったことはなかった。読み終わった後、もう一度最初から読み直したほど。

 

 

 伝説のホラー女優と呼ばれた桐王鶫。悪霊を演じさせれば彼女の右に出る者はいない。共演者やスタッフすらも恐怖に陥れるほどの演技は、スクリーンを通して多くの人の心に刻まれた。

 

 

 そんな彼女が事故に遭い、亡くなった。ところが、なんと彼女は、五歳の少女「つぐみ」として転生したのだった。

 

 

 子役のオーディションに参加した彼女は、前世譲りの演技力で演技の世界への道を切り開いていく。

 

 

 志の道半ばで亡くなってしまったホラー女優の意志を引き継ぎ、今度こそハリウッドを目指す。それはそんな物語だった。

 

 

 私が心躍ったのは、彼女の演技が、周りの人たちに影響を与えて、心を変えていくところだ。

 

 

 ドラマや映画は、つまるところフィクションだ。現実じゃない。そんなことはわかってはいても、見ていると感情が揺さぶられる。

 

 

 感動ものを見れば涙を流すし、コメディ映画は笑い転げる。パニック映画はハラハラして、ホラー映画では悲鳴を上げる。

 

 

 それは、映像技術とかもあるけれど、演者の演技力が偽物を本物に見せているのだ。その凄さを、私はこの作品を通して改めて感じた。

 

 

 演技は人の心を動かせる。そこにあるのはフィクションじゃない。彼らの演技の前にあるのは、紛れもない、「本物」なのだ。

 

 

 私も、つぐみのようになりたい。演技の世界に憧れたのは、その時だった。そこが茨の道だとは知っていながらも、自分の欲求を抑えることができなかった。

 

 

 それ以来、『ホラー女優が天才子役に転生しました』は、世界でたった一つの、私にとっての特別な作品になった。

 

 

 その作品は、私に夢をくれたのだ。演技の力の強さを、私に教えてくれた、唯一無二の作品だ。

 

 

 そして今日、とうとう私は、あの時、憧れた世界の入り口に、ようやく立つことができた。

 

 

 かつて、テレビで見ていた光景。その世界に、私はとうとう入ることができたのだ。

 

 

 けれど、これはまだ、始まりに過ぎない。私の道は、これから続いていくのだから。

 

 

 カット! 監督のその声とともに、私は、現実の私に戻った。フィクションの私の顔に向けられたカメラのレンズが、虚ろな私を映し出している。

 

 

よーい、アクション!

 

 廃墟の中を女性が走る。着ていた小規模な服はぼろぼろで、ところどころに赤黒い跡が滲んでいた。

 

 

 息を荒くさせ、力なく垂れさがる片腕を庇いながら、女性は呻くように回顧する。

 

 

「なんで! もう、あなたの恨みは晴れたんじゃないの?」

 

 

 叫び、悔やみ、やがてその苦痛にも終わりが訪れる。行く手を阻む黒い壁を、女性は力なく叩いた。

 

 

 ――ひた、ひた、ひた。

 

 

 女性は耳に届いた音に、声にならない悲鳴を上げた。首を振り、縋りつくように壁を叩く。

 

 

「いや、イヤ、いやよ!」

 

 

 絶望に瞳を染めながら、女性は音のする方に振り向く。人影のようなものはない。ただ、それでも、まるで音が近づいてきているようだった。

 

 

 やがて、音が止んだ。まるで最初からそんな音などしていなかったように、己の息遣いだけが、静かな空間に満ちる。へたり込んだ女性の、安堵の息。その肩に。

 

 

 この世のものとは思えない”声”が、響いた。

 

 

「カァァァット!」

 

 

 セットの証明が舞台を照らす。私は目の前で一息つく女優仲間に手を差し伸べると、彼女は引き攣った顔でそれを受け取った。

 

 

 スタッフさんたちに挨拶をして、私は次の現場に向かう。役者の世界に入って早十七年。私はこの業界で知らぬ人のいないホラー女優として名を馳せている。

 

 

 専属のマネージャーに促され、黒塗りの車に乗り込んだ。現場まで台本を広げながら最終チェック。そうやって集中していたから、私は少し、反応が遅れてしまった。

 

 

 目の前には、ハンドルに縋りつくように眠るドライバーの運転する、大型トラック。

 

 

 焼けつくような痛みと、何もかもをひき潰すような衝撃の最中。私の脳裏に浮かんだのは、最期まで、ホラー映画に関わるようなことだった。

 

 

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